築地の市場が豊洲へ移転した後も、営業を継続している場外市場は変わらず賑わっていて、銀座~晴海通りの歩道には一目で観光客とわかる外国人が列をなして歩いているのだが、夜に勝鬨橋を渡っていると、築地にやって来る外国人観光客とも違う様々な人種の人びととすれ違う頻度が以前より高くなったように感じる。大江戸線... 続きをみる
Toshibon's Blog Returnsの新着ブログ記事
-
-
今から44年前の1978年の夏、長崎のジャズ喫茶『K』の裏、薄暗い私の部屋にそのポスターを貼り、日がな―日眺めていた。それは電通の広告作文コンクール募集のポスターで、細長い日本列島を分割し再構成したほぼ円形の日本地図?がコラージュされていた。ある種の異様さを見る者に与えるこの地図は、また同時に新鮮... 続きをみる
-
きまぐれに1曲⑲ Evening Star (Fripp&Eno)
夏になると隠岐の島や五島列島の福江島、沖縄南西諸島の島々などに渡った、20代のころの船旅を思い出す。静かな凪の海面に反射する陽光のきらめきを透かして次第に姿をみせる島影。その時口をついてでたのは「島へ渡る時はただの旅人(Passenger)、島から帰る時はまれびと(Visitor)」というフレーズ... 続きをみる
-
東京都中央区の日本橋高島屋S.C.本館4Fにある高島屋史料館TOKYOで開催されている「まれびとと祝祭―祈りの神秘、芸術の力―」(8月21日まで、月・火曜休館)を覗いてみた。 文芸評論家で多摩美術大教授の安藤礼二氏の監修で、写真家・石川直樹氏による日本各地の来訪神儀礼(フサマラー、ミルク、マユンガ... 続きをみる
-
―東京が雨なので「ながいくん」を連れて出かける。電車に乗り、用をたし、また電車に乗って家に帰ってきて、気がついてみると「ながいくん」の姿がない。しばらく茫然とし、それから「さよなら、ながいくん」とつぶやき、少し泣く― これは川上弘美さんの『東京日記6 さよなら、ながいくん。』に載っていた「十一月某... 続きをみる
-
昨年秋に初めて出店して味をしめたのか、再度古本市に出店した。前回は青空古本市だったが、今度は城址公園のお堀端に建つ市の文化施設が会場。さして広くないフロアに、16店もがサークル状に並ぶなか、toshibonの「パナリ書房」の店構えはというと、こんな感じ。↓ 前回はマンガ(主に70年代~80年代の少... 続きをみる
-
アイルランド島の内陸部を西から東へ走り続け、ダブリンへあと40~50キロ、1時間くらいで着くというところにキルコックという街があった。ただ通り過ぎるつもりで車を乗り入れたら、おりしもサマー・フェスティバルの真っ最中。街の広場でダンス・コンテストが行われており、車を降りて私たちも大勢の観客に... 続きをみる
-
東京都文京区では、「シニア入浴事業」という区民サービスを実施している。65歳以上の区民が、区発行の「シニア入浴カード」を区内4か所の公衆浴場(銭湯)に持参すると、1回100円(通常480円)で、年52回(月4回程度)利用できるというもので、文京区民である妻は、今年に入ってこの入浴カードを利用して銭... 続きをみる
-
古いカセットテープを整理していたら、なかにZABADAK(ザバダック)の『遠い音楽』(1990年)があった。1985年にデビューしたというZABADAK は、吉良知彦・上野洋子(それに数人のサポートメンバー)によるユニットで、『遠い音楽』は5thアルバムだったが、私が聴いたのはこのアルバムが初めて... 続きをみる
-
時々アクセスするテシさんというイギリス滞在中のイタリア人女性のYouTubeチャンネルを見ていたら、ロンドンの街をマスクをして歩いている彼女に、すれ違った男性が「マスクを外せ!」と声を放つ動画があり、彼女と同様にちょっとした恐怖感を覚えた。欧米人にとってマスクがこれほどまでに抵抗感があるという理由... 続きをみる
-
-
また野球の話。地方の過疎化が進み、私の通っていた小学校も20年前に閉校になってしまったが、小学生だった昭和30年代当時はとにかく子どもが多くて、同じ集落に住む男の子たちが集まると、屋外でいろんな遊びをした。なかでもよくやったのが野球で、打って一塁に向かう走者に球をぶつけるとアウト(なので球は柔らか... 続きをみる
-
-
大瀧詠一は野球が好きな人であった。長嶋ファンだったようだが、MLBもよく見ていたようで、NHKBSで中継していたマリナーズ時代のイチローの全試合を録画していたとか…。そんなコアな野球ファンだった大瀧に、野球を題材にした「恋のナックルボール」という曲がある。1984年にリリースしたアルバム『EACH... 続きをみる
-
晴海トリトンスクエア(正式には「晴海アイランドトリトンスクエア」)は、東京都中央区晴海一丁目にある3棟の高層オフィスビルを中核とした複合商業施設ならびに住居群の名称。トリトンスクエアができる前、このエリアには日本住宅公団(現・UR都市機構)の晴海団地や東京電力の発電所などがあったが、建物の老巧化に... 続きをみる
-
晴海トリトンスクエアの朝潮運河側は、運河に沿って桜の木が一定間隔で植えられた並木道になっていて、「さくらの散歩道」という名の通りになっている。そこから対岸の勝どきとを結ぶ「桜小橋」は、歩行者専用橋として4年前(2017年10月)に竣工した。 夜の桜小橋 橋の長さ87.8m。 2019年には土木学会... 続きをみる
-
遅ればせながら『JUNK HEAD』をようやく観た。このところ外で映画を観る機会から随分遠ざかっていて、新作映画の情報にも疎いのだが、さすがにこの映画には食指を動かされて久しぶりに映画館に足を運んだ。 本業が内装業の堀貴秀監督が、原案、絵コンテ、脚本、編集、撮影、演出、照明、アニメーター、デザイン... 続きをみる
-
この2月は、バンドメイド(BAND-MAID)とラブバイツ(LOVEBITES)月間というほど、ハードロックメタル系のこの2つのバンドを毎日聴いている。時々覗いているYouTubeチャンネルみのミュージックで紹介されていて、初めて知ったのが今月上旬。この手の音楽は普段ほとんど聴くことがないtosh... 続きをみる
-
「らっかさん」とは、1970年代の中ごろ、横須賀にあったロック喫茶(いわゆるカフェ&バーのような店)の名前である。そのころ鎌倉に住んでいた私は、時々横須賀線に乗って横須賀に行った。特に目的があるというわけではなく、横須賀中央公園で東京湾を眺めながらボーっとしたあと、日が暮れると京急横須賀中央駅から... 続きをみる
-
今さらかと思われるかもしれないが、テイラー・スィフト(Taylor Swift)の「folklore(フォークロア)」は傑作だ。今年後半、車のなかで一番聴いたのはこのアルバムかもしれない。 何といってもアルバムタイトルがいい。1980年代の初めに「New Folklore Express」という名... 続きをみる
-
-
-
-
ーAbout Josh Turner Guitar(ジョシュ・ターナー・ギターについて)ー 「ジョシュア・リー・ターナー(Joshua Lee Turner)は、ニューヨーク州ブルックリンに拠点を置くマルチインストゥルメンタリスト、シンガー、ソングライター、プロデューサーです。ジョシュはYouTu... 続きをみる
-
-
今から44年前、1976年の初夏から冬にかけて東京都下、府中(武蔵府中)に住んだ。甲州街道と京王線に交差して大国魂(おおくにたま)神社まで続くケヤキ並木(馬場大門のケヤキ並木として国指定天然記念物)を見て、いっぺんでこの町が好きになり、神社のすぐ東側にアパートを探しあて、窓からケヤキの杜が見える部... 続きをみる
-
もうすぐ夏至。2年前のこのブログにこんなことを書いた。 「 夏至に至る一週間くらい前の期間が一番日が長く感じられる。曇り空や雨の日も嫌いじゃないので、私は今ごろが一年でもっとも好きな季節ではあるのだが、なぜが毎年夏至の前後は精神的に落ち込むことが多い。過去の出来事ばかりが思い出され(それも恥ずかし... 続きをみる
-
妻はいわゆる山屋さんで、居酒屋で集うことができないこの2か月ほどは、山岳会の山仲間と「オンラインおしゃべり飲み会」と称してLINEを使ってスマホで飲み会をやっていた。 私の唯一の飲み友だちは妻である。妻以外に酒をおいしく酌み交わすような友だちや仲間がいない。なので、ハナからオンライン飲み会など無縁... 続きをみる
-
2年前の冬、渋谷で開催されていたイルミネーションイベント「青の洞窟 SHIBUYA」を見るため、渋谷駅から代々木公園方面へ公園通りの坂を登って行く途中、突然、眼前にまがまがしくも懐かしい「絵」が現れて一瞬たじろいだ。 それは渋谷パルコ建て替え工事現場の仮囲いの壁に描かれた「AKIRA(アキラ)」の... 続きをみる
-
毎年4月上旬から下旬にかけて「さくら祭り」が催され、全国から花見客が訪れる桜の名所、長野県高遠町(合併して伊那市高遠)の高遠城址公園。 が…今年(2020年)は新型コロナウィルス感染防止のため、公園は閉鎖され、観桜会は中止となってしまった… 城址公園から高遠の町と南アルプスを望む 城址とその周辺に... 続きをみる
-
このところの欝々とした日々から抜け出して、気まぐれに湯河原あたりをぶらぶらして温泉にでも浸かろうと、東海道線の電車に乗る。小田原あたりを過ぎたところで冬の日差しを浴びてきらきら輝く太平洋を見たら、急に気が変わって海のそばに行きたくなり、熱海で伊豆急行に乗り換えて伊豆高原駅へ。そこから20分ほど歩い... 続きをみる
-
苦手な歌というのがある。あくまで私個人の感覚的な問題と断ったうえでの話だが、耳障りというか、聴いているとなんか気持ち悪いなぁ、と思ってしまう歌。あまり大きな声では言えないけれど、例えば東日本大震災の復興ソング「花は咲く」とか…。どこかから借りてきたような居心地の悪いメロディーと背中がムズムズしてく... 続きをみる
-
-
日暮里駅北口から歩いてすぐのところにある蕎麦屋「川むら」に久しぶりに立ち寄った。改装してきれいになった店内はほぼ満席。幸い奥の席がひとつだけ空いていた。 燗酒は、徳利を湯せんで温める酒燗器で供される。 燗酒とお蕎麦でいい気持になって、谷中銀座を通って地下鉄千駄木駅まで行く途中、気まぐれに右にそれて... 続きをみる
-
令和になって最初の正月は、妻と義姉と一緒に平泉・一関で過ごした。 宿泊した宿は衣川の高台にあったので、元日の朝、中尊寺・金色堂のある丘陵、金鶏山、義経堂のある高館(たかだち)など、初日に輝く世界遺産平泉の中心域が一望できた。 平泉・一関地方は江戸時代から続く「もち食文化」の地で知られる。道の駅厳美... 続きをみる
-
-
-
晩秋の季節に聴くと心に染み入る曲を。 「駒沢あたりで」https://www.youtube.com/watch?v=91ne59Fz_Yo 加川良(1947 – 2017)の通算6枚目のアルバム『駒沢あたりで』(オリジナルは1978年発売)の収録曲で、バックをつとめるのはレイジー・ヒップ。アルバ... 続きをみる
-
退院してからしばらく静養していたが、体力回復のために数日前から日が落ちて涼しくなってからウォーキングを始めた。その際、ICレコーダーで音楽を聞きながら歩くのだが、歩行のリズムとマッチした曲が鳴ると、自然と歩くのがとても楽しくなる。レコーダーに入れていた曲のなかで、歩行と曲のリズムが一番ぴったり合っ... 続きをみる
-
-
青森県八戸市へ行ったついでに種差海岸まで足をのばしたら、葦毛崎展望台の周辺でニッコウキスゲが今を盛りと咲いていた。 紫色の花はニッコウキスゲと同時期に咲くノハナショウブ 葦毛崎から大須賀海岸、白浜、深久保漁港を経て種差天然芝生地まで続く遊歩道(「みちのく潮風トレイル」の一部)が整備されている。海づ... 続きをみる
-
この間、たまたま点けていたTV(NHKの大河ドラマのタイトルバック)に山口晃さんの絵が出てきた。それで久しぶりに『すゞしろ日記(弐)』を手にとってみた。藝大出身の人気画家(以下、親しみをこめて画伯)のエッセイ漫画=絵と吹き出しによるエッセイ集=とでもいうべきもので、これまで3冊出ている。私が持って... 続きをみる
-
雨の曲シリーズ2曲目は、雨がさっとあがった後にキラキラまぶしい太陽に包まれる「雨に消えた初恋」とは打って変わって、暗く沈んだ夜の雨を歌った曲を。 畠山美由紀 / 夜と雨のワルツ 「夜と雨のワルツ」は、畠山美由紀の6枚目のオリジナルアルバム(2013年6月発売)『rain falls』の収録曲。詞・... 続きをみる
-
-
梅雨の季節ということで、気まぐれに雨の曲でもと思ったとき、真っ先に浮かんだのがカウシルズ(The Cowsills)の「雨に消えた初恋(The Rain, The Park and Other Things)(1967)」。 カウシルズは、1965年に結成されたカウシル家の母親と兄弟からなるファミ... 続きをみる
-
Walking at Tsukiji and Tsukishima at night
Rambalac(ランバラック)さんというYouTuberの投稿動画に、勝鬨橋が登場するものがあった。 築地本願寺をスタート。築地市場の波除稲荷神社から勝鬨橋を渡って月島へ。西仲通りを経て佃島、中央大橋へ至るコースをただ歩くだけの動画。時間にして1時間余りという長尺なのだが、長くは感じない。もんじ... 続きをみる
-
勝どき界隈でひとりで落ち着いて飲めるところを探すのは難しい。なので、近場で歩いて帰れる築地をたまにうろうろしたりする。飲んだ後は夜の勝鬨橋を渡る。 橋は1940年(昭和15年)の完成。全長246メートルのうち、中央部の約50メートルがハの字に開く可動橋で、大型船舶が航行できた。が、1970年(昭和... 続きをみる
-
-
4月7日、宮城県気仙沼市の大島と本土を結ぶ気仙沼大島大橋が開通したのをニュースで知った。https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1178703.html 気仙沼市の大島といっても、東北地方の太平洋側(三陸)の住民でなければ、あまりなじみのない島かも... 続きをみる
-
イチローが引退した。最後の出場試合、試合後の会見はTV中継され、翌日のニュースはイチロー引退の話題で占められた。そこでは誰もがイチローを称賛し、リスペクトの言葉を口にした。そこで思ったのは… イチローってこれほどまでに愛されていたっけ? 野球人、著名人のなかに、そのプレースタイルや言動を快く思わな... 続きをみる
-
-
友人から「タルコフスキー・カルテット(Tarkovsky Quartet)を知っている?」とメールが届いた。YouTubeのリンクが貼られていたので見て(聴いて)みる。 Tarkovsky Quartet – Nuit blanche ピアノ、チェロ、アコーディオン、ソプラノサックスという変則的な... 続きをみる
-
東京駅南口から有楽町、銀座を経由して晴海埠頭、豊海埠頭、豊洲方面行きの都バスが出ている。利用するようになった20年前は、夜10時ころが最終バスだった。それが湾岸エリアに高層マンションが林立するようになって利用客が急増し、便数も増え(それでも夜はいつも満員だ)、11時~12時台には料金は高くなるが深... 続きをみる
-
今からちょうど20年前の90年代末、はじめて宿ったころの勝どきは交通不便なところで、公共交通機関といえば東京駅からの都バスしかなかった。それが一変するのは、2000年12月の地下鉄大江戸線勝どき駅の開業。それから周辺の再開発が一挙に進み、翌年4月にオフィスビル+商業施設+住居群が複合した「晴海アイ... 続きをみる
-
-
-
-
-
-
岡本太郎の『沖縄文化論―忘れられた日本』(中公文庫1996年/親本は1972年に刊行)を読んだ時の衝撃は、今でも忘れられない。 1959年、岡本太郎は米軍占領下の沖縄の島々に足を踏み入れ、初めてその文化・風土に出会う。そこで体感した沖縄の本質を、岡本太郎はこの本で「何もないことの眩暈(めまい)」と... 続きをみる
-
門前仲町で一杯やったあと、清澄通りを酔い醒ましがてら塒(ねぐら)のある勝どきまで歩く。途中、相生橋を渡る。この橋は隅田川の派川に架かる橋で、すぐ近くの本流に架かる永代橋や清州橋と較べて知名度は落ちるが、とても好きな橋だ。これを渡ると江東区越中島から中央区佃島~月島に入る。 相生橋の歴史についてはこ... 続きをみる
-
成瀬:いくつになってもまだ買い物ができないんだな。一人でデパートに行っても、そこらの店屋でも買うのはきまりが悪くてしょうがない。 人と話すのは私は口下手で嫌いですが、一人で歩くのは好きでして、暇があると一人でぶらぶら歩いているのですよ。顔を知られたりすることが大嫌いですからね。なるべく知られないよ... 続きをみる
-
-
-
友人のブログに、最近買った本が列記されていて、その中にチェーホフ「可愛い女・犬を連れた奥さん」(岩波文庫)があった。また、20年ぶりに見たというアンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」(1983)の感想もアップされていた。 「犬を連れた奥さん」と「ノスタルジア」。このふたつ、作者がロシア人とい... 続きをみる
-
-
「夏が終われば 秋が来る ほんとに早いわ~♪」(森高千里「あるOLの青春」1990)。 季節はすっかり秋の気配。あんなに暑かった夏が随分前のように思え、懐かしいモリタカの歌を口ずさんでいる今日このごろ。 子どものころは夏が来ると、それが永遠に続くような気がしたものだ。ノー天気でどこかネジがゆるん... 続きをみる
-
「私は、島に次第に近づいてゆく瞬間が好きだ」 岡谷公二氏の『島の精神誌』(1981/思索社)の冒頭はこのフレーズから始まる。島に渡り、島をめぐる島旅に魅せられた人なら誰でもこの言葉にうなずくに違いない。1万トンの大型フェリーであれ、100トン足らずの小さな連絡船であれ、港を離れ、未知の島に向かう時... 続きをみる
-
今日で8月も終わり。 毎年、晩夏に聴きたくなるのが、ジョニ・ミッチェルの『夏草の誘い The Hissing Of Summer Lawns』(1975年)というアルバム。 見開きのジャケットを開くと、夏の陽光を浴びてプールの水面に浮かぶジョニ・ミッチェルの大柄な身体が表題曲の「The Hissi... 続きをみる
-
関川夏央氏と山口文憲氏(以下敬称略)がファミリーレストランでうだうだしゃべっている雑談ネタをまとめた対談(筆談)集『東京的日常』を読んだのは、私が40歳になるちょっと前のことだった。2人ともいわゆる団塊世代ど真ん中、ウザーッとしたグチと自己憐憫にあふれたボヤキ節による対談は、ボケとツッコミのボヤキ... 続きをみる
-
きまぐれに1曲⑥ Their Hearts Were Full Of Spring
The Beach Boys - Their Hearts Were Full Of Spring (1966) - YouTube60年代の中ごろ、NHKTVで「アンディウィリアムス・ショー」というアメリカの音楽番組が確か日曜日のお昼すぎに放映されていた。そのころ小学校の高学年だった私は、この番... 続きをみる
-
友人からのメールに、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』を見た感想として、「いちばんよかったのはジャンヌ・モローのモノローグでした。全編モノローグのみの映画なんてないのだろうか?」と書いてあった。 そこで思い出したのがクリス・マルケルの『サン・ソレイユ』(1982)という全編モノローグのみの映画。... 続きをみる
-
-
-
1年の半分を過ぎてしまった今月のきまぐれに1曲は、今から40年以上前に小さなラジカセに録音された「6月の雨の色」という曲を。 海辺の村で育った子どものころの梅雨の季節の心象風景を歌っているこの曲は、1971年12月号の『ガロ』誌上に発表された鈴木翁二のマンガ「雨の色」にインスパイアされて生まれた。... 続きをみる
-
-
-
昨日の新聞に森田童子が亡くなったという記事が載っていた。びっくりした。 びっくりしたのは森田童子が亡くなったからではない。森田童子が亡くなったことが新聞記事になっていることにびっくりしたのだ。80年代初めに活動休止してから、その存在が忘れ去られていたと思っていたからだ(実際にはTVドラマ「高校教師... 続きをみる
-
有楽町で散髪したついでに、話題の東京ミッドタウン日比谷へ行ってみた。オープンしてから2か月経ったというのに、それも平日だというのに、たくさんの人であふれている。 3階にある複合型店舗「HIBIYA CENTRAL MARKET(ヒビヤ セントラル マーケット)」の一角に、理容室があった。ここで散髪... 続きをみる
-
図書館に『K2 2006 ―日本人女性初登頂・世界最年少登頂の記録―東海大学K2登山隊』という本があったので、借りてきた。 世界第2の高峰、ヒマラヤのK2(8611m)は、極端に登頂成功率が低いことから、世界で最も困難な山として知られている。2006年夏、東海大学山岳部創部50年記念事業のK2登山... 続きをみる
-
1.原節子の二の腕 『東京物語』で「私ずるいんです」と言って泣くときに、顔を覆う手の大きさ、二の腕の太さ。私の細い腕の3倍はありそうだ。 2.原節子の背中 ホームドラマでの一家団らん、食事の場面などでは正面に人物は置かないのが普通だが、『麦秋』などでは例外的に原節子がカメラに背中を向けて座っている... 続きをみる
-
1年でもっとも美しい季節かもしれない5月。ということで、きまぐれに1曲はシューマンの「美しい5月に」を。 なんでも一時的に熱中する癖のあるtoshibonだが、20代初めのころシューマンにどっぷりハマった。曲を聴くだけでなく、伝記を読み、評論を漁った。今でもクラシックの作曲家ではロマン派、なかでも... 続きをみる
-
いつの間にか春植物(Spring ephemeral)は咲き終わり、自宅の庭の椿の花がボタボタ落ち、今はソメイヨシノが散り初め。なんだか身体感覚が季節のスピード、植物の生長についていけず、春の輝きに置いてけぼりをくっているような不安定な心持ち。まあ、春になるとなんとなくダウナーな気分になるのは、例... 続きをみる
-
村上春樹の短編集『東京奇譚集』の冒頭に「偶然の旅人」という短編が収められている。このタイトルを見て、すぐに思い浮かんだのが『偶然の旅行者』(1988、監督ローレンス・カスダン)というアメリカ映画。ウィリアム・ハート扮する旅行ガイドブックのライターが、妻(キャスリン・ターナー)と愛人(ジーナ・デイビ... 続きをみる
-
クリント・イーストウッドが監督した「硫黄島からの手紙」(2006)を見た時、折口信夫の門弟で養子となった藤井春洋が硫黄島で戦死したことに思い至り、それが涙腺をゆるめるきっかけになったのか、映画の後半になってから、私は恥ずかしいほどにボロボロと涙を流してしまった。映画館であれほど泣いたのは、10代後... 続きをみる
-
ここ1か月ほどよく聞いているのが、アンナ・ターンハイム(Anna Ternheim)というスウェーデン、ストックホルム出身の女性シンガーソングライターが歌う「Such a Lonely Soul」。 アンナ・ターンハイムは2004年にデビューしてから現在まで6枚ほどアルバムを発表しているが、国内盤... 続きをみる
-
-
-
地下鉄日比谷線広尾駅から歩いて数分、有栖川宮記念公園の坂をのぼった高台に東京都立中央図書館がある。先日、随分久しぶりに行ってみたら、「東京いまむかし~鉄道網の発達による賑わいの変遷~」と題したなかなか見ごたえのある企画展をやっていた。 そこで受付のお姉さんから渡されたのが、「東京名所スタンプラリー... 続きをみる
-
-
-
練馬のピンク映画専門館、練馬劇場で観た「17才の性モラル」(監督:三古谷双三九/1971)の話の続きを。 1970年代の初めは、アダルトビデオなんてものはもちろんまだなく、日活ロマンポルノの制作が1971年に始まったばかりで、ピンク映画が全盛のころだった。18歳になって成人映画を心置きなく観られる... 続きをみる
-
西武池袋線の江古田駅と桜台駅の中間にある「ハローオールドタイマー」という店に行ったら、午後から臨時休業だった。この店は友人の知人の息子さんがオーナーということで知り、1年前にも訪ねたのだが、その時も貸し切りで入店できなかった。続けてフラれるのはよっぽどついてないのかな。 「HELLO OLD ... 続きをみる
-
2017年もあと数時間。どんな年だったのか、記憶の遠近がはっきりせず、忘れようにも思い出せない(バガボンのパパ風に)。 10月に70歳で〝不滅の男-エンケン〞遠藤賢司が亡くなったのを知って、本当に何十年かぶりに2ndアルバムの「満足できるかな」(1971)を通しで聞いた。当時もろに影響を受けてコー... 続きをみる
-
1970年代の中ごろ、神奈川県鎌倉市に1年ばかり住んだことがあった。あちらこちらの都市を転々と引っ越し歩く生活を続けていた私が、そこで熱中していたことはと言えば、鎌倉の銭湯を調べることだった。 市内にある5軒の銭湯の番台の高さ、座っている人物の特徴、脱衣カゴやロッカーの位置利用者の服装と晨物の種... 続きをみる
-
-
『ウンタマギルー』(1989)の高嶺剛監督に1度だけ会ったことがある。 1975年の夏だったろうか…。京都の百万遍交差点のそばに「彷徨館」という名の喫茶店があり、そこで私がつくった8mmフィルムの上映会を催したことがあった。上映までのいきさつについては、よく覚えていない。たぶん、「彷徨館」がインデ... 続きをみる
-
-
-
今さら、と思われるかもしれないが、吾妻ひでおの『失踪日記』は傑作だ。 内容は-①マンガが描けなくなって失踪してホームレス生活(1回目)→②連れ戻されるが再び失踪してホームレス生活(2回目)。2回目の失踪でガス配管工事関係の肉体労働に従事→③ガス配管工の仕事をやめて漫画家の生活に戻る(漫画家として... 続きをみる
-
-
好きな野球映画のことを考えていたら、『さらば愛しき女よ(FAREWELL MY LOVELY)』(監督:ディック・リチャーズ、1975)を思い出した。原作はレイモンド・チャンドラーの同名小説で、舞台は1941年のロサンゼルス。まったく野球映画などではないのだが、ロバート・ミッチャム扮するフィリップ... 続きをみる
-
ブライアン・ウィルソンのソロとしての初来日公演を、有楽町の東京国際ホールで見た(聴いた)のは1999年7月。舞台でのブライアンは完全復帰にはほど遠い状態だったけど、まさかtoshibonが生きているうちに「生ブライアン」にお目にかかれると思ってもみなかったので、それだけで満足だった。 ただ、60年... 続きをみる
-
-
先日、あるカタログ誌の温泉取材で青荷温泉へ行く途中、秋田・青森県境の津軽湯ノ沢温泉に久しぶりに立ち寄ってみたら、昨年冬に休業した「なりや温泉」が再開されないまま、廃墟のようになっていた。 3軒の湯宿があった湯ノ沢温泉のうち、一番手前の「でわの湯(湯の沢山荘)」も4年前に廃業しているので、残るは「秋... 続きをみる
-
-
今年の桜は開花を宣言してから、なんと2日後に満開となった。これは当地気象台の観測史上最短という(1953年の観測開始以来)。 前日まで蕾だった自宅近くの桜の古木が、朝起きてみたら花盛りとなっていた。寒さにじっと耐えていた花の生命が一気に春の歓喜を爆発させたかの如く。夢を見ているようなこんな経験は初... 続きをみる
-
ある雑誌に岩木山麓にある湯段温泉に関する記事を書くことになり、津軽の弘前に来ている。ホテルの窓の外は雪が降っている。今冬の津軽は豪雪で大変だったらしい。昨日、湯段温泉に行ったら、3月中旬だというのに積雪がまだ2メートル近くあって、一気に真冬に逆戻りしてしまった。 初めて湯段温泉を訪れたのは、もう... 続きをみる
-