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髪結いの亭主 物書きの妻

映画「17才の性モラル」追想

練馬のピンク映画専門館、練馬劇場で観た「17才の性モラル」(監督:三古谷双三九/1971)の話の続きを。


1970年代の初めは、アダルトビデオなんてものはもちろんまだなく、日活ロマンポルノの制作が1971年に始まったばかりで、ピンク映画が全盛のころだった。18歳になって成人映画を心置きなく観られるようになった私が、東京での映画漁りの日々のなかで出遭ったのが「17才の性モラル」だった。
茨城県日立市を舞台にした女子高生の青春群像劇?とでもいうべきこの映画を知っている人、そして監督の三古谷双三九(みこやそうさく?)を知っている人なんて、今、いるだろうか。


映画を観た2年ほど前、まだ高校生だった私は学校を無断で休んで日立へ行き、そのころ各地を放浪していた連中が共同生活をしていたアパートで1週間ほどやっかいになったことがあった。スクリーンに日立駅が映し出された時、旅の記憶が一瞬のうちに甦り、そこに登場する素人臭く名も知らない女優たちに映画という虚構を越えた懐かしさと親しみを覚えた。まるで同じく早撮り低予算のフランスヌーベルバーグに似た、即興性とみずみずしさとリアルを感じた(ほめすぎか?)。それにしても、この映画はなぜ日立などというマイナーな地方都市をロケ地にしていたのだろうか。


「17才の性モラル」に惚れ込んだ私は、無謀にも!学祭でこの映画の自主上映を企て、フィルムの借用を配給元の東京興映に電話で申し込んだ。東京興映は60年代から70年代にかけてピンク映画を量産した映画制作・配給会社で、予想に反して丁寧に応対してもらえたのだが、どこの馬の骨ともわからない一学生の申し出は結局断られてしまったのだった……


監督の三古谷氏は『シナリオ』という雑誌にピンク映画の内幕的な記事を寄稿していて、大学の図書室でそれを偶然見つけて読んだ時のうれしい驚きは、今もはっきり覚えている。
Wikipediaに載っている東京興映の映画作品リストによれば、三古谷氏は当時の成人映画界の売れっ子監督だった山本晋也の「未亡人下宿」の助監督を努めたりしているが、監督作品としては「17才の性モラル」1本だけだったようだ。ネットで検索しても、その後の消息はわからない。