Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

きまぐれに1曲⑯ プラスティックラブ

もうすぐ夏至。2年前のこのブログにこんなことを書いた。
「 夏至に至る一週間くらい前の期間が一番日が長く感じられる。曇り空や雨の日も嫌いじゃないので、私は今ごろが一年でもっとも好きな季節ではあるのだが、なぜが毎年夏至の前後は精神的に落ち込むことが多い。過去の出来事ばかりが思い出され(それも恥ずかしさと後悔を伴って)、明け方早く目覚める、いわゆる早朝覚醒という不眠症に陥る。そのため日中に抑鬱的な気分になってしまう。まあ、歳のせいでもあるのだけど…」


今年も同じような心持ちで6月の日々を過ごしている。明け方早く目が覚めて過去の出来事に苛まれるのもおんなじ。加えてコロナ禍で数少ない仕事がキャンセルになり目標を失ったこともあって、2年前に増して抑鬱的な気分に支配されている。
こんな時どんな音楽を聴いて気分を紛らわしているのかといえば…
YouTubeから火がついた日本の70年代後半から80年代前半にかけての、いわゆるシティミュージックと呼ばれる音楽。なかでも今さらといった感じではあるが、竹内まりやの「プラスティックラブ」を散歩しながら飽かずに聴いている。


この曲が収録されたアルバムが発表されたのは今から36年も前の1984年。「セプテンバー」「不思議なピーチパイ」などのヒット曲はもちろん耳にしていたが、アルバムを買うほどのまりやファンではなかったこともあって、実はそのころも、それ以降もこの曲に接したことがなかった。それが2年前ころから、YouTubeで海外の視聴者の間で爆発的な話題を呼ぶようになったことで、遅まきながら聴くようになった次第。


80年代の初めころによく聞いていた日本の女性歌手といえば、大貫妙子と吉田美奈子。大貫妙子のいわゆるヨーロッパ3部作のうちの「ロマンティーク」(1980)」アバンチュール」(1981)を愛聴していた(今思えばアレンジを担当した坂本龍一およびYMOは好きじゃなかったのに不思議)。「プラスティックラブ」の12インチシングル盤での、痛みと陶酔感が合体したかの如き、リフレインが永遠に続くかのような最後の無限ループのコーラスには、大貫妙子も参加しているらしい。
吉田美奈子は「LIGHT’N UP」(1982)が素晴らしい出来で、このアルバムは今でも聴いている。収録曲の「頬に夜の灯」は同じ都会に生きる女性を歌っていても、恋の成就をやさしく励ますような慈愛に満ちており、その意味で「プラスティックラブ」とは対をなす名曲だ。


それにしても「プラスティックラブ」はよくできた曲だ。サウンド(特にホーンセクションをはじめとしたリズム隊)のグルーヴ感のかっこよさはもちろんだが、女性の喪失感を表現している詞がこの曲を時代を越えた普遍的なものにしている。海外ファンの手による英語の歌詞もあるのだが、この曲を覆う都会で暮らす若い女性の悲しみをたたえた切なさのニュアンスは、日本語、それも竹内まりやの歌唱で初めて伝わってくるような気がする。


公式、非公式(違法)にかかわらず、リミックス、再編集も含めて無数にアップロードされている「プラスティックラブ」のYouTubeのコメント欄は、おびただしい数の外国人(の英語)で占められているが、その中に「1980年代の私の偽の思い出を思い出させる」「経験しなかったノスタルジア」(いずれもGoogl翻訳)というのがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=r3kM4p0MMOA
おそらく70年代のコマーシャルフィルムを使ったこの動画(↑)は、80年代の「プラスティックラブ」とズレがあるのだが、宇宙服のような衣装で歌う竹内まりやと不思議にシンクロして、まさに“経験しなかったノスタルジア”を感じさせる。


レトロフューチャーといってしまえばそれまでだが、0系新幹線が今のロングノーズの新車両より未来っぽく見えてしまうこの感覚はどこからくるのだろう。そういえば、大貫妙子に「懐かしい未来」というタイトルの曲があった。