Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

きまぐれに1曲⑧ 九月の雨

「夏が終われば 秋が来る  ほんとに早いわ~♪」(森高千里「あるOLの青春」1990)。
季節はすっかり秋の気配。あんなに暑かった夏が随分前のように思え、懐かしいモリタカの歌を口ずさんでいる今日このごろ。


子どものころは夏が来ると、それが永遠に続くような気がしたものだ。ノー天気でどこかネジがゆるんでいる私は、その気分が抜けないまま大人になったようで、いまだに秋風が吹き始めると、夏よ終わらないで!と、ダダをこねる子どものような心持になる。要するに小学生のころから成長していないんだな。しかし季節は怠け者のtoshibonには無情(!)。モリタカの天才的な?歌詞の通り、「夏が終われば秋が来る」。
で、ここでの1曲はモリタカ・ソングではなく、9月の季節にちなんで、太田裕美の1977年のヒット曲、『九月の雨』を。
https://www.youtube.com/watch?v=yoYfq3xG8Kw

九月の雨
九月の雨
Sony Music Direct(Japan)Inc.
2017-04-26
デジタルミュージック

「季節に褪せない心があれば 人ってどんなに倖福かしら」の作詞は松本隆、作曲は筒美京平という日本ポップス史に名を刻む強力布陣。詞・曲・太田裕美の歌唱、そしてアレンジ! どれをとっても完璧だ。ストリングスと女声コーラスがバックを彩るこうした正統派Japanese Pops(歌謡曲)、最近は聴かれなくなったなぁ。



気まぐれに一冊⑤ 『島の精神誌』

「私は、島に次第に近づいてゆく瞬間が好きだ」
岡谷公二氏の『島の精神誌』(1981/思索社)の冒頭はこのフレーズから始まる。島に渡り、島をめぐる島旅に魅せられた人なら誰でもこの言葉にうなずくに違いない。1万トンの大型フェリーであれ、100トン足らずの小さな連絡船であれ、港を離れ、未知の島に向かう時のわくわくするような期待感。同時に味わうせつないようなときめき。そして、個別の表情をたたえた島々が、徐々に近づいてくる瞬間の郷愁と憧れが入り混じったような奇妙な感情。何時間にも及ぶ船旅ならなおさらのこと、出港と入港の際に感得するあの高揚とした気分が、島旅を忘れがたいものにする。


私が初めて渡った島は、島根県沖の日本海に浮かぶ隠岐(おき)の島だった。当時(20歳のころ)、折口信夫(釈迢空)の歌集『海やまのあひだ』に収められている-「この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ」-という歌を愛誦していた。この歌が折口信夫の島旅の印象から生まれたことから隠岐を選んだのだが、折口信夫が実際に渡ったのは九州の玄界灘に浮かぶ壱岐(いき)の島で、西日本の旅が初めてだった私は、隠岐と壱岐を間違えていたのだった。しかし、私にとって隠岐の島旅の印象は強烈で、その後の数々の島めぐりの旅へのスプリングボードとなった。(「男鹿島断章」1988より)

  

きまぐれに1曲⑦ 夏草の誘い

今日で8月も終わり。
毎年、晩夏に聴きたくなるのが、ジョニ・ミッチェルの『夏草の誘い The Hissing Of Summer Lawns』(1975年)というアルバム。
見開きのジャケットを開くと、夏の陽光を浴びてプールの水面に浮かぶジョニ・ミッチェルの大柄な身体が表題曲の「The Hissing Of Summer Lawns 」を奏でているようだ。どの曲もカラフルでキレていていいけれど、A面最後の「Shades Of Scarlet Conquering」が(詩の内容は夏とは全く関係ないけど)夏の終わりを告げるような余韻が残るバラードで、今の季節に聴くと昔のことが思い出されてなんだか切なくなる。



Joni Mitchell - Shades Of Scarlet Conquering


このころのジョニは、それまでのフォーク/ロック路線からジャズ路線というか、クロスオーバーな音楽に転換した時期で、次のアルバム「逃避行 Hejira」でそれがより深化(進化)したものとなる。初期のころの『Blue』やポップな『Court and Spark』もいいけど、緊張感と哀切が伴ったこの2作がジョニ・ミッチェルのアルバムでは一番好きだ。先鋭的な音楽性からいっても、今聞いても色褪せていない傑作だと思う。


もう10年近く前だったか、L.A.タイムズに掲載されたインタビューの中で、ジョニはボブ・ディランのことを「盗作野郎」、「いんちきでまがいもの」と発言して波紋を広げたことがあった。彼女はディラン(の曲)を好きだと公言していたはずだし、一緒にツアーをしたこともあったから話半分に聞くとしても、私はこの発言を結構的を射ているのでは、と共感したのだった(でも、ほとんどの人はジョニに批判的だったようだ)。
まぁ、御大ディランに対してこんなことを言えるのは、ジョニ・ミッチェルくらいなもので、彼女がポピュラー音楽全般に果たした功績は前人未到のものとしていくら讃えても讃えたりない。
モルジェロンズ病という難病を患っているらしく、3年ほど前には一時危篤状態になったというが、今はどうなんだろうか。ディランがノーベル文学賞をもらえるんだったら、ジョニだってその資格があるんじゃないの? 元恋人の故レナード・コーエンもネ…。こんなこと言ってたらキリがないけど。

夏草の誘い
夏草の誘い
ワーナーミュージック・ジャパン
2015-08-05
ミュージック

今思い出したけど、このアルバムは最初買ったのではなく、図書館から借りて聴いたのだった。
1976年の夏、そのころ住んでいた千葉県松戸市の市立図書館のレコード貸出コーナーで見つけて、図書館近くの江戸川べりの土手をレコードを抱えて歩いたんだった。


気まぐれに一冊④ 『東京的日常』から28年

関川夏央氏と山口文憲氏(以下敬称略)がファミリーレストランでうだうだしゃべっている雑談ネタをまとめた対談(筆談)集『東京的日常』を読んだのは、私が40歳になるちょっと前のことだった。2人ともいわゆる団塊世代ど真ん中、ウザーッとしたグチと自己憐憫にあふれたボヤキ節による対談は、ボケとツッコミのボヤキ漫才よろしくほとんど「芸」の域に達しているといってよく、そのボヤキが心に沁み、2人の語りにいたく共感したのを覚えている。それはうまく歳をとることができないまま中年にさしかかった独り者の「よるべのなさ」への共感と、60年代終わりころから90年代初めまでの時代を共有したことからくる同時代感覚であったろうか。


「山口:そうか。(関川は)サラリーマンやってたこともあるんだしな…。おれなんて、もう遅いよ。ぎりぎりでも35歳から始めないと、25年間納められないんだからな、60歳までに。
関川:もう駄目なの? 払えないの? このさい、この本の印税でまとめて払ったら(笑)。
山口:きいてみたら、どうも駄目らしいな。さかのぼって払えるのは2年分までなんだって。今からじゃ、加入しても、貰えるのは本当のあめ玉年金(泣)」(『東京的日常』より)


2006年に山口文憲は『団塊ひとりぼっち』(文春新書)というタイトルの本を出した。
関川夏央は初期の韓国系から劇画原作系、明治文豪系、昭和文豪系、昭和回想系、さらに鉄道オタ系の本も出すなど引き出しが多く、教養人・文化人としての地位を築いている。国民年金もちゃんと納めていてけっこう姑息(笑)。それに比して山口文憲は『東京的日常』で年金未払いを告白、関川夏央が年金を納めていると知り驚いていた時と、ボヤキの質がそんなに変わっていないような…。


「私のようにひとりぼっち派で、しかもいわゆる社会的通過儀礼をすべてサボってきた者にも、同じ運命が待っている。就職してネクタイをぶらさげることも、結婚式をすることも、子供に七五三をしてやることもなかった報いは、遅かれ早かれくるだろう(というか、もうとっくにきている)」。といったようなボヤキ漫才ならぬ「団塊ボヤキ漫談」といった内容で、こうした芸風?は1992年の『空腹の王子』(主婦の友社/新潮文庫)から変わっていない。


「私には原節子がついている。だからさびしくなんかない」とうたった『空腹の王子』は、独り者のマニフェストとでもいうべき大傑作だった。この本と関川夏央の『中年シングル生活』(講談社)、それに津野海太郎氏の『歩くひとりもの』(思想の科学社/ちくま文庫)とあわせて、私は勝手に「3大独り者本」と呼んでいる(ただ津野氏はこのあと結婚したため、一部の独身者から「歩く裏切り者」と揶揄された)。


『団塊ひとりぼっち』はアメリカのベビーブーマー世代と日本の団塊世代の対比が興味深かったし、「とりあえず(50代以上の男性は)セックスというものからそろそろ足を洗うようにしてみては」という具体的な提言が身にしみたが、自身の年金問題については書いていなかった。団塊世代同士、いや私も含めた後期高齢者予備軍たちの(経済)格差は、老人のセックスなんかよりずっと切実で、ボヤキではすまない話なのだけれど。


東京的日常 (ちくま文庫)
東京的日常 (ちくま文庫)
筑摩書房

文庫本(ちくま文庫)でも出ているみたいだけど、私が読んだのはリクルート出版から1990年に出た親本だった。それにしても、著書の多い関川氏に比べて遅筆という山口氏の新著をこのところみかけない。年金も支給されてないのに大丈夫なのかと他人事ながら心配(よけいないお世話だ! BY BUNKEN)。


きまぐれに1曲⑥ Their Hearts Were Full Of Spring

60年代の中ごろ、NHKTVで「アンディウィリアムス・ショー」というアメリカの音楽番組が確か日曜日のお昼すぎに放映されていた。そのころ小学校の高学年だった私は、この番組を見るのを楽しみにしていた。ある時、番組のゲストとして、お揃いの縦縞のシャツを着た身長が妙にデコボコした5人組のグループが出た。ビーチボーイズ(Beach Boys)という名のそのグループは、アカペラで1曲、楽器を持って1曲歌った。アカペラの曲は「Their Hearts Were Full Of Spring( 心には春がいっぱい)」というタイトルで、彼らのファルセットによるハーモニーの美しさ、かっこよさにいっぺんで惚れてしまった。というのも、そのころの私はウィーン少年合唱団に憧れていて、ボーイソプラノによるコーラスが大好きだったからだ。


TVでは「アンディ・ウィリアムス・ショー」、ラジオでは「9500万人のポピュラー・リクエスト」を視聴していた私は、やっぱりちょっと変わった子どもだったのだろう。だって、ビーチ・ボーイズの曲のテーマだったサーフィン? カスタム・カーを飛ばしてガールハント?? まるで理解不能、想像すらできない世界だったはずだから。そのころ私が生まれ育った東北の日本海に面した僻村で暮らす子どもには、海パンなんてものはまだなく、ふんどし姿で泳いでいた。赤いふんどし姿の小汚い少年たちがサザエ採りをしている海と、サーファー・ガールが浜辺に横たわるカリフォルニアの海…。ああ、同じ海でありながら、なんという違いだろう!    
もうひとつついでだから言っておくと、中学1年の時、遠足のバスの中で同級生の女の子たちが舟木一夫や三田明を合唱したあとに、ひとりビートルズの「ミッシェル」を歌って“アイラビュー、アイウォンチュー”と連呼したら、みんなから失笑を買い、すっかり浮きまくっていたのも私である……


Toshibon少年が見た「Their Hearts Were Full Of Spring」を歌うBB5の映像は、確かDVDにもなっている彼らのドキュメント『Endless Harmony 』に収録されていたと思うけど、Youtubeにもあげられていた。やっぱり今聞いても彼らのハーモニーは鳥肌ものだなぁ。
そして私にとってブライアン・ウィルソンは、この「アンディ・ウィリアムス・ショー」で透き通るような高音のファルセットで歌っていたのを見て以来の、永遠のポップ・アイドルといっていい。

The Beach Boys - Their Hearts Were Full Of Spring (1966)


こちらは20年後のBeach Boyたち。デニスはすでに亡く、ちょっとしんどそうな復活前のブライアンではあるけれど、やっぱりEndless Harmony にふさわしい唯一無二の歌声だ。
Ronald Reagan and Nancy Reagan Love tribute by the beach boys 1985