Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

北と南の津波石

東京京橋のアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)で、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2019年開催)の日本館で展示した「Cosmo-Eggs宇宙の卵」 の帰国展が、10月25日まで開催されていた。これはそこで展示されていた“津波石”の写真。


津波石とは、津波によって陸上に打ち上げられた巨石のことで、沖縄の先島諸島のものがよく知られている。この9枚の写真は宮古島と石垣島の中間に位置する多良間島の津波石で、サンゴ礁が石化したサンゴ石灰岩が大津波により運ばれたものといわれ、海岸だけでなく内陸部でも見られる。
先島諸島の津波石は、1771年(明和8年)の八重山地震による津波(明和の大津波)で運ばれたとされてきたがが、その後の研究でそれ以前の津波で運ばれたものもあることがわかっており、この岩(↓)もその可能性が高いと考えられている。


「Cosmo-Eggs宇宙の卵」は、キュレーターの服部浩之氏(秋田公立美術大学大学院准教授)を中心に、同じく秋美准教授の石倉敏明氏らによる協働プロジェクトで、この帰国展はヴェネチアでの展示をアーティゾン美術館の展示室にあわせ、映像や言葉、音楽によって再構成したものという。美術大学で教える気鋭のアーティストにありがちな頭でっかちさは気になりつつも、折口信夫の「若水の話」を引用した下道基行氏の聞き書きによる多良間島の丁寧な取材ノートを追いながら写真と映像で見た津波石は、南島の創世神話を想起させた。と同時に秋田県男鹿半島潮瀬崎にある岩塊と、その大きさ、形状とも似ていることにハッとした。それがとても不思議に思えた。


男鹿半島南海岸の潮瀬崎の波食台には、多良間島や石垣島のリーフに似て、津波石ではないかとされる岩塊が点在している(↓)。これらを津波石の可能性があるとしたのは秋田大学名誉教授(地質学)の白石建雄先生で、2012年12月に福島市で行われた日本地質学会東北支部会で初めて発表した。


白石先生は、対岸の鳥海山の噴火で山なだれが起き、それが津波を引き起こし運ばれたということも考えられるとしている。鳥海山の山体崩壊が起きたのが2600年~3000年前。海をはさんで鳥海山と向き合っている男鹿半島南岸は、大津波が起きれば直撃する位置にある。潮瀬崎の巨大岩塊は鳥海山の山体崩壊による大津波で運ばれたとするのは、荒唐無稽な話ではないだろう。

津波石?ではないかとされる潮瀬崎の岩塊


アーティゾン美術館で「Cosmo-Eggs宇宙の卵」と同時に開催されていた企画展が、秋田市出身のアーティストでtoshibon御贔屓の鴻池朋子さんによる「ちゅうがえり」展。
「東北を開く神話」(秋田県立美術館 2012)、「ハンターギャザラー」(秋田県立近代美術館 2018)に続き、これもまた見ごたえがあった。
コロナ禍で東京への往来がはばかられる状況で、秋田にゆかりのあるアーティストによる刺激的なコラボでもあったこの展覧会を見た人は、秋田県人でどれくらいいただろうか。
  

ジョシュ・ターナーの「風をあつめて」

ーAbout Josh Turner Guitar(ジョシュ・ターナー・ギターについて)ー
「ジョシュア・リー・ターナー(Joshua Lee Turner)は、ニューヨーク州ブルックリンに拠点を置くマルチインストゥルメンタリスト、シンガー、ソングライター、プロデューサーです。ジョシュはYouTubeチャンネルのジョシュ・ターナー・ギターで最もよく知られており、2007年に15歳でチャンネルを始めて以来、折衷的なカバーパフォーマンスとオリジナル音楽を投稿しています。ジョシュは現在、彼自身のオリジナル音楽をサポートし、長年のコラボレーターであるカーソン・マッキー(Carson McKee)とのユニット動画やとフォークデュオ「その他のお気に入り(The Other Favorites)」をサポートして国際的にツアーを行っています。2019年、ジョシュはオリジナル音楽の最初のフルレングス・アルバム『As Good a Place as Any』をリリースしました」
※YouTubeの゙Josh Turner Guitar゙チャンネル紹介文(英文をgoogl翻訳)より


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YouTubeでジョシュ・ターナー(Josh Turner)チャンネルを初めて見たのはいつだったろうか。はっきり覚えているのは、ビーチボーイズの「スループジョンB」のセッション動画だったような気がするけど、もっと前からYouTubeのレコメンド機能のおかげで、次々と出てくる彼の演奏を特別意識することなく見ていたような気がする。チャンネルにはロック、ジャズ、ブルース、ボサノバ、クラシカルと多彩なジャンルの曲をあげているのだけど、核となっているのはフォーク、カントリー、60年代から70年代にかけてのシンガーソングライターの系譜に連なる、私がもっとも親しんできた音楽。彼らが生まれるずっと前の古くて、おまけに渋い!曲のカバーが多い。どれもギターが凄くうまいんだけど、これ見よがしにテクニックを披露するというんじゃなくて、曲のよさを損なわずギターで引き出してあげるといった演奏。やさしい歌声とあいまって、音楽に対する敬意と真摯さが感じられて、好感度がもの凄く高い! そしてギターを押さえる指がとてもきれいだ!


チャンネルには、ジョシュひとりでの弾き語りや相棒のカーソン・マッキーとのデュオのほかに、他のアーティスト(特に女性)とのコラボ動画も多くたくさんあげている。パッと見はオタッキーなギター少年といった風で、あまり女性にモテそうに思えないのに、母性本能をくすぐる?流麗なギターテクニックのなせる業か、どれも息が合っていてなかなかいい感じ。なんか人を気持ちよくさせる、幸せにする音楽を奏でる人だと聞いていて思う。


そんな彼が、カーソン君と一緒にはっぴいえんど(細野晴臣+松本隆)の「風をあつめて」(1971)を歌っている。今、日本人の若いミュージシャンで、70年代初めの空気感というか、はっぴいえんど風味をこれだけ感じさせる人はいるだろうか?



風をあつめて (Gather the wind) - Happy End Cover


欧米人が「風をあつめて」を知るきっかけでもっとも多いと思われるのが、ソフィア・コッポラが監督した「ロスト・イン・トランスレーション」(2004)だろう。この映画のサウンドトラックとして「風をあつめて」が使われたからだ。だが、映画全体を支配するサウンドをヨーロッパテイストの楽曲でまとめたあの映画に「はっぴいえんど」はミスマッチ。アメリカ人の主人公にカラオケでロキシーミュージックの「モア・ザン・ディス(MoreThanThis)」を歌わせる厭らしくもスノッブな映画の演出スタイルと相容れない、居心地の悪さというか、齟齬が生じていたと感じたのは私だけだろうか。
この曲は、当時細野晴臣が傾倒していたバッファロー・スプリングフィールド、ジェイムス・テイラーなどの音楽を下敷きに創られている。ジョシュの「風をあつめて」がしっくりくるのは(彼らが今の日本人のミュージシャンとは違って)身体のなかにバッファロー・スプリングフィールドに代表される(それ以前も含めた)アメリカン・ミュージックの伝統と音楽的土壌がつまっているからで、いわば本歌取りをした「風をあつめて」にフィードバック(帰還)するかたちで馴染んでいるのは、当然のことなのかもしれない。それにしても、アメリカの若者が ♪緋色の帆を掲げた都市が~♫ なんて日本語で歌うなんて、『風街ろまん』を聞いた50年前には想像すらできなかったよなぁ~



ボブ・ディランの「ドント・シンク・トワイス(Don't Think Twice, It's All Right )」。彼らの両親もまだ生まれていないかもしれない1963年発表の曲を演奏(やる)なんて!
2011年というから9年前のこのころは18歳くらい? ギター少年といった感じで初々しい。



Don't Think Twice, It's Alright - Bob Dylan (The Other Favorites Cover)


ビートルズの「エリナリグビー(Eleanor Rigby)」。チャンネルにあげているビートルズのカバーのほとんどはポールの曲で、『ホワイトアルバム』の収録曲「マーサ・マイ・ディア(Martha My Dea)」もそう。しかし、選曲が渋すぎるぞ! バンジョーによるアレンジも絶品だ。ここでもいい味出しているカーソン・マッキーとは「The Other Favorites」名義でユニットを組んでコンサート活動をしていて、最近は女性2人を加えた4人編成でヨーロッパツアーもしている。



Eleanor Rigby



Martha My Dear


大好きなジョニ・ミッチェル、レナード・コーエンを女性ミュージシャンとのコラボで。なんかいい雰囲気でうらやましいぞW



All I Want - Joni Mitchell cover (Feat. Kami Maltz)



Hey That's No Way To Say Goodbye - Cover (Feat. Mary Spender)


バッファロースプリングフィールドの代表曲「For What It's Worth」をセッションで。

For What It's Worth - Buffalo Springfield Cover


今年リリースした2枚目のオリジナルアルバム『Public Life』の公式。少年から青年へ。大人になったジョシュの等身大の音楽が聞ける。


「風をあつめて」を歌ったことで、日本でもジョシュ・ターナーファンが増えただろうからいつの日か来日コンサートも夢ではない? 今はまだ一部の人にしか知られていないマイナーミュージシャンかもしれないけれど、これからもずっとフォローしていきたい人だ。

蕎麦屋でひとり

前にも書いたが、私の一番の飲み友だちは妻だ。
結婚前に妻と東京で初めてデートした場所は銀座のビアホール「銀座ライオン(7丁目店)」だった。そのころ日比谷で仕事をしていたビール好きな彼女が提案したように記憶している。2度目のデートは彼女が休みの日の昼下がり、神田の「かんだやぶそば(神田藪蕎麦)」で待ち合わせた。そして、この時から昼酒を飲みながらまったり過ごす蕎麦屋deデートが始まったのだった。蕎麦屋選定の基本は、午後の時間帯も通しで営業していて酒関連の品書きが充実しているところ。なので最もよく通ったのは、日本橋の「室町砂場」。彼女の仕事場から近い銀座の(移転前の)「よし田」もよく利用したなあ。


妻は仕事のない日は、今でも昼ひなか外で飲む酒に付き合ってくれ、おまけに貧乏な私を憐れんで?勘定まで払ってくれるのだが。。。。。。本当のところは蕎麦屋で私と一緒に飲むのは不満みたいだ。山屋さんの妻は、焼き鳥にビールといった肉食派で、私に合わせていると"小鳥さんの食事"になってしまいお腹がすくという。
歳をとるにつれ胃腸が丈夫でない私は、酒をガブガブ、つまみをガツガツというわけにはいかなくなってきた。酒は好きだがせいぜい正2合~2合半、あと軽めのつまみ2、3品、仕上げにさらっとした蕎麦、それで十分満足なのだ。


それで、いつの間にか蕎麦屋deデートから蕎麦屋deボッチに…(笑)
「かんだやぶそば」は全焼して再開してからは、足が遠のいている。すぐそばの「神田まつや」は好きだが、いつも混みすぎ! 蕎麦屋のひとり飲みで一番居心地がいいのが、虎ノ門の「大坂屋砂場」だろうか。

このコロナ禍の状況では居酒屋は敬遠せざるを得ないが、ここは安心だ。店に入ってすぐ目の前にアルコール消毒液。テーブル席の半分は使わないようにして、客を制限している。入口の戸や窓は開け、空調もしっかり回している。もともと客同士で大声で話すような人はおらず、特に私のようなおひとり様が時間を選んで入店する15時~17時あたりは、店内に客がいてもひっそりしているので、ウィルスの飛沫が飛ぶようなことはない。


1923年(大正12年)に建てられたという「虎ノ門大坂屋砂場」の店舗(国指定登録有形文化財)。目の前にそびえるのは、できたばかりの虎ノ門ヒルズビジネスタワー。

  


さっき店のホームページを見たら、通りの拡幅工事が行われるらしく、現店舗の営業は8月31日で終了。9月14日から仮店舗で営業するとのこと。驚いた!
詳しくは下記のHPをご覧ください。
https://www.toranomon-sunaba.com/news/

続・東京日記 大国魂神社のからす団扇

今から44年前、1976年の初夏から冬にかけて東京都下、府中(武蔵府中)に住んだ。甲州街道と京王線に交差して大国魂(おおくにたま)神社まで続くケヤキ並木(馬場大門のケヤキ並木として国指定天然記念物)を見て、いっぺんでこの町が好きになり、神社のすぐ東側にアパートを探しあて、窓からケヤキの杜が見える部屋を借りたのだった。


7月20日のすもも祭りには、神社の参道の両側いっぱいに悪鬼を祓うといわれるスモモを売る店が並んだ。そこで年に1度だけこの日に頒布される烏団扇(からすうちわ)を買い求めたのを今でもよく覚えている。飛ぶカラスを描いた黒い団扇。この団扇であおぐと農作物の病害虫が除かれ、病気も治るという。玄関先に飾ると魔を祓うというので、今もその時の烏団扇を飾っている。

    


京王線府中駅から大国魂神社まで、私が住んでいた後に植栽されたまだ若いケヤキに沿って歩いて行く。ケヤキ並木が旧甲州街道と交差して途切れると、大国魂神社の御影石の大きな鳥居が見えてくる。


鳥居(大国魂神社側)からケヤキ並木(府中駅方面)を望む。道路に面して立つ2本の大きなケヤキのうち、西側(左側)のケヤキは幹周り6.8m、推定樹齢400年の老巨木。樹勢が衰え主幹の一部が枯れているが、まだまだ生きながらえてほしい。


長い参道を歩いて隋神門の前まで来たら、大きなからす団扇と「疫病退散」という文字が目に飛び込んできた。ああ、本当に新型コロナウィルスをこの団扇で退散させてもらいたいものだ! 今年は感染防止対策として、混雑緩和のため20日のすもも祭りだけでなく、18日、19日も団扇を頒布するようだ。


大国魂神社拝殿


大国魂神社は武蔵国の総社とされ、武蔵国の一ノ宮から六ノ宮までを合わせ祀ることから、「六所宮」とも称される。「総社六所宮」の扁額がかかる拝殿内にも、からす団扇が掲げられていた。


きまぐれに1曲⑯ プラスティックラブ

もうすぐ夏至。2年前のこのブログにこんなことを書いた。
「 夏至に至る一週間くらい前の期間が一番日が長く感じられる。曇り空や雨の日も嫌いじゃないので、私は今ごろが一年でもっとも好きな季節ではあるのだが、なぜが毎年夏至の前後は精神的に落ち込むことが多い。過去の出来事ばかりが思い出され(それも恥ずかしさと後悔を伴って)、明け方早く目覚める、いわゆる早朝覚醒という不眠症に陥る。そのため日中に抑鬱的な気分になってしまう。まあ、歳のせいでもあるのだけど…」


今年も同じような心持ちで6月の日々を過ごしている。明け方早く目が覚めて過去の出来事に苛まれるのもおんなじ。加えてコロナ禍で数少ない仕事がキャンセルになり目標を失ったこともあって、2年前に増して抑鬱的な気分に支配されている。
こんな時どんな音楽を聴いて気分を紛らわしているのかといえば…
YouTubeから火がついた日本の70年代後半から80年代前半にかけての、いわゆるシティミュージックと呼ばれる音楽。なかでも今さらといった感じではあるが、竹内まりやの「プラスティックラブ」を散歩しながら飽かずに聴いている。


この曲が収録されたアルバムが発表されたのは今から36年も前の1984年。「セプテンバー」「不思議なピーチパイ」などのヒット曲はもちろん耳にしていたが、アルバムを買うほどのまりやファンではなかったこともあって、実はそのころも、それ以降もこの曲に接したことがなかった。それが2年前ころから、YouTubeで海外の視聴者の間で爆発的な話題を呼ぶようになったことで、遅まきながら聴くようになった次第。


80年代の初めころによく聞いていた日本の女性歌手といえば、大貫妙子と吉田美奈子。大貫妙子のいわゆるヨーロッパ3部作のうちの「ロマンティーク」(1980)」アバンチュール」(1981)を愛聴していた(今思えばアレンジを担当した坂本龍一およびYMOは好きじゃなかったのに不思議)。「プラスティックラブ」の12インチシングル盤での、痛みと陶酔感が合体したかの如き、リフレインが永遠に続くかのような最後の無限ループのコーラスには、大貫妙子も参加しているらしい。
吉田美奈子は「LIGHT’N UP」(1982)が素晴らしい出来で、このアルバムは今でも聴いている。収録曲の「頬に夜の灯」は同じ都会に生きる女性を歌っていても、恋の成就をやさしく励ますような慈愛に満ちており、その意味で「プラスティックラブ」とは対をなす名曲だ。


それにしても「プラスティックラブ」はよくできた曲だ。サウンド(特にホーンセクションをはじめとしたリズム隊)のグルーヴ感のかっこよさはもちろんだが、女性の喪失感を表現している詞がこの曲を時代を越えた普遍的なものにしている。海外ファンの手による英語の歌詞もあるのだが、この曲を覆う都会で暮らす若い女性の悲しみをたたえた切なさのニュアンスは、日本語、それも竹内まりやの歌唱で初めて伝わってくるような気がする。


公式、非公式(違法)にかかわらず、リミックス、再編集も含めて無数にアップロードされている「プラスティックラブ」のYouTubeのコメント欄は、おびただしい数の外国人(の英語)で占められているが、その中に「1980年代の私の偽の思い出を思い出させる」「経験しなかったノスタルジア」(いずれもGoogl翻訳)というのがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=r3kM4p0MMOA
おそらく70年代のコマーシャルフィルムを使ったこの動画(↑)は、80年代の「プラスティックラブ」とズレがあるのだが、宇宙服のような衣装で歌う竹内まりやと不思議にシンクロして、まさに“経験しなかったノスタルジア”を感じさせる。


レトロフューチャーといってしまえばそれまでだが、0系新幹線が今のロングノーズの新車両より未来っぽく見えてしまうこの感覚はどこからくるのだろう。そういえば、大貫妙子に「懐かしい未来」というタイトルの曲があった。