Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

哀愁の『JUNK HEAD』

遅ればせながら『JUNK HEAD』をようやく観た。このところ外で映画を観る機会から随分遠ざかっていて、新作映画の情報にも疎いのだが、さすがにこの映画には食指を動かされて久しぶりに映画館に足を運んだ。


本業が内装業の堀貴秀監督が、原案、絵コンテ、脚本、編集、撮影、演出、照明、アニメーター、デザイン、人形、セット、衣装、映像効果、音楽、声優をほぼひとりで担い、7年をかけて製作したというストップモーションアニメ。コマ撮りによる総ショット数が約14万コマという気の遠くなるような時間と労力、執念をかけて製作したというのが、信じ難く思う。



コマ撮りアニメ「Junk Head」のセットメイキング


地下世界の人工生命体マリガンのへんてこなキャラクター、クリーチャーがいっぱい出てきてグロい場面もあるのだが、一番怖かったのは筋肉強化女型マリガン(バルブ村の女衆/マルギータ)。強い女性に恐怖を感じるのは、toshibonが私生活で配偶者に虐げられているからだと、観終わって数日たってから、なんかジワジワと現実が映画の世界に侵されてしまった。


地下で可愛らしくも哀愁漂うサイボーグと化す主人公が、イノセントでとてもいいやつなんだ。もしかすると『不思議惑星キンザザ』が好きだというシャイな堀監督自身を投影したのかな? 地上での生活は寂しそうだった彼に、なんか感情移入してしまった。続編が製作されるみたいだけど(いつになるのか?)主人公はミッションをやり遂げて地上に帰れるのか、それとも‥‥


※堀貴秀監督インタビュー
孤高のクリエイター・堀貴秀が『JUNK HEAD』誕生秘話を語る - SCREEN ONLINE(スクリーンオンライン)

BAND-MAIDとLOVEBITESに刺さるw

この2月は、バンドメイド(BAND-MAID)とラブバイツ(LOVEBITES)月間というほど、ハードロックメタル系のこの2つのバンドを毎日聴いている。時々覗いているYouTubeチャンネルみのミュージックで紹介されていて、初めて知ったのが今月上旬。この手の音楽は普段ほとんど聴くことがないtoshibonなのに、なんと、ものの見事に“刺さり”ました~(笑)


メタルといえば、数年前ベビーメタル(BABY METAL)にこれもYouTube経由でハマり、CDまで買って、車の中で大音響で聴いたりしていたのだけど、一時の気まぐれだったのか最近は全く聴かなくなっていた。なのにバンドメイド、ラブバイツに刺さったのは、バンドのメンバー(特にバンドを支えるドラム、ベース)がテクニシャン揃いで、個々の力量や個性に惹きつけられること、そこから生まれるアンサンブル、一体感に、バンドってやっぱりいいな、これこそロックの醍醐味だな、と思わせるからだろうか。(ベビーメタルはあくまでメタルダンス“ユニット”であり、それが斬新でもあったのだが)


ラブバイツ(LOVEBITES)
midoriとmiyakoという個性の異なる2人のギタリスト、ツインリードの超絶技巧が冴えわたる。特にピアニストでもあるmiyakoはガチメタルのギタリストとは思えない佇まいで、ちょっと湿り気味の音色を奏でてジジイの琴線に触れるw 
メタルには中毒性があるのは知っているが、ラブバイツをイヤホンで聴いているとすごく眠くなるのはなんでだろう? 彼女らのようなスピードメタル(パワーメタル)は催眠効果もあるのか?



LOVEBITES / Holy War [Live at Zepp DiverCity Tokyo 2020]



LOVEBITES / When Destinies Align [4K MUSIC 


バンドメイド(BAND-MAID)
ポップ性もあり、歌詞も全曲英語のラブバイツと違って日本語とのちゃんぽんで親しみやすい。CITY POPの流行からもわかるように、海外ファンにとって歌詞が英語か日本語かはさほど重要でないように思える(もともとメタルハードロック系はよく聞き取れないし)のだけど、バンドメイドはメッセージ性の強い歌詞が結構多い。サウンドとの折り合いも含めて、今後この方向性をもっと強めて行くのか、ちょっと気になるところ。とはいっても、歌詞に意味をこめたハードな楽曲中になんか懐かしいロック!の要素が散りばめられていて、何より演奏する楽しさが伝わってくるのがこのバンドのよさ。まだ20代の若い女の子たちなのにそれが不思議。私も含めて60~70~のジジイにもファンがいるらしいのはそのせいなのかな。



BAND-MAID / DOMINATION (Official Live Video)



BAND-MAID / FREEDOM (Official Live Video



BAND-MAID / DICE (Official Music Video)


YouTubeのオフィシャルMVやライヴ動画のコメント欄が英語で埋め尽くされているのに加えて、リアクション動画の数も凄いことになっていて、日本よりも海外での人気の高さが半端ないことがわかる。
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗(元)会長の辞任騒動で、「世界が見ているから」などの発言が枕詞のように飛び交ったけど、ほんとかね? ジェンダーものにかこつけて、上から目線の日本批判をするいつものパターンの欧米メディアならいざ知らず、日本以外の国でオリンピック(それもドメスティックな内輪もめ)に関心のある国民、市井の人びとがどれほどいるのかってこと。コロナ禍で自宅に引きこもり、スマホやパソコンを見ている人が多いこの時世、日本関連で最も「世界が見ている」トピックは、これら日本のガールズバンドだったりして…?

きまぐれに1曲⑰ らっかさんブルース(1975)

「らっかさん」とは、1970年代の中ごろ、横須賀にあったロック喫茶(いわゆるカフェ&バーのような店)の名前である。そのころ鎌倉に住んでいた私は、時々横須賀線に乗って横須賀に行った。特に目的があるというわけではなく、横須賀中央公園で東京湾を眺めながらボーっとしたあと、日が暮れると京急横須賀中央駅から平坂を上ったところにあった「たこおでん」というおでん屋と、「明月」という寿司屋に立ち寄るのがお決まりのコースであった。繁華街から離れた街はずれにあるJR(当時は国鉄)横須賀駅まで歩いて帰る途中、横須賀米軍基地の正面ゲートの向かいあたりにあった「らっかさん」に酔い覚ましで立ち寄ることが多かった。
ある時、店内に置いてあったノートに綴られていたBosoBosoさんの詞を書き写して持ち帰り、曲をつけた。南正人の「ヨコスカブルース(海と男と女のブルース)」の一節("ヨコスカ発の夜汽車が走る”)を入れるなどして詞を少し変え、それでタイトルは「らっかさんブルース」とした。ノートにBosoBosoさんの住所が載っていたので、手紙を書いたら返事がきて、しばらく手紙のやりとりをして数年後にお会いした。
遠い日の幻のようなできごとである。



らっかさんブルース(1975) Yokosuka-Yokohama Version
※動画の撮影地は横須賀市の京急横須賀駅周辺(若松マーケット・平坂上)と横浜市野毛町
※南正人さんは、横浜市内で行われていたライブ中に意識を失い、今月(1月)8日に亡くなられました。ご冥福をお祈りします


テイラー・スィフトの「folklore(フォークロア)」

今さらかと思われるかもしれないが、テイラー・スィフト(Taylor Swift)の「folklore(フォークロア)」は傑作だ。今年後半、車のなかで一番聴いたのはこのアルバムかもしれない。
何といってもアルバムタイトルがいい。1980年代の初めに「New Folklore Express」という名のフリーペーパーを発行し(3号で終わったが)、一時この名義で事務所を設けた(架空の!!)ことのあるtoshibonには、このタイトルだけで涙腺崩壊(笑)。
ジャケットもいい。そして何より楽曲(全16曲)がいい。なかでも好きなのは、トラディショナルというか、どこか郷愁をそそる旋律の「seven」という曲。全曲分のリリックビデオがオフィシャルでYouTubeに公開されていて(ミックスリストで全曲視聴可能)、その固定カメラによる映像もいい。

Taylor Swift – seven (Official Lyric Video)


今年の夏、発売されてすぐにHot 100 の1位を獲得した「Cardigan(カーディガン)」をとりあえずYouTubeで聴いてみたら、なんかとても懐かしい感じがしたのだけど、プロデューサーに迎えたのがザ・ナショナル(The National)のギタリストでコンポーザーのアーロン・デスナー(Aaron Dessner)だというので、合点がいった。昨年の今ごろよく聞いていたのが、「I Am Easy to Find」という彼らのアルバムで、ピアノの旋律や曲全体の雰囲気、コンセプトが「folklore」似ていたからだ。新型コロナウィルスのパンデミックの中、楽曲制作は2人によるリモートワークによって行われたという。


「Cardigan」

Taylor Swift - cardigan (Official Lyric Video)


「Light Years」(The National)

The National - 'Light Years'


テイラー・スィフトはポップクイーンとして頂点を極めた人だけど、もともとはカントリー・ミュージック畑から出てきた人で、本人は高校生のころカントリーをやっていてダサいと同級生にバカにされたと言っている。実際、ちょっとイモっぽいところがあるような…(私なんかはそこが魅力?なんだけど)。
CMAアワード(カントリーミュージック協会賞)の最高賞を受賞した時の演奏だろうか、toshibon御贔屓のアリソン・クラウス(Alison Krauss)姉御やヴィンス・ギル(Vince Gill)などカントリー界の大御所を従えて、カントリー・ロックとでもいうべき「Red」を歌っているリハーサル映像本番と遜色ない出来!)なんか鳥肌ものだ。


彼女は「隔離生活を送っている間、私の想像力はどんどん膨らんでいった。意識の流れに身を任せることで、このアルバムの楽曲と物語が自然と生まれてきた」と綴っているが、
コロナ禍のなかでの閉塞感を歌ったものではない。パーソナルだが陰でも、閉じこもってもいない。細やかな音色だが言葉は力強い。やすらぎと同時に勇気づけられるというか、前を向かせる音楽だと思う。ふと(ジョニ・ミッチェルを聴いていた時のような)70年代の女性のシンガーソングライターたちに通ずる懐かしい感覚が呼び起こされたのだけど、もっと感情の揺れはエモーショナルで、痛みはもっと近しい。
トータルアルバムとして見て、ひとつひとつの曲をつないでいけば、きっと「物語」があるのだろう。そこに「folklore」というタイトルをつけた意味があるのだろうが、私の読解力ではそこまでたどり着けない。それにしても、テイラー・スィフトでジョニ・ミッチェルを聴いているような心持になろうとは……。

岬めぐり

20代の初めころ、神奈川県の鎌倉市に1年ほど住んだことがあった。そこでアルバイトをしていた喫茶店では、親睦と慰労をかねた日帰り遠足(レクリエーション)を時々行っていて、その行き先のひとつが鎌倉と同じ三浦半島にある観音崎だった。その時に東京湾を航行する船の多様さも含めた数の多さと、暖地生の植物が繁茂する岬の風光に強い印象を受けた。
いつだったかある高名な学者が、隠居したら観音崎の近くにアパートを借り、東京湾を行き交う船を1日中眺めていたい、と新聞のコラムに書いていた。それを読んで私も歳をとったら是非そうしたいものだと共感を覚えたのも、初めて観音崎を訪れた時の記憶が強く残っていたからだろう。
観音崎は東京湾の中でも水路が狭まった浦賀水道に面している。岬をかすめるように航行する貨物船、タンカー、フェリー、セーリングのヨット、漁船…、日がな一日それらを眺めて過ごせたなら、どんなに幸せなことだろうか、と今でも思う。
※観音崎の横須賀美術館 https://tabunoki.muragon.com/entry/83.html

観音崎公園(神奈川県横須賀市)


1970年代にヒットしたフォークソングのひとつに、「岬めぐり」という歌がある。演奏しているのは山本コータロー&ウィークエンドで、作詞は「瀬戸の花嫁」や「翼をください」など数多くのヒット曲を手がけている山上路夫。山上のつくる歌詞は、平易なことばで綴られたシンプルな詞の奥に“物語”を感じさせるものが多い。「岬めぐり」も失恋した男の感傷旅行、ありきたりなハートブレイクものにみえて、恋人(妻かもしれない)を失った=亡くした悲しみ、もっと深い喪失感を歌っているように思える。
この歌の「岬」とはどこの「岬」なのだろうと、ずっと気になっていたのだが、最近になって三浦半島をモデルにしたと作詞家本人が語っていることを知った。三浦半島には観音崎のほか、剣崎、荒崎、長者ヶ崎などがある。私は四国の足摺岬、あるいは北海道の襟裳岬あたりのことを歌ったのかな、と思っていたのだが、確かに岬がたくさんある半島のほうが「岬めぐり」にはふさわしい。


数年前、インターネットで「岬めぐり」を検索していて「でんでんむしの岬めぐり」というブログに出合った。自称岬評論家の「でんでんむし(ハンドルネーム)」さんが、日本全国津々浦々の岬(崎)を訪ね歩いた旅の記録(岬コレクション)が綴られていて、その情熱に圧倒されてしまった。ブログには「岬・崎・鼻データベース」も載せてあり、それによると日本中の岬(崎・鼻を含む)の総数は「3703」あるらしい。さすが日本は海洋国家、海岸線が複雑に入り組んでいる島国であることが、この数字に表れている。
「でんでんむし」さんの岬行脚には遠く及ばないが、思い出してみれば私も結構な数の岬(崎)に足を運んでいる。そこでこれまでの旅の中で、特に思い入れが深く印象に残った岬をひとつだけあげてみたい。その岬の名は沖縄県与那国島の東崎(あがりざき)。


日本の最西端の与那国島に渡ったのは、20代も終わりのころだった。与那国島は沖縄ことばで「どなん」と呼ばれているが、これは渡航が難しいという意味の「渡難」に由来するともいう(こじつけで俗説らしいが)。私は石垣島から定期船で渡ったのだが、途中の海域はいつも波が高く、汚いことばだが通称「ゲロ船」の名があるほど大揺れすることで知られる。私もそのことば通り、悲惨な目にあってしまったのだが、そうして渡った島の印象は、「どなん」の苦労を忘れさせてくれるほど、印象深いものだった。
与那国島は東西に長く、東崎はその名の通り島の東端にある。ちなみに島の西端は西崎(いりざき)といい、晴れた日には台湾が見えることもあるという。尖閣諸島から約150キロの近距離にある国境の島でもある。周囲は約27㎞しかないので、自転車でも1日でゆっくりまわれるのだが、着いた翌日にレンタバイクで東崎まで行ってみた。古くから与那国島で飼育されてきた与那国馬が放牧された岬の突端に立つと、すぐに「ニライカナイ」信仰に思いが及んだ。
「ニライカナイ」は沖縄など南西諸島と呼ばれる島々の信仰の基本的な概念で、そこは豊穣や生命の源である楽土であり、死者の魂が赴く異界でもある。遥か遠い海の彼方にわれわれの住むこの世界(現世)とは別の、神々の住む国(他界)があり、神々は年に一度そこからこちらの世界にやっきて人々に福を授け、また帰っていくとされる。
そのころの私は民俗学に惹かれ、柳田国男の『海上の道』や折口信夫の「マレビト」論などで言及される「ニライカナイ」に関心を抱き、これら民俗学者が著した沖縄関連の書籍を読み漁っていた。与那国島をはじめとする南西諸島への旅を計画したのも、私自身の興味のありどころを確かめたいと思ったからで、東崎はその実施検証の場のひとつだった。


突端に灯台が立つ東崎。与那国島は周りをリーフで囲まれている八重山諸島の他の島と違って、堆積岩が隆起してできたため起伏が大きく、東西の岬も波で浸食された断崖絶壁となっている。


岬には次のような歌詞が刻まれた碑が立っていた。
〈与那国ぬ 島に渡てぃ 東崎(あがりざち) 登(ぬぶ)てぃ 見れば あん美(ちゅ)らさ波ぬ 花になゆさ 情き深さ島ぬ 心(くくる)あらわす 波ぬ花 いちまでぃん いちまでぃん  眺みぶさ〉
これは沖縄本島出身のミュージシャン喜納昌吉がこの岬のことを歌った「東崎(アガリザチ)」の一節。私も歌詞と同じように、海の彼方を「いちまでぃん いちまでぃん(いつまでもいつまでも)」見あきることなく眺めていたことを、今でも折に触れて思い出す。


泊まった民宿にあった大正2年(1913)謹製の与那国島の地図。左(西端)が西崎、右(東端)が東崎


(「秋健時報」2013年10月号 掲載)