Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

気まぐれに1冊⑩ 『東京日記6 さよなら、ながいくん。』

―東京が雨なので「ながいくん」を連れて出かける。電車に乗り、用をたし、また電車に乗って家に帰ってきて、気がついてみると「ながいくん」の姿がない。しばらく茫然とし、それから「さよなら、ながいくん」とつぶやき、少し泣く―


これは川上弘美さんの『東京日記6 さよなら、ながいくん。』に載っていた「十一月某日 雨のち晴」の日の出来事。「ながいくん」って誰?と思われた方がいるかもしれないが、彼は人ではありません。傘です。


『東京日記6』によれば、川上さんが2泊3日の台湾旅行に赴く際、折り畳み傘ではなく透明な長い傘を一本持参したのだが、一度も使うことなく帰ってきたので、これからは海外短期滞在旅行にはこの傘をいつも持参しようと決意し、「ながいくん」名付けたのだという。ところが、「雨のち晴」の某日に都内をあちこち歩いているうち「ながいくん」をどこかに(多分電車の中に)忘れてきたらしい。それで「さよなら、ながいくん」となったのである。にしても、この「ながいくん」を本のタイトルにするなんて、そんなに愛着があったのかな?


海外旅行に長い透明傘を持っていくのも可笑しいが、その傘に名前を付けて失くしたら「少し泣く」のも(ほんとか?)可笑しい。『東京日記』はこの「6」が最新刊だが、もとの発表の場が「東京人」~「ウェブ平凡https://webheibon.jp/tokyonikkiの連載ということもあるのだろう、女性のエッセイストにありがちな「芸」を売るあざとさや押しつけがましさがないので、小説と違って『東京日記』に限っていえば、ことばが素直でスーッと読める。もう文壇の大御所なのだけど、未だに理系女子(と言ってももう64歳にもなるなんて!)と呼びたくなるようなたたずまいが感じられるのもtoshibon好みであります。
ということで、これで「気まぐれに一冊」読了、といきたいところだが、今回はここからが本題なので、少々おつきあいのほどを。


『さよなら、ながいくん』を手に取った時、toshibonはドキッとした。なぜなら、今回の『東京日記』のタイトルは、私の名字(姓)をひらがなにして「くん」付けし、それに「さよなら」していたから! (再婚しているかどうかは不明なので)まさか川上さんの恋人がtoshibonと同名で、その彼との別れ話を書いているのか? と思って読んでみたら恋人じゃなくて「傘」というオチだったけど…(笑)


川上さんは2001年に『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞を受賞した。授賞式が行われたのは皇居の真ん前にあるT會舘で、そこに私の妻の仕事場があり、なんと式当日に川上さんを担当したのだという。そのことを知ったのは授賞式が終わってからで、唐突に「川上弘美さんて知っている?」と訊くではないか。妻はブンガク方面にはとんと興味のない人なので、「背の高い人だった」という以外、特に印象はなかったみたいだけど、、、、ああ、あらかじめ知っていたなら妻に頼んで『センセイの鞄』にサインしてもらったのに!


それともうひとつ肝心なことなんだけど、妻は私のことを「ながいくん」と名字に「くん」付けで呼ぶ。友人たちにも使っている。結婚してからずっと変わらない。下の名前(First Name)で呼ばれたことがただの一度もない。これってどうなの? たまには名前を呼んでくれないかな(ちなみに私は妻のことを名前に「さん」付けで呼んでいる)、と思うのだが、いつ「さよなら、ながいくん」といわれるか、ほんとに日々ビクビクして過ごしているので、怖くて言えないのです。