Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

「鞍馬天狗」と「バットマン」

時々アクセスするテシさんというイギリス滞在中のイタリア人女性のYouTubeチャンネルを見ていたら、ロンドンの街をマスクをして歩いている彼女に、すれ違った男性が「マスクを外せ!」と声を放つ動画があり、彼女と同様にちょっとした恐怖感を覚えた。欧米人にとってマスクがこれほどまでに抵抗感があるという理由は何だろうか。


欧米における新型コロナ感染拡大とマスク着用の関連を考察した別のチャンネルのコメント欄に、米国で暮らしたことのある日本人の書き込みで、「自分の気持ちを目で表そうとしても反応が無かったけど口で表したら理解してくれるようになった。おかげで帰国した後も話すときに口元を大げさに動かす癖がついてしまった」というのがあった。
さらに「米国や欧州でマスクが嫌われているのが、表情がわからない、言葉でハッキリ言ってほしいという思いがあるなら、それも納得できる」「日本人は目元、欧米人は口元を見て感情を読み取ろうとする、っていうのが顔文字にも反映されている」「欧米などにおいてマスクを付けることは、日本人にとってサングラスを付けているのと同じで表情を読み取るのが困難ということと、マスクによって個性が隠されている、個人の自由が抑圧されている様に思うのもあるのでは」「以心伝心とか目礼、微妙な視線といった日本人にしか分からない繊細なコミュニケーションスキルが、マスクを文化として容易に受け入れさせている」という指摘があり、なるほど、と思った。


なかでも共感したのは―「バットマンやキャプテンアメリカとか、他にもいろんなアメコミヒーローがどんな変装しようと口元を隠さないのがいい例。欧米人にとって口元を隠すという行為がどれほどありえないかがよくわかる」
確かにその通りで、映画における「バットマン」、「アベンジャーズ」のキャプテンアメリカ、「ロボコップ」なんかは、まさに「目元隠して口元隠さず」(反対に悪である西部劇の列車強盗や銀行強盗は口を布で隠すのが定番スタイル)。全身鋼鉄?なのに口の周りだけが無防備のロボコップなんか、口元を狙って撃てば簡単に殺られるんじゃぁと、映画を見ていて何度思ったことか。それに反して日本の時代劇ヒーロー「鞍馬天狗」は、なぜか口だけを申し訳程度に隠している。「月光仮面」はサングラスをしてはいるけど、口と鼻を白い布でこれでもかというくらい覆っていて、これぞマスクというイメージ。面白いのはハリウッド映画でも、日本発祥の「ニンジャ」となるとさすがに口を隠す(笑)。


さらに映画関連でこんな指摘もあった―「ハンニバルの映画だったかな、拘束具としてのマスクをつけているポスターがあったね。欧米人にはマスクにはあのイメージが付きまとうんだろうか。不織布で拘束なんてありえないけど、意識に深く突き刺さっているのなら苦手意識は簡単に克服できないかもね」。「羊たちの沈黙」「ハンニバル」のレクター博士の強烈なマスク姿が、マスク拒否の潜在意識としてあるというのは、あながち的外れではないのかもしれない。