Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

子どものころの"ひとり野球"

また野球の話。地方の過疎化が進み、私の通っていた小学校も20年前に閉校になってしまったが、小学生だった昭和30年代当時はとにかく子どもが多くて、同じ集落に住む男の子たちが集まると、屋外でいろんな遊びをした。なかでもよくやったのが野球で、打って一塁に向かう走者に球をぶつけるとアウト(なので球は柔らかいテニスボール)、というルールがある三角ベースで遊んだように記憶している。集落のなかに森林軌道(トロッコ)で運んでくる杉丸太の集積場(貯木場)があって、そこが即席の野球場となった。


貯木していない時は、落ちている杉皮をライン替わりにして、野球だけでなく「陣取り」遊びもよくやったなぁ。


私の家はこの貯木場に面していたこともあって、みんなと遊ばない時はここで「ひとり野球」をした。置いてある杉丸太に軟式ボールをあてて、返ってきたボールの行方でゲームが進行するというもの。ボールを丸太に当てる時の上下左右の角度、スピードの強弱―例えば丸太の上部に当てればフライに、下部に当てればゴロになり、上部に強く当てればホームラン、中ほどに強く当てればライナー、下部に弱く当てればバントになる。その打球を処理する際には、勝たせたいチームにはファインプレー、負けさせたいチームはわざとエラーするなんてこともしてアウト、セーフを調節し、頭の中で勝手に試合の流れを思い描いて勝敗を決める。投手、打者、野手、監督をすべてひとりで兼ねる、まさに究極の「ひとり遊び」とでもいえようか。
子どもころからtoshibonは空想癖によるひとり遊びに長けていたんだねw


対戦は決まって大毎オリオンズ(今の千葉ロッテマリーンズの源流)と巨人(読売ジャイアンツ)で、いつもオリオンズが勝った(だいたいがシーソーゲームで最後にはオリオンズが勝つ試合展開)。なぜなら、1960年(昭和35年)に榎本、山内、田宮らを擁する「ミサイル打線」でリーグ優勝した時、なぜか子どもごころに大毎オリオンズのファンになってしまったから(それにしても古い話だなぁ)。以来、今に至るまでパ・リーグびいきアンチジャイアンツで通している。


私の父は器用な人で、雷が落ちた木で作った『ナチュラル』の”ワンダーボーイ”とはいかないが、杉の木でバットを作ってくれた。グローブも買ってくれた。そのグローブを持って貯木場でポーズをとる小学4~5年生ころのtoshibon。