Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

続・東京日記 トシボン改めトシドン!?

東京都中央区の日本橋高島屋S.C.本館4Fにある高島屋史料館TOKYOで開催されている「まれびとと祝祭―祈りの神秘、芸術の力―」(8月21日まで、月・火曜休館)を覗いてみた。


文芸評論家で多摩美術大教授の安藤礼二氏の監修で、写真家・石川直樹氏による日本各地の来訪神儀礼(フサマラー、ミルクマユンガナシパーントゥボゼ、トシドン、オニ、ケベス、アマメハギ、アマハゲ、ナマハゲ、ナゴメハギ、ミズカブリ、スネカ)の写真と祭祀の解説、岡本太郎の東北地方の民俗行事関連写真と作品、アイヌの衣服、1978年を最後に途絶えている沖縄久高島 の祭祀「イザイホー」の映像など、小さなスペースに脈路なく展示されている。

展覧会のチラシには、この展示の意義についてこう述べている。
「本展では、まれびとと祝祭を現在の視点からとらえ直してみたいと思います。古より人類は、幾度も疫病の脅威にさらされてきましたが、我々は祝祭(祭り)と、その時間的・空間的中心に現れるまれびと(来訪神)を信仰することにより、それらを乗り越える経験を重ねてきました。感染症パンデミックにより、不可避的に閉ざされた関係を強いられている現在だからこそ、改めてまれびとと祝祭に目を向け、これら根源に立ち返ることが、現状を打ち破るヒントになるのではないかと考えます」

「まれびと」の一形態であるとされている異形の神が訪れ来る僻村で生まれ、子どものころを過ごしたtoshibon。「まれびと」「来訪神」に関しては、屈折した思い入れと、ことばを超えた感情が呼び覚まされるので、ここで語られていることの意味とこの展覧会の意義が、いまひとつよく飲み込めない。

1978年を最後に途絶えている「イザイホー」の映像を見ながら、遥か40年前の1981年に久高島に渡り「ニライカナイ」を夢見た時のことや、久高島の御嶽に足を踏み入れ(るという禁忌破りを犯し)た岡本太郎の「何もないことの眩暈(めまい)」という沖縄の神信仰の本質を捉えたことばに思いをめぐらせていたら、鹿児島県甑島の「トシドン」の写真を見ていた妻が、私にそっと「トシボン」じゃなくて「トシドン」にしたら、と言う。
最近、妻の機嫌がいいのがうれしい。




見終えてから、高島屋のレストラン街でご飯にしようかと言ったら、「そんなところでは食べたくない、久しぶりに泥鰌でも食べない」と、彼女が提案する。例年より早く梅雨が明けたと思ったら、連日の猛暑。日ごとに気温が上がってバテ気味なので、いつもなら近くの「室町砂場」で一杯やりながらの蕎麦コースだが、こんな時はスタミナのつくものがいいと私も同意。珍しくふたりの食べたいものが一致した。

日本橋から都営地下鉄一本で行ける「駒形どぜう」へ。みなさん考えることは同じなのか、店の前には順番待ちの人たちが並んでいる。まあ、人気店だから仕方がない。20分ほど待ってありついた泥鰌鍋。ビールもいいけど、お燗したお酒と相性がよい。暑い時には熱い飲み物と食べ物。このところなぜか私にやさしい妻。「トシボン」から「トシドン」に変身しそうな勢いで、こんなに上機嫌で食べて飲んだのは、随分久しぶりのような気がするな。