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髪結いの亭主 物書きの妻

気仙沼 五十鈴神社と大島大橋

4月7日、宮城県気仙沼市の大島と本土を結ぶ気仙沼大島大橋が開通したのをニュースで知った。https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1178703.html


気仙沼市の大島といっても、東北地方の太平洋側(三陸)の住民でなければ、あまりなじみのない島かもしれない。人口2400人余り、面積も東北最大の有人島で、全国に「大島」があることから、気仙沼大島と呼ばれたりもする。


たまたまひと月ほど前、気仙沼市のリアスアーク美術館に行ったついでに、気仙沼湾の最奥にある小さな岬(神明崎)に鎮座する五十鈴神社に詣でたら、対岸の桟橋からちょうど定期フェリーが大島に向けて出港するところだった。その前に立ち寄った気仙沼港の観光施設「海の市」内に展示してあるパネルで、本土と大島を結ぶ橋が架けられ、フェリーが廃止されることを知ったばかりだったので、あわてて写真を撮った。


五十鈴神社。この神社の宮司さんだった方(故人)と菅江真澄という江戸期の旅人の調査を介して懇意にしていただいたこともあって、これまで数度訪れている。


神社のある神明崎は全体が石灰岩でできていて、管弦窟(かんげんくつ)と呼ばれる洞窟(石灰洞)がある。かつては潮の干満により音を奏でていたといわれ、窟の前にその名の由来を詠んだ菅江真澄の歌碑があったが、震災の津波で流失してしまった。


神明崎の突端から気仙沼湾と気仙沼港、大島を望む。遠くに小さく見えるアーチ状の橋(矢印)が気仙沼大島大橋。この鳥居の下には朱塗りの橋でつながった浮見堂、恵比寿像があったが、これも津波で流失した。


フェリーを利用し、初めて大島に渡ったのは20年ほど前の夏。鳴き砂で有名な十八鳴浜(くぐなりはま)を歩いた後、島の最高峰亀山(235m)にリフト(津波被害で現在は営業していない)を利用し登ったことを思い出した。

架橋構想は50年ほど前からあったというが、震災で島が孤立状態になったことなどから、国の復興事業で早期に完成をみたようだ。橋の開通により、定期フェリーの運航は開通したその日に終わりを迎えた。