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髪結いの亭主 物書きの妻

気まぐれに一冊⑤ 『島の精神誌』

「私は、島に次第に近づいてゆく瞬間が好きだ」
岡谷公二氏の『島の精神誌』(1981/思索社)の冒頭はこのフレーズから始まる。島に渡り、島をめぐる島旅に魅せられた人なら誰でもこの言葉にうなずくに違いない。1万トンの大型フェリーであれ、100トン足らずの小さな連絡船であれ、港を離れ、未知の島に向かう時のわくわくするような期待感。同時に味わうせつないようなときめき。そして、個別の表情をたたえた島々が、徐々に近づいてくる瞬間の郷愁と憧れが入り混じったような奇妙な感情。何時間にも及ぶ船旅ならなおさらのこと、出港と入港の際に感得するあの高揚とした気分が、島旅を忘れがたいものにする。


私が初めて渡った島は、島根県沖の日本海に浮かぶ隠岐(おき)の島だった。当時(20歳のころ)、折口信夫(釈迢空)の歌集『海やまのあひだ』に収められている-「この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ」-という歌を愛誦していた。この歌が折口信夫の島旅の印象から生まれたことから隠岐を選んだのだが、折口信夫が実際に渡ったのは九州の玄界灘に浮かぶ壱岐(いき)の島で、西日本の旅が初めてだった私は、隠岐と壱岐を間違えていたのだった。しかし、私にとって隠岐の島旅の印象は強烈で、その後の数々の島めぐりの旅へのスプリングボードとなった。(「男鹿島断章」1988より)

  

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