Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

盛岡 石めぐり②

盛岡に行くと立ち寄らずにはいられないのが、下の橋のそばにある「蕎麦喰い処 やまや」。人気店なのでお昼どきを外して行ったのに、さほど広くない店内は老若男女でいっぱい。居酒屋より蕎麦屋で酒を飲むのが好きなtoshibonだが、このたびは車で帰らなければならないのでぐっと我慢し、更科二枚と鰊の煮付けを注文。途中で相席になった人が、もりそばのほかに鍋を注文してワシワシ食べている。メニューを見ると「蕎麦喰い鴨鍋(冬季限定)」とある。そうそう盛岡にも来られないから、来年の冬までおあずけか… 
それにしてもこの店は蕎麦もお酒も肴も本当に旨い! 特筆すべきはこんなに旨いのに安いこと!(これが重要)。 仕事はきっちり、それでいて肩ひじ張らず気取りのないこんな蕎麦屋が自分の住む町にもあったらなぁ~。


「やまや」から岩手公園(近年、盛岡城跡公園に名を変えたらしいが)を抜けて中の橋方面へ向かう。盛岡城は花崗岩(花崗閃緑岩)の巨大な岩盤の上に築かれた。なので、城内には花崗岩の巨石、奇石がいたるところに顔を出している。全国的にみても、こんな城跡は珍しいのでは。


城の南面(下の橋側)で見られる白っぽい花崗岩(盛岡石)の石垣。三角錐の角石の微妙に反った曲線が美しい。


修復されてない古い石垣の花崗岩。黒っぽい角閃石や黒雲母が目立ち、正確には花崗閃緑岩(通称ごま石)と呼ばれる。



城の東側にあたるこのあたりは帯曲輪と呼ばれている城郭の一角で、その下に小さな川が流れている。ここは朝日谷といって、一帯は「烏帽子岩」と並ぶ城跡の巨石スポットになっている。

宮沢賢治がここで蛭石を採取したとか。
賢治が盛岡中学1年生のころの作歌といわれる「公園の円き岩べに蛭石を われらひろえばぼんやりぬくし」。この歌の「公園」は岩手公園、「円(まる)き岩べ」とは花崗岩の巨石を指している、と推定されているからだ。


「円き岩」はこの花崗岩かもしれない。



朝日谷の巨石群の対岸にある宮沢賢治の「岩手公園」詩碑(↑)。盛岡市役所裏の中津川沿いにも、この詩の最終フレーズ「川と銀行木のみどり まちはしづかにたそがるる」を刻んだ詩碑がある(↓)。


日本各地の城跡などを近代公園化したことで知られる造園家・長岡安平の手になる鶴が池のあたりも、花崗岩がオブジェのように点在している。


城跡公園から中の橋を渡って紺屋町のクラムボンへ。今年の正月3日にここを訪ねて、元日に店主の高橋正明さんが亡くなったことを告げる貼り紙に呆然、それから2か月経っての再訪問。娘さんが店を引き継いで忙しく働いていた。店のたたずまいもやってくるお客さんも以前と変わらない。いつも通りのクラムボンだった。「やまや」と「クラムボン」があれば、盛岡は安心だ。