Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

十二月の旅人よ

2018年もあと1日。5年前の2013年12月30日は大瀧詠一が亡くなった日だ。なぜ覚えているのかといえば、その日は朝から録音していた山下達郎との「新春放談」やNHKFMで放送した「日本ポップス伝」をずっと聞いていたからだ。夜になってネットニュースで知り、衝撃を受けたのが、ついこの間のように思える。


「十二月の旅人よ」というのは、大瀧詠一の1981年のアルバム『A  LONG  VACATION』に収録されていた「さらばシベリア鉄道」の歌詞に出てくるフレーズ。作詞は松本隆だが、松本は大瀧の葬儀に参列した日、ツイッターで「今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。(中略)北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だねと」とメッセージを残した。
「さらばシベリア鉄道」は太田裕美も歌っていて(大瀧より太田バージョンのほうが有名か)、『十二月の旅人』(1980)というタイトルのアルバムも出している。


大瀧の楽曲は古今東西のポップスからの”引用”でできていることはよく知られているが、「さらばシベリア鉄道」にも元ネタがある。このサイトに詳しいが(http://www.popular-song.com/similar/john-leyton-tornados.html)、聴くとほぼパクリといっていいと思う。


同じ『A  LONG VACATION』の収録曲「カナリア諸島にて」が、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)の「Please Let Me Wonder」が元ネタだといわれれば(本人がそう言っている)、まあ、そんなものだろうと気にもとめないが、「さらばシベリア鉄道」はアレンジ(萩田光雄)も全く同じで恥じらいもユーモアもなく、直球!という感じ。オマージュ、トリビュート、インスパイア、パロディ…など、ことばで取り繕うにしてはあからさますぎて、他の歌手(太田裕美)への提供も含めて、こればかりは擁護する気になれない。金沢明子の歌で大瀧がプロデュースした「イエローサブマリン音頭」(1982)はレノン=マッカトニーのクレジットになっている。でも、オリジナリティという観点からみれば「さらばシベリア鉄道」よりこちらのほうがずっとすぐれている。


とはいっても、私は他のどんなミュージシャンよりも大瀧詠一にシンパシーを抱き、敬愛し、リスペクトしている。1960年代、日本全国の辺境や僻村や都市のエアポケットで、米英のポップスを中心にした”ポピュラー音楽”に、いつも独りぼっちで耳を傾けていた無数の少年少女の孤独の魂が結晶化したような人が大瀧詠一だったと思う。                                                         


大瀧詠一は「はっぴいえんど」の4人のなかで、ひとりだけ東北(岩手県)出身だった(他の3人は東京都)。母子家庭で少年時代は教師の母の赴任地(江刺市、遠野市、釜石市、花巻市)を移り住んだ(転校した)ようだ。「映画カラオケ(カラオケに歌手がいないように、映画の場面から役者を抜いてその世界を歩く)」などの゙ひとり遊び゙に長けているのは、そのせいかもしれない。
(敬称は略しました)