Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

気まぐれに一冊④ 『東京的日常』から28年

関川夏央氏と山口文憲氏(以下敬称略)がファミリーレストランでうだうだしゃべっている雑談ネタをまとめた対談(筆談)集『東京的日常』を読んだのは、私が40歳になるちょっと前のことだった。2人ともいわゆる団塊世代ど真ん中、ウザーッとしたグチと自己憐憫にあふれたボヤキ節による対談は、ボケとツッコミのボヤキ漫才よろしくほとんど「芸」の域に達しているといってよく、そのボヤキが心に沁み、2人の語りにいたく共感したのを覚えている。それはうまく歳をとることができないまま中年にさしかかった独り者の「よるべのなさ」への共感と、60年代終わりころから90年代初めまでの時代を共有したことからくる同時代感覚であったろうか。


「山口:そうか。(関川は)サラリーマンやってたこともあるんだしな…。おれなんて、もう遅いよ。ぎりぎりでも35歳から始めないと、25年間納められないんだからな、60歳までに。
関川:もう駄目なの? 払えないの? このさい、この本の印税でまとめて払ったら(笑)。
山口:きいてみたら、どうも駄目らしいな。さかのぼって払えるのは2年分までなんだって。今からじゃ、加入しても、貰えるのは本当のあめ玉年金(泣)」(『東京的日常』より)


2006年に山口文憲は『団塊ひとりぼっち』(文春新書)というタイトルの本を出した。
関川夏央は初期の韓国系から劇画原作系、明治文豪系、昭和文豪系、昭和回想系、さらに鉄道オタ系の本も出すなど引き出しが多く、教養人・文化人としての地位を築いている。国民年金もちゃんと納めていてけっこう姑息(笑)。それに比して山口文憲は『東京的日常』で年金未払いを告白、関川夏央が年金を納めていると知り驚いていた時と、ボヤキの質がそんなに変わっていないような…。


「私のようにひとりぼっち派で、しかもいわゆる社会的通過儀礼をすべてサボってきた者にも、同じ運命が待っている。就職してネクタイをぶらさげることも、結婚式をすることも、子供に七五三をしてやることもなかった報いは、遅かれ早かれくるだろう(というか、もうとっくにきている)」。といったようなボヤキ漫才ならぬ「団塊ボヤキ漫談」といった内容で、こうした芸風?は1992年の『空腹の王子』(主婦の友社/新潮文庫)から変わっていない。


「私には原節子がついている。だからさびしくなんかない」とうたった『空腹の王子』は、独り者のマニフェストとでもいうべき大傑作だった。この本と関川夏央の『中年シングル生活』(講談社)、それに津野海太郎氏の『歩くひとりもの』(思想の科学社/ちくま文庫)とあわせて、私は勝手に「3大独り者本」と呼んでいる(ただ津野氏はこのあと結婚したため、一部の独身者から「歩く裏切り者」と揶揄された)。


『団塊ひとりぼっち』はアメリカのベビーブーマー世代と日本の団塊世代の対比が興味深かったし、「とりあえず(50代以上の男性は)セックスというものからそろそろ足を洗うようにしてみては」という具体的な提言が身にしみたが、自身の年金問題については書いていなかった。団塊世代同士、いや私も含めた後期高齢者予備軍たちの(経済)格差は、老人のセックスなんかよりずっと切実で、ボヤキではすまない話なのだけれど。


東京的日常 (ちくま文庫)
東京的日常 (ちくま文庫)
筑摩書房

文庫本(ちくま文庫)でも出ているみたいだけど、私が読んだのはリクルート出版から1990年に出た親本だった。それにしても、著書の多い関川氏に比べて遅筆という山口氏の新著をこのところみかけない。年金も支給されてないのに大丈夫なのかと他人事ながら心配(よけいないお世話だ! BY BUNKEN)。