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髪結いの亭主 物書きの妻

高遠のコヒガンザクラ

毎年4月上旬から下旬にかけて「さくら祭り」が催され、全国から花見客が訪れる桜の名所、長野県高遠町(合併して伊那市高遠)の高遠城址公園。
が…今年(2020年)は新型コロナウィルス感染防止のため、公園は閉鎖され、観桜会は中止となってしまった…

城址公園から高遠の町と南アルプスを望む


城址とその周辺に約1500本生育している桜は、「タカトオコヒガンザクラ」という固有種で、「高遠のコヒガンザクラ樹林」として長野県の天然記念物に指定されている。
私が3年前の今ごろ訪れた時は、まだ咲き初めといったところだったが、整った樹形にこぶりで赤みを帯びたくさんの蕾をつけた花形は、ソメイヨシノとは違った気品と華やぎがあった。


明治の初めころに植えられたという、幹が龍のように曲がりくねった古木。

 


町のマンホールの蓋はサクラの花びら


高遠に来たからには蕎麦屋で一杯…  と、その前に蘊蓄(うんちく)を…

高遠そばは、もともとは福島県会津地方で受け継がれてきたもので、会津藩の藩主だった保科正之が広めたといわれる。正之は高遠藩主から山形藩主を経て会津藩主となったが、
その際に一緒に連れて来た蕎麦打ち職人が打つそばを、初めて藩主になった高遠藩に由来して「高遠そば」と呼ぶようになったのだという。
それが高遠でも食べられるようになったのは―
「1997年、交流のため会津若松市を訪れた高遠町が、〈高遠そば〉という名称でそばが商売として成り立っている状況を目の当たりにし、1998年より同町の飲食店関係者らによって組織された〈高遠そばの会〉が中心となって、会津の蕎麦屋の支援を受け〈高遠そば〉を地域活性化の為の事業として取り組むことを開始した(フリー百科事典「ウィキペディア Wikipedia」より)」―ということらしい。


高遠の「高遠そば」(という名称のそば)は、わずか20年前に会津からの逆輸入で食べられるようになったのだとは、知らなかったなぁ。


※会津若松のコヒガンザクラ