Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

気まぐれに一冊② 「偶然の旅人」

村上春樹の短編集『東京奇譚集』の冒頭に「偶然の旅人」という短編が収められている。このタイトルを見て、すぐに思い浮かんだのが『偶然の旅行者』(1988、監督ローレンス・カスダン)というアメリカ映画。ウィリアム・ハート扮する旅行ガイドブックのライターが、妻(キャスリン・ターナー)と愛人(ジーナ・デイビス)との間をいったりきたりする話だ。


 L・カスダン、W・ハート、K・ターナーといえば『白いドレスの女』(1981)のトリオだけど、あの映画でもそうだったように、ウィリアム・ハートという役者は、グズグズした優柔不断な男を演ずるとぴったりハマル。まるでアメリカの森雅之(笑)。
利己的で自分の内面ばかりに固執してどっちつかずで煮え切らない『偶然の旅行者』のウィリアム・ハートには、旅行ライターという役どころもあって(自分自身を見ているようで)シンパシーを覚えたのだが、こんなウジウジ男が主人公のアメリカ映画っていうのも珍しい。


 原題は『THE ACCIDENTAL TOURIST(ジ・アクシデンタル・ツーリスト)』なので、「偶然の旅行者」は直訳のようなものか。このタイトルに映画の公開当時から妙に惹かれるものがあったのは、これまで自分の周りで思いもかけぬアクシデントが続けて起こったりした時に、このことばが実感を伴って感得されてきたからか。
「人生は旅」というのは、何だか使い古された喩えで、言うのも恥ずかしい。が、旅にはアクシデントがつきもので、そのアクシデントにどのように対処できるか、どう克服するか(楽しむか)で旅(人生)の上手下手が決まるに違いないのだ…。


ところで、村上氏の「偶然の旅人」だが、『偶然の旅行者』と「何か関連あるのかな?」と一瞬思って読んでみたところ、ゲイのピアノ調律師が仲違いしていた姉と和解する話で、映画の内容(ストーリー)とは全く関連がなかった。ただ、原作はアメリカで何かの賞をとったベストセラー小説だし、映画好きの村上氏のことだから『偶然の旅行者』はおそらく見ている(読んでいる)ことだろう。


 現代小説をあまり読まない私は、村上氏のよい読者とはいえないので、小説の感想めいたことを述べるのはおこがましいのだが、「偶然の旅人」でもっとも印象に残った場面は、車の中で手を握り「静かなところに2人で行きたい」という人妻の誘いを、「ぼくはゲイだからできない」と断るところだった。


 小説というのはいかに嘘をうまくつくか、ということにつきると思うのだが、村上氏の小説はとても嘘臭い。わざと嘘臭くしていると思えるほどに。愛車がホンダの2シートのゲイのピアノ調律師が、ブルーのプジョーに乗った人妻の不倫の申し出を退ける…なんて話、今時少女マンガでも描かない。禁欲的なゲイ(なんているのだろうか)を主人公としていることがズルイ(&古い)とまず思う。だが、ここに男の理想、男たちへの救済がある。
スケベで頭の中は妄想に満ちている男たちではあるが、ほんとは女性に対してジェントルマンでありたいのだ(あくまで願望)。それはまた女性の心をくすぐる男性の理想の姿でもある。
私がゲイの主人公と同じ場面に遭遇したらどうなるか…。ああ、やっぱり村上春樹のいい読者にはなれそうもない。


東京奇譚集 (新潮文庫)
東京奇譚集 (新潮文庫)
新潮社