Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

晩酌は「天の戸・吟泉」で

妻はいわゆる山屋さんで、居酒屋で集うことができないこの2か月ほどは、山岳会の山仲間と「オンラインおしゃべり飲み会」と称してLINEを使ってスマホで飲み会をやっていた。
私の唯一の飲み友だちは妻である。妻以外に酒をおいしく酌み交わすような友だちや仲間がいない。なので、ハナからオンライン飲み会など無縁であり、その必要もない人間であるからして…うらやましい?ちょっぴり嫉妬?
まあ、毎晩欠かさず晩酌しているので、よしとするかな(笑)


晩酌は日本酒、それも純米酒と決めている。昨年、健康を損ねて手術をしてから、体調がなかなか元に戻らず酒量を控えているので、飲むのは1合きっかりと決めている(ほんとか?)。そして、酒の銘柄も「天の戸」の「吟泉」と決めている。


蔵元は秋田県の県南部(横手市浅舞)に位置する浅舞酒造。精米歩合65%/日本酒度+3/酸度1.8/アルコール度15.5度の純米酒だ。いつも少し温めて飲むのだが、常温でも、夏は冷やしてもいける。かすかに黄金色をしていて、クセがなくすっきりしているが、お米の甘みも感じる。そしてどんな料理にも合う。
何より一升2000円しないので、懐もそんなに痛まない(それにしても、品質は向上したが貧乏人には手が出ない高い酒が多すぎる…)。一時、純米酒をいろいろ試してあちこち浮気したが、結局、最終的に気安く飲めて万能な「吟泉」に落ち着いた。
こころほんのり 純米 天の戸 | 浅舞酒造株式会社


※昨年7月に急逝された森谷康市さんは、浅舞酒造の杜氏として酒造りに携わり「天の戸」の名を高めた。著書『夏田冬蔵(なつたふゆぞう)』は、夏は百姓として田んぼで仕事をし、冬は杜氏として酒を造るという自身の生き方を表現した。私はこの本の出版社との繋がりから何度か酒蔵にお邪魔し、懇意にさせていただいた。

渋谷の“AKIRA”

2年前の冬、渋谷で開催されていたイルミネーションイベント「青の洞窟 SHIBUYA」を見るため、渋谷駅から代々木公園方面へ公園通りの坂を登って行く途中、突然、眼前にまがまがしくも懐かしい「絵」が現れて一瞬たじろいだ。
それは渋谷パルコ建て替え工事現場の仮囲いの壁に描かれた「AKIRA(アキラ)」の「ART WALL(アートウォール)」だった。


きらびやかなイルミネーションに彩られた師走の渋谷の公園通り。そこにふいに出現した「AKIRA」のネオ東京(大東京帝国)の「破壊」シーン。しばし立ち止まり、ウォール(壁)に沿って流れる人を見ていた。


知っての通り「AKIRA」は日本だけでなく世界中に熱狂的なファンを持つ漫画+アニメーションだ。漫画の連載が開始されたのは1982年で、1988年に公開されたアニメーション映画が世界中で愛され、作者の大友克洋は偉大なクリエイターとしてリスペクトされている。私にとっても70年代中ごろに「ハイウェイスター」という(まるでアメリカンニューシネマを見ているような、それまでのマンガで見たことがないような映画的)作品に出合ってから、「FIRE BOLL」そして(最高傑作の)「童夢」、映画「AKIRA」に至るスリリングな軌跡を追った、敬愛してやまない漫画家のひとりである。


「AKIRA」の物語の舞台は2019年で、1年後の2020年に東京オリンピックを控えているという設定だ。偶然にも2020年の東京オリンピックを「予言」していたということで、ファンの間では大きな話題となってきた。
それが今年になっての新型コロナウィルスのパンデミックで、東京オリンピックが延期になった。(「AKIRA」には、オリンピック建設地に「中止だ、中止」の落書きが出てくるシーンがあるのも予見的?)


渋谷パルコは2年にわたる工事期間を経て昨年11月にリニューアルオープンしたが、わずか4か月でこのたびのコロナ禍で休業を余儀なくされた。そして映画「AKIRA」で冒頭のバイクチェイスシーンに流れる芸能山城組の「ラッセラー!」の響き。その掛け声が夏の夜にこだまする今年の青森ねぶた祭りも、早々に中止となってしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=HB6Ch_VAfIk


新たに街のパブリックイメージとなる建物を建設する工事現場に描かれた東京の「混沌」と「破壊」。今になって思い返すと、そのインパクトになんだか不吉な胸騒ぎを覚えたのは、「AKIRA」の画力の強さだけではなかったような気がしてくる。


高遠のコヒガンザクラ

毎年4月上旬から下旬にかけて「さくら祭り」が催され、全国から花見客が訪れる桜の名所、長野県高遠町(合併して伊那市高遠)の高遠城址公園。
が…今年(2020年)は新型コロナウィルス感染防止のため、公園は閉鎖され、観桜会は中止となってしまった…

城址公園から高遠の町と南アルプスを望む


城址とその周辺に約1500本生育している桜は、「タカトオコヒガンザクラ」という固有種で、「高遠のコヒガンザクラ樹林」として長野県の天然記念物に指定されている。
私が3年前の今ごろ訪れた時は、まだ咲き初めといったところだったが、整った樹形にこぶりで赤みを帯びたくさんの蕾をつけた花形は、ソメイヨシノとは違った気品と華やぎがあった。


明治の初めころに植えられたという、幹が龍のように曲がりくねった古木。

 


町のマンホールの蓋はサクラの花びら


高遠に来たからには蕎麦屋で一杯…  と、その前に蘊蓄(うんちく)を…

高遠そばは、もともとは福島県会津地方で受け継がれてきたもので、会津藩の藩主だった保科正之が広めたといわれる。正之は高遠藩主から山形藩主を経て会津藩主となったが、
その際に一緒に連れて来た蕎麦打ち職人が打つそばを、初めて藩主になった高遠藩に由来して「高遠そば」と呼ぶようになったのだという。
それが高遠でも食べられるようになったのは―
「1997年、交流のため会津若松市を訪れた高遠町が、〈高遠そば〉という名称でそばが商売として成り立っている状況を目の当たりにし、1998年より同町の飲食店関係者らによって組織された〈高遠そばの会〉が中心となって、会津の蕎麦屋の支援を受け〈高遠そば〉を地域活性化の為の事業として取り組むことを開始した(フリー百科事典「ウィキペディア Wikipedia」より)」―ということらしい。


高遠の「高遠そば」(という名称のそば)は、わずか20年前に会津からの逆輸入で食べられるようになったのだとは、知らなかったなぁ。


※会津若松のコヒガンザクラ

柱状節理の城ヶ崎海岸

このところの欝々とした日々から抜け出して、気まぐれに湯河原あたりをぶらぶらして温泉にでも浸かろうと、東海道線の電車に乗る。小田原あたりを過ぎたところで冬の日差しを浴びてきらきら輝く太平洋を見たら、急に気が変わって海のそばに行きたくなり、熱海で伊豆急行に乗り換えて伊豆高原駅へ。そこから20分ほど歩いて城ヶ崎海岸に出る。


〇伊豆半島ユネスコ世界ジオパーク  城ヶ崎自然研究路の案内板

伊豆半島は日本に8か所あるユネスコ世界ジオパークのひとつで、地質遺産の宝庫。城ヶ崎海岸はその中でも見どころが多く、およそ4000年前の大室山の噴火による溶岩が、海(相模灘)に流れ込んで形成された。流れるうちに固まりあるいは砕けた溶岩が海の浸食によってさらに削られて、小さな岬と入り江が連続したリアス式海岸のようなギザギザの海岸線となっている。地質年代としては極々最近の、伊豆半島では最も新しい地層だ。


〇大淀・小淀
海岸の断崖に沿って整備されている自然研究路から、大淀・小淀と呼ばれている磯(岩石海岸)に下りてみる。

海食台(棚)に五角形や六角形の柱状節理の断面が見られる。柱状節理は溶岩が冷えて収縮する時にできた柱状の割れ目(節理)。こうしてその断面の上に立つと、何だかわくわくする。


板状に重なった板状節理も見られる。


大淀。淀とは潮だまり(タイドプール)のこと。


〇対島川の滝
伊豆高原を下ってきた対島川の流れが直接海に落ちる。滝見の展望台があるあたりは柱状節理と岩相が異なり、溶岩が酸化して赤味を帯び、ザラザラした角礫状のクリンカーとなっている。


〇柱状節理の海食洞
大淀・小淀の北側も柱状節理が発達した迫力ある断崖が続く。よく見ると岩壁の柱状節理が一部崩落し、波が洗う洞門となっている。


〇橋立吊り橋
ひとくちに城ヶ崎海岸といっても、海岸線は南北に結構長く、北の冨戸港から南の八幡野港まで歩くと約9kmある。観光客は門脇灯台や門脇吊り橋のある北側に多く、大淀・小淀や橋立吊り橋のある南側は訪れる人は少ない。
がっちりした造りの門脇吊り橋(長さ48m、高さ23m)と比べて橋立吊り橋(長さ60m、高さ18m)は橋が長く渡るのに時間がかかるうえ、かなり揺れる。高所恐怖症気味の私にはこっちのほうがずっと怖い!


〇橋立の柱状節理
吊り橋を渡った先の磯浜に下りてみる。入り江の左右に、海に達した大室山溶岩流が造形した太くどっしりした岩の柱が連なる。折れた石柱の断面がこちらに迫ってくるようだ。波打ち際のあたりがわずかにカーブを描き、スカートのひだのように見える。

  


柱状節理の岩壁の下には、溶岩のかけらが波でもまれ円くなった大小の石が。大室山溶岩は以前は安山岩とされていたが、最近の地質図では玄武岩と解説されている。素人目には、玄武岩質安山岩といった感じに見える???


このあたりは有数のロッククライミング(絶壁の岩の割れ目を利用して登るクラッククライミング)スポットとして人気があり、この日も数人の女性クライマーの姿を見かけた。


※大淀・小淀付近の空撮動画

きまぐれに1曲⑮ 夕陽は赤く

苦手な歌というのがある。あくまで私個人の感覚的な問題と断ったうえでの話だが、耳障りというか、聴いているとなんか気持ち悪いなぁ、と思ってしまう歌。あまり大きな声では言えないけれど、例えば東日本大震災の復興ソング「花は咲く」とか…。どこかから借りてきたような居心地の悪いメロディーと背中がムズムズしてくる詞の相乗効果?で、聴き通すのに忍耐を要する。こんなことを言うと非国民扱いされそうなので小心者の私は心配なのだが、この歌を嫌っている人はネットでも散見されるので(もちろん極少数だが)、少しは安心している。


最近では、米津玄師の「パプリカ」も苦手だ。曲調が気持ち悪くてしょうがない。NHKTVで盛んに流している子どもたちが踊るバージョンも好きになれない。受信料を巻き上げられて、無理矢理プロモーションビデオを見せつけられているような、やな感じ…。半音を多用しているのと、ファとシを抜いた「ヨナ抜き音階」で作られているので、音階と詞が収まり悪く聞こえるのはそのせいかとも思ったが、ヨナ抜きは有名ヒット曲を含めてほかにたくさんある。子どもたちが大好きで昨年のレコード大賞まで獲得した大評判のこの歌が嫌いなんて、私がおかしいのか?


好きな歌は歌いたくなる歌。なので「花は咲く」と「パプリカ」を歌えと強要されるのは、私にとっては一種の拷問かも(笑)。
というわけで、今回の「きまぐれに1曲」は、上記2曲と違って思わず口ずさみたくなる加山雄三の1966年のスマッシュヒット「夕陽は赤く」を。
https://www.youtube.com/watch?v=xUH1lVdc5ao


岩谷時子の装飾のない詞に、ありきたりなコード進行(サビのところがちょっとだけしゃれている)。節回しのないぶっきらぼう唱法、楽器はリズムを刻むエレキギターとベースのみ、間奏は口笛。曲も詞も伴奏も素直&シンプルの極み。YouTubeのコメント欄に「曲に厭らしさがなく、PUREな気持ちで聞けます」とあったけど、思えば60年代に流行った歌は国内外問わず、こんなんが多かった。


※加山雄三と親交があったベンチャーズのカバー。なぜかタイトルは「Blue Sunset」
https://www.youtube.com/watch?v=vt5BwSWqh1o