Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

続・東京日記 谷中の気になるお店

日暮里駅北口から歩いてすぐのところにある蕎麦屋「川むら」に久しぶりに立ち寄った。改装してきれいになった店内はほぼ満席。幸い奥の席がひとつだけ空いていた。
燗酒は、徳利を湯せんで温める酒燗器で供される。


燗酒とお蕎麦でいい気持になって、谷中銀座を通って地下鉄千駄木駅まで行く途中、気まぐれに右にそれてよみせ通りを歩いていたら、珈琲屋さんと思しき「ニト」というよさげなお店が目に入った。昨今の谷中銀座界隈はちょっとニガ手で訪れることはめったにないので、こんな珈琲屋があったとは知らなかった。ガラス越しに1950年代の日本映画を特集した雑誌の表紙が見えたので、入りたくなったが、この後、別の場所で知人と会う約束があったので、通りに面した外観だけ撮って我慢した。

初詣は一関 配志和神社

令和になって最初の正月は、妻と義姉と一緒に平泉・一関で過ごした。
宿泊した宿は衣川の高台にあったので、元日の朝、中尊寺・金色堂のある丘陵、金鶏山、義経堂のある高館(たかだち)など、初日に輝く世界遺産平泉の中心域が一望できた。


平泉・一関地方は江戸時代から続く「もち食文化」の地で知られる。道の駅厳美渓のレストランで、お正月らしくお餅を食べることに。ごま、沼えび、ずんだ、餡など8種類の餅が味わえる「和風もちセット」(1000円也)を食べたら、お腹にズッシリきた。


初詣は一関の山目(やまのめ)にある配志和神社にした。
江戸時代中期~後期にかけての旅の文人、菅江真澄がここを訪れ、『はしわの若葉』という書名の旅日記を残している(真澄が来たころは今の「はいしわ」ではなく「はしわ」と呼んでいたようだ)。真澄は旅日記の中の特徴的な事柄や印象を、その日記のタイトルに用いることが多いが、これもそのひとつ。1786年(天明6年)の旧暦4月から6月かけての旅を記した『はしわの若葉』は、新緑が美しい時期の日記であったことから、その印象を受けて書名にしたのだろう。


蘭梅山の中腹にある神社の境内は広大で、杉林の中を400段以上あるという長い参道を上ったところに、一段高く社殿といくつかの境内社があり、左右に2本の杉の御神木(夫婦杉)がそびえ立っている。一関市教育委員会による説明板に「配志和神社本殿は延喜式内神名帳に記載される延喜式内社で、磐井郡二座のうちの西岩井・流の総鎮守として崇められてきました」とあるように、式内社としての格式と歴史が感じられる。


おみくじを引いたら「中吉」
気になる項目は―
・願望(ねがいごと)おそいが思うとおりになる 吉 
・旅行(たびだち)利なし 行かぬが吉 
・学問(がくもん)努力すればよろし 
・転居(やうつり)十分でない
・病気(やまい)軽し 安心してよい


うん、今年はこれでなんとかやっていけそうだ。

松本で出会った下北

2019年もあと2日を残すばかりとなった。

「日めくりカレンダー2019年版」(作画:伊藤佳美)より


上の写真のカレンダーは昨年の12月、信州松本に滞在した時に「栞日(sioribihttps://sioribi.jp/」という喫茶店兼本屋兼ギャラリーのようなところで買い求めたものだ。松本の街をぶらぶら歩いて深志神社に詣でた後、その界隈で見つけた「栞日」に入ったら、「日めくりカレンダー」原画展をやっていた。1年365日、その日にちなんだメモリアルな事柄などを(個人的なリクエストも受け付けて)イラストで描き下ろした原画365枚!をひとつひとつ見ていたら、青森県下北半島を描いている1枚があった。下北はこれまで仕事でもプライベートでも何度も訪れ、思い出(思い入れ)深い大好きな場所なので、このイラストが特に印象に残った。


見終えてコーヒーを飲んでいたら、偶然にも同じテーブルの隣に座っていた女性がこのカレンダーの作者、伊藤佳美さんだった。そこで下北半島を描いている理由(わけ)を尋ねてみたところ、むつ市大湊のご出身だという。松本で下北の方と出会うとは思いも及ばなかったので、びっくり。なんだか嬉しくなり、これも何かの縁と「日めくりカレンダー」(税込み4536円也)を買い求め店を出た。


ちなみに、カレンダーは2019年中、一度も飾ることなく今も買った時の箱(↓)に入ったままだ(時々箱から出してぱらぱら見てはいたが)…貧乏性のせいか、めくる(切り離す)のがもったいなくて…


伊藤佳美さんは諏訪市在住のアーティスト。
「日めくりカレンダー」は2019年に続いて2020年版も制作・販売している。

奈良井宿を歩く

前にこのブログで紹介したRambalac(ラムバラック)さんのYouTubeチャンネルに、奈良井宿(長野県塩尻市)がアップロードされていた。ちょうど1年前、私も同じ季節に同じコース(下町から上町まで)でこの宿場町を歩いたので、再びその場に舞い戻ったような心持になった。


奈良井宿は江戸時代の5街道のひとつ中山道のほぼ中間、江戸から数えて34番目の宿場町であった。南に鳥居峠という難所を控え、峠越えに備えた旅人の逗留が多かったことから旅籠が建ち並び、木曽路ではもっとも栄えた宿場であったという。今も街道沿い約1キロに渡って往時の面影を残す家並が続き、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。


私が訪れたのは12月初めの平日の午後。観光シーズンを外れたためか、通りには人影がなく、ここの住人にもほとんど会わなかった。まるで時が止まったかのような、別の時代にタイムスリップしたかのような、超現実的な時間と空間に身を置いた。


通りを歩いていると、各家の玄関の上に掲げられた屋号の木札が目に付いた。武士以外は苗字を名乗る制限がなされていたため、出身地や職業などに拠った屋号を付けるようになったといわれるが、街道沿いや近場だけでなく、山形、会津など遠く離れた地名もある
のが興味深かった。


復元された江戸時代の高札場のある町並が途切れるあたりで、鳥居峠から下ってきたかと思しき外国人男女のトレッカーに出会った。中山道トレイルをする欧米の訪日旅行者も珍しくはないようだ。この日は不思議なことに、この2人以外に観光客にはまったく出会わなかった。

きまぐれに1曲⑭ 駒沢あたりで

晩秋の季節に聴くと心に染み入る曲を。
「駒沢あたりで」https://www.youtube.com/watch?v=91ne59Fz_Yo


加川良(1947 – 2017)の通算6枚目のアルバム『駒沢あたりで』(オリジナルは1978年発売)の収録曲で、バックをつとめるのはレイジー・ヒップ。アルバムの全8曲のうち、この曲だけ加川良ではなく菊田修一の作詞・作曲とクレジットされているのだが、ネットで検索してもほとんど情報が出てこないので、どんな人なのかよくわからない。だが、曲・詞ともこのアルバムの標題曲にふさわしい名曲だと思う。


歌詞の内容は東京世田谷区駒沢公園あたりでの晩秋のスケッチだ。読むと何の変哲のない情景描写のように思えるのだが、ことばを引き延ばして歌う加川良独特の歌声とレイジー・ヒップのギターサウンドが一体になると、その情景がとても身近で親しいものとしてありありと目に浮かんでくる。と同時にそれを見ている“私”(作者)の心象風景がそこに重なる。


♪…風が落とした落ち葉をふんで
失くした心のかけらを探しに
駒沢あたりを雨に打たれて
濡れた空の下乾いた心を
見つかるといいね きっときっと
やりきれない夜を迎える前に…♪


秋から冬に変わる今の季節にこの歌を聴くと、「失くした心のかけら」を探して「やりきれない夜」を彷徨っていたのかもしれない、あのころに連れ戻される。


駒沢あたりで '78年度作品 (紙ジャケット仕様)
駒沢あたりで '78年度作品 (紙ジャケット仕様)
グリーンウッド・レコーズ
2009-08-29
ミュージック