Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

きまぐれに1曲⑪ 雨に消えた初恋

梅雨の季節ということで、気まぐれに雨の曲でもと思ったとき、真っ先に浮かんだのがカウシルズ(The Cowsills)の「雨に消えた初恋(The Rain, The Park and Other Things)(1967)」。


カウシルズは、1965年に結成されたカウシル家の母親と兄弟からなるファミリー・グループ。デビュー当初は兄弟4人(ビル、ボブ、バリー、ジョン)だったが、その後ポールと末っ子のスーザン、母親も加わって7人で活動した。実際にはカウシル兄弟は7人で、もうひとりリチャード(ポールと双子)がいたが、音楽活動には参加しなかったようだ。「雨に消えた初恋」は彼らの最大のヒット曲で、日本でもラジオでよく流れていた。確か大橋巨泉が最初に言ったように記憶している「牛も知ってるカウシルズ」を知っている人は、それだけで年がわかってしまう。


この映像The Cowsills - The Rain, The Park, And Other Things (1967) - YouTube
では、口パクではなく実際に演奏しているのがわかる。ガレージバンド的なサウンドというか、粗削りながら趣があり、ハーモニーの素晴らしさと演奏の確かさは、単なるファミリー・グループの枠を超え、ポップ、ロックの「バンド」として成立している。
「雨に消えた初恋」の歌詞「I love the flower girl」のフレーズは当時のflower movementの世相を反映しているともいえ、ビーチ・ボーイズやママス&パパスなど私が愛し親しんだ60年代中期~後期のポップス、ロックの流れの中でとらえることもできそうだ。
※「Good Vibrations」を演奏するカウシルズ
Groovy Movies: The Cowsills "Good Vibrations" LIVE on U.S. TV 1969 - YouTube


カウシル兄弟7人のうち、ビル、バリー、リチャードは故人となってしまったが、残りのメンバーは現在も音楽活動を継続しているようで、ボブ、ポール、スーザンの3人は、カウシルズ名義でステージに立っていて、「雨に消えた初恋」は懐メロの定番としてアメリカで歌い継がれているのがわかる(↓)。
The Cowsills - The Rain, The Park and Other Things (Live) - YouTube


また、幼くしてワイルドなドラムさばきをみせていたジョン・カウシルは、解散後もドラマーとしてビーチ・ボーイズに参加するなどして(「ダーリン」を歌っている!)活躍し、2012年夏のビーチ・ボーイズの来日公演では、サポート・メンバーとして同行していた。


兄弟のただひとりの女の子ということで人気者だったスーザン・カウシルは、自身のバンドやソロでもアルバムを発表するなど、解散後も精力的にミュージシャンとして活動している。ソロ・アルバムでビーチ・ボーイズ(ブライアン・ウィルソン)の「ドント・ウォーリー・ベイビー」Susan Cowsill - Don't Worry Baby - YouTubeを歌っているのが涙もの。
幼いころのスーザンは、大きく口を開けて元気いっぱいリズムをとっている姿が可愛らしく、歌うことが大好きなのが伝わってきた。ちょっと太めのおばさんとなった(今年60歳!)今も、カウシルズの少女時代と変わることなく、音楽(ポップス、ロック)を愛しているのが歌声から伝わってくる。


それにしても、「雨に消えた初恋」は何度聞いてもいい曲だ。何より音楽的な魅力に引き付けられる。歌詞の「make me happy」そのままに心をHappyにしてくれる、前向きな音楽だと思う。

Walking at Tsukiji and Tsukishima at night

Rambalac(ランバラック)さんというYouTuberの投稿動画に、勝鬨橋が登場するものがあった。
築地本願寺をスタート。築地市場の波除稲荷神社から勝鬨橋を渡って月島へ。西仲通りを経て佃島、中央大橋へ至るコースをただ歩くだけの動画。時間にして1時間余りという長尺なのだが、長くは感じない。もんじゃ焼き屋が軒を連ねる月島の西仲通りを行く。店内で仕事を終えた人びとが談笑し、飲食しながらくつろいでいる。見慣れたはずの光景なのにいつもと違って見える。



【4K】Walking at Tsukiji and Tsukishima at night    勝鬨橋は20:20ころから


チャンネルの説明に「ビデオブログではありません。しつこい顔や声なしで、日本の散歩だけです。私の日本語の間違いに気づいたら教えて下さい」とあるように、どの動画もひたすら歩いてカメラに映る街や風景が延々と続く。日本在住の外国人(欧米人?)と思われるRambalacさん本人は登場せず、BGMもコメントもない。高性能カメラによる4K映像が映し出す、見知ったはずの通りや建物、人工の光、行き交う人、街のざわめき。目の前の光景が刻々と変わってゆくのをただ見ているだけで画面に引き込まれ、最後まで見入ってしまう。眼福というか、心が穏やかに満たされる不思議な感覚。


夜の渋谷を歩く↓ 海外から寄せられるおびただしい数のコメントが興味深い。

【4K】Walking in Tokyo Shibuya at night


※Toshibon's Blog Returns Archives

続・東京日記 夜の勝鬨橋

勝どき界隈でひとりで落ち着いて飲めるところを探すのは難しい。なので、近場で歩いて帰れる築地をたまにうろうろしたりする。飲んだ後は夜の勝鬨橋を渡る。


橋は1940年(昭和15年)の完成。全長246メートルのうち、中央部の約50メートルがハの字に開く可動橋で、大型船舶が航行できた。が、1970年(昭和45年)を最後に、開閉をやめている。もちろん、私は跳ね上がった勝鬨橋を実際に見たことはない。


途中、隅田川を行く屋形船の航跡を追ったり、川面に映る佃の高層マンションの灯りを眺めたり。川風にあたりながら、長い橋をゆっくり渡る。これが気持ちよくて酔い醒ましになる。


この武骨で重厚な感じがいい。同じく隅田川に架かる清洲橋、永代橋とともに国の重要文化財に指定されている。


アーチ橋から足元の繋ぎ部分を越えて中央部の可動橋(開閉部)へ。歩道の上にある窓のついた建物内には、開閉を操作する運転室や見張室などが設けられているという。手前にあるのは、橋が開く際に往来を停止させた信号機?


夜間は21時ころまでライトアップが行われている。アーチ部分がグリーン、水平部はブルー。橋の構造を強調しているようで、結構気に入っている。


勝どき側の橋のたもとにあるデニーズ(矢印)を時々利用する。店内で一番眺めのよい奥のエリアが喫煙席なのが不満だったが、昨年全席禁煙となった。窓側の席に座ると勝鬨橋と隅田川がよく見える。


ライトアップが終わって夜遅くなっても、銀座方面から晴海通りを歩いて帰宅するのだろうか、橋を渡る人が途絶えない。


橋の下流側を渡る時は東京タワーがすっきりくっきり見えたのだが、1年ちょっと前に手前にビルが建ったため、タワーの頭の部分しか見えなくなったのが悲しい。

2016年12月撮影

2019年2月撮影


2018年1月に撮影した勝鬨橋下流の隅田川(↓)。移転前の築地市場が光を放ち、東京タワーを隠してしまったビルがまだ工事中(矢印)。左隅のアーチ橋は2018年(平成30年)11月に開通した築地大橋。この橋ができるまでは、勝鬨橋が隅田川で最も下流に位置する橋梁だった。


そういえば、勝鬨橋から始まり勝鬨橋で終わる映画があった。川島雄三の「洲崎パラダイス赤信号」(1956年)。勝鬨橋の上で、男(三橋達也)と女(新珠三千代)が「これからどこへ行こうか」と途方にくれているところから始まり、ラストもまた橋の上でこの2人がたたずむ(DVDのパッケージが勝鬨橋のシーン↓)。映画では路面電車(都電)が橋の上を走っていた。

洲崎パラダイス 赤信号 [DVD]
洲崎パラダイス 赤信号 [DVD]
日活
2006-03-10
DVD

小津安二郎の『風の中の牝雞』(1948年)でも、勝鬨橋が背景となるシーンがあった。
戦後間もない荒涼とした隅田川の風景が、いわゆる小津調とは異質なこの映画に昏い翳りを醸していた。

福島の桜を訪ねて

〈Toshibon's Blog Archive  2010年 04月 29日 「旅の記」から〉


桜を求めて福島に出かけた。福島県の浜通り~中通り地方はちょうど満開だったが、会津はまだつぼみ~3分咲きだった。

福島市の花見山(↑)。花木の生産農家が農地(私有地)を善意により無料で開放している花の公園。そのため、他の一般的な公園と違って宴会などはできず、順路に従ってめぐるウォーキングスタイルの花見となるのだが、これが植物園を回遊しているようで、結構新鮮。ここが花見の名所として知られるようになったのは比較的最近で、たくさんの観光客が押し掛けるようになったのは2000年代にはいってから。なので、1990年(平成2年)に設けられた「日本さくら名所100選」には選ばれていない。


 ソメイヨシノ、トウカイザクラ、ヒガンザクラなどの桜花だけでなく、レンギョウ、ボケ、ツバキ、モクレン、ハナモモなどの春の花々が咲き競い、まさに百花繚乱ということばがぴったりの風景。花の密度が思っていた以上に濃く、噂にたがわぬすばらしさだと感動したのだが、そんな私を見て同行した妻が「すっかり花とオジサンだね」と冷たいひとこと(彼女はいわゆる山屋さんなのだが、クライマーのはしくれのせいか山オバサン的な高山植物を見て感動するタイプではなく、花にはほとんど興味がない)。言われてみればそうで、以前は野の花なんか見向きもしなかったのに、今ではデジカメで野の花を接写撮影するのが楽しくてしょうがない花オジサンと化しているのは、自分でも不思議だ。


花見山頂上から福島市街地を望む。この日は花曇り。吾妻連峰は残念ながら見えなかった。


慈徳寺の種まき桜。福島市郊外を走っていて、偶然見つけたシダレザクラ。同じ福島県で全国的に有名な三春の滝桜とまではいかないまでも、木姿がとても美しい。思いがけなくいい桜を見せてもらった。


 樹齢およそ300年。幹のまわりに櫓を組んでいるので、根を踏み荒らすことなく真下から桜を観賞できるようになっている。これは、いいアイデア。


会津若松では、鶴ヶ城址のソメイヨシノがようやく開花したばかり。で、期待はずれと思いきや、おりしもお城に隣接した福島県立博物館脇(三の丸掘跡)のコヒガンザクラ(小彼岸桜)が満開。整った樹形にたわわに咲く濃いピンク色の花びらが、ソメイヨシノとは違った気品と華やぎをかもす。好きな会津で素晴らしい桜に出会って、感動するtoshibonであった。


 

後で知ったのだが、これは桜の名所として知られる信州の高遠町(現在は合併によって伊那市)から貰い受けたものだそうで、ここに植えられたのには、そんなモノガタリがあった。この桜を知ったのは、たまたまその日、ホテルの10階にあるレストランで朝食を摂りながら街を眺めていて、そこだけピンク色に染まっている場所を偶然発見したから。例年だとすでに散っている時期だが今年は開花が遅く、東北では珍しい樹種の満開の桜を見ることができたのは幸運だった。


会津若松は私が12年前に人生の節目となるある重大な決断をした場所で、そんなことからも個人的に思い入れが強く忘れい難い街だ。夜は久しぶりに訪ねた「籠太」という思い出深い居酒屋で、会津の郷土料理と酒を堪能した。

※会津居酒屋「籠太」HP
http://www.kagota.co.jp/

気仙沼 五十鈴神社と大島大橋

4月7日、宮城県気仙沼市の大島と本土を結ぶ気仙沼大島大橋が開通したのをニュースで知った。https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1178703.html


気仙沼市の大島といっても、東北地方の太平洋側(三陸)の住民でなければ、あまりなじみのない島かもしれない。人口2400人余り、面積も東北最大の有人島で、全国に「大島」があることから、気仙沼大島と呼ばれたりもする。


たまたまひと月ほど前、気仙沼市のリアスアーク美術館に行ったついでに、気仙沼湾の最奥にある小さな岬(神明崎)に鎮座する五十鈴神社に詣でたら、対岸の桟橋からちょうど定期フェリーが大島に向けて出港するところだった。その前に立ち寄った気仙沼港の観光施設「海の市」内に展示してあるパネルで、本土と大島を結ぶ橋が架けられ、フェリーが廃止されることを知ったばかりだったので、あわてて写真を撮った。


五十鈴神社。この神社の宮司さんだった方(故人)と菅江真澄という江戸期の旅人の調査を介して懇意にしていただいたこともあって、これまで数度訪れている。


神社のある神明崎は全体が石灰岩でできていて、管弦窟(かんげんくつ)と呼ばれる洞窟(石灰洞)がある。かつては潮の干満により音を奏でていたといわれ、窟の前にその名の由来を詠んだ菅江真澄の歌碑があったが、震災の津波で流失してしまった。


神明崎の突端から気仙沼湾と気仙沼港、大島を望む。遠くに小さく見えるアーチ状の橋(矢印)が気仙沼大島大橋。この鳥居の下には朱塗りの橋でつながった浮見堂、恵比寿像があったが、これも津波で流失した。


フェリーを利用し、初めて大島に渡ったのは20年ほど前の夏。鳴き砂で有名な十八鳴浜(くぐなりはま)を歩いた後、島の最高峰亀山(235m)にリフト(津波被害で現在は営業していない)を利用し登ったことを思い出した。

架橋構想は50年ほど前からあったというが、震災で島が孤立状態になったことなどから、国の復興事業で早期に完成をみたようだ。橋の開通により、定期フェリーの運航は開通したその日に終わりを迎えた。