Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

「熊野信仰と東北」展

今、秋田県立博物館で「熊野信仰と東北」展が開催されている。単に紀伊半島の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に捧げられた熊野信仰にかかわる品々を網羅するだけの名宝展かな、と思って観に行ったら、ちょっと趣が違っていた。熊野信仰が東北に伝播してきた時に在来の信仰形態とどのような形で融合し、変容していったのかを解き明かすことに展示の主眼が置かれている。そこが興味深く刺激的だった。


運良く展示室に私が博物館に勤めていた時の上司であったS先生が居合わせて、次のようなお話を聞くことができた。
…神と仏は一体であるという本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により、熊野では本宮が阿弥陀仏、新宮(速玉大社)が薬師仏、那智が千手観音という三尊(三山)浄土観が信仰の中心をなすといってもいいが、東北では、この阿弥陀・薬師・観音という熊野三山の本地仏に由来する信仰が特に強い。中でも出羽三山の本地仏の組み合わせと熊野三山の本地仏の組み合わせが千手観音が聖(しょう)観音に入れ替わっただけで、ほとんど同じ。現在は出羽三山といえば羽黒山、月山、湯殿山だが、近世以前は湯殿山ではなく、内陸部の葉山か鳥海山を指していた。葉山は里に近い端山、モリ(森)の山でもある。ほかにも岩木山(青森県)、早池峰山(岩手県)、薬來山(宮城県)などの地域のシンボル的な名山に三尊が祀られていた形跡がある。秋田県で三尊(三山)浄土を具現していた場所としてあげられるのは男鹿三山のある男鹿半島のほか、大仙市(旧中仙町)の小沼神社とその背後の薬師岳、和賀岳(別名阿弥陀岳)だろう…。


小沼神社はもとは小沼観音堂といい、聖観音菩薩立像と十一面観音菩薩立像(ともに県指定文化財)が祀られている。小沼(観音)、薬師岳(薬師)、阿弥陀岳(阿弥陀)とは、まさに熊野三山(三尊浄土)になぞらえたものではないか。会場には小沼神社の2体の観音像が展示されていて、その古様美、造形の素晴らしさに息を呑んだ。やはり仏像は写真ではわからない。実物と相対して初めてそのよさ、凄さがわかる。S先生は、これを重要文化財にしないのがおかしい、とおっしゃっていたが、私もその通りだと思った。昨年の今ごろ、菅江真澄の足跡調査で小沼神社に登った(集落からかなりの急坂を登った山上にある)のだが、その時は気がつかなかった熊野三山信仰の実相が、2体の観音像を前にしてはっきりとしたイメージを伴って立ち現れてきたように思えた。


十一面観音菩薩立像(秋田県大仙市小沼神社蔵。「熊野信仰と東北」展チラシより)


29日は、熊野信仰や天台修験と関わりが深い鳥海山の麓につたわる芸能「延年チョウクライロ舞」(にかほ市小滝)が館内の講堂で上演される。
※toshibon's essay「チョウクライロ舞を見る」

IHヒーターのある自炊宿

一昨年の秋、宿泊客の火の不始末で宿泊棟が全焼した「露天風呂水沢温泉」から新装オープンの案内状が届いたので、所用で田沢湖方面へ行ったついでに立ち寄ってみた。ここは「山と温泉」ツアーでも利用したことがある温泉で、日帰り客を主体としたロッジ風の造りの自炊宿というユニークな経営方針をとっていた。それで「再建するにしても、少なくとも今はやりのこじゃれた民芸風旅館にだけはなってほしくないなあ」と、ちょっぴり不安な気持ちを抱いていたのだが、料金が少し高くなったほかは営業形態、経営方針とも焼ける前と変わりがなく、私の心配は杞憂であった。


支配人にお願いして見せてもらった2階の宿泊フロアで、まず目に飛び込んできたのが使いかってのよさそうな真新しい厨房(炊事場)。部屋は2階が和室、3階が洋室で全室洗面トイレ付き。ランドリーもあり、自炊宿としての最新設備が完備されている。お風呂場は焼けなかったので以前と造りは同じ。昔ながらの湯治場風情はないけれど、プライバシーがある程度守れ、誰もが利用しやすい清潔な自炊宿というコンセプト。こんな宿がもっと増えるといいのに。


新装なった「露天風呂水沢温泉」


火を使わない電気器具を備えた厨房。湯治場でIHクッキングヒーターのある炊事場を初めて見た


6畳の客室

「山と温泉」ツアー

毎年、夏の終わりに私と妻の友人たち数人で「山と温泉」ツアーを行っている。湯治場の自炊部に泊まって昼は登山やハイキング、夜は自分たちが持ち込み&調理した酒と料理で宴会というのがお定まりのパターン。これまで須川温泉(栗駒山)、酸ヶ湯温泉(八甲田)、黒湯温泉(乳頭山)、水沢温泉(秋田駒ヶ岳)、後生掛温泉(八幡平)と続いてきて、今年は再度須川温泉(須川高原温泉自炊部)が宿泊地となった。


参加者は総勢10人(うちわけは女性6人・男性4人=秋田県3人、岩手県Ⅰ人、群馬県2人・東京都4人)。このうちのひとりが82歳になる御母堂を伴って参加したのだが、夜の宴会では、お酒(日本酒)をたしなみ、唄をうたうなどしてくれた。私も含めて参加者の平均年齢は50代半ば。それぞれ年老いた母をかかえて、介護が切実な問題となって現実にたちふさがっているだけに、友人の御母堂の元気な姿に一同感動し、おおいにもりあがった。


残念なことに近場に自炊部のある温泉がない。このツアーは山よりも温泉(&宴会)に重きを置いているので、安上がりな自炊部のある湯治場でなければ意味がないのだが、最近は北東北であっても自炊宿のある温泉が少なくなっった。いずれにしても、年に一度温泉で顔を合わせ、互いに歳をとったことを確認するこの集まりを、できるだけ長く続けていきたいものだ。


女性陣が腕によりをかけてこしらえた料理の数々。男性陣が手伝うとかえって邪魔者扱いされるので、ここでは“食べる人”に徹する。
自炊部の炊事場での調理はクイック&シンプルが肝要。それでいてできあがった料理はでりしゃす&ご~じゃす。この道を究めつつある我が妻を湯治場自炊部を舞台にした料理番組に出演させたい(そんな番組があったらの話だが)。


須川高原温泉の露天風呂。バックは須川温泉のシンボル大日岩


栗駒山山頂を目指す「山と温泉」ツアー一行。日頃の運動不足と寄る年波に勝てず、皆さんバテ気味


この日は登山道の途中までは晴れていたが、山頂付近は風が強くガスに覆われ、眺望がまったくきかなかった。

「AtoZ」展

弘前出身の美術家・奈良美智と大阪を拠点とする創作集団“graf”による「AtoZ展」を見た。会場は弘前市街の吉井酒造煉瓦倉庫。古い空き倉庫の中にAからZまでの26の小屋(実際はもっとあったように思う)を配置し、それぞれの小屋ごとに例の少女の絵を中心とした奈良作品がさまざまな形態で展示され、観覧者はそのひとつひとつをめぐり歩きながら鑑賞する仕組み。小屋は廃材で組み立てたもので、それ自体がハンドメイドの作品といってもよく、作品鑑賞というより、奈良美智が創りあげた街の路地に迷い込んでしまったような見世物小屋的楽しさがあった。


特筆すべきは、企画、設営、運営までのすべてをボランティアによる地元実行委員会が担っていることで、2億円近い事業費は地元の企業などの出資金・協賛金、作品・グッズ販売、入場料などで賄う。会期75日間で目標入場者は6万人、9月中に5万人を達成したというから、ペイできそうだという。
まさに奈良美智の生まれ故郷である弘前だから実現したプロジェクトだろう。秋田ではこうはいかない。津軽という土地の豊かさ、弘前という街の底力を見た思い。


弘前ねぷたまつりと連動し、奈良作品をモチーフとして制作された前ねぷた。伝統的なねぷたに混じっても、不思議と違和感がなかった

五所川原 立佞武多

今、津軽の弘前に来ている。この時期、津軽はねぷた(ねぶた)祭り一色。実はそのことをすっかり忘れていて、ホテルに予約を入れたらどこも満杯。やっと空いているところを見つけたら、ねぷた料金で2割増だった。で、せっかくの機会ということで、仕事は昼の間に済ませ、夜は各地のねぷたを見て回った。


昨日は五所川原の立佞武多(たちねぷた)を見た。五所川原では明治のころに高さを競い合って巨大化したねぷたが造られていたという。大正のはじめに電線が障害となり姿を消したといわれるこの巨大ねぷたを、1枚の写真を手がかりに1996年に復元させ立佞武多と名付けたもので、いわば新しいねぷた祭りといえる。
祭りとしてスタートしたのが1998年なので今年で9年目。年を追うごとに人気を呼び、今では青森、弘前に肩を並べるほどの一大イベントに成長し、多くの観光客を集めるようになった。


祭りの印象をここで述べたいが、ホテルのチェックアウトの時間が迫っているので、今年運行された3台の立佞武多の画像だけアップしておく。五所川原のほか、弘前、黒石のねぷたも見たので、その感想もあわせ「津軽のねぷた(ねぶた)祭り」については後日あらためて。
 
毎年テーマの異なる立佞武多が1台ずつ製作される。今年は腕に赤ちゃんを抱いた鬼子母神の姿を題材にした「絆」(高さ22m)


2005年製作「炎(ほむら」(23m)


2004年製作「杙(くい)」(22m)