Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

東京日記 浅春に咲く花

春というには、まだ日射しが弱く風が冷たい3月初め、咲き始めた梅を見ようと調布の神代植物公園へ行ってみた。


出かける前に、梅のほかにどんな花が咲いているのか公園管理事務所に電話で尋ねたら、ツバキ、クリスマスローズ、フクジュソウ、アセビ…など花の名を次々にあげ、丁寧に教えてくれた。今の時期でも結構いろんな花が咲いているんだな、と思いつつ、花より団子(蕎麦)とばかり、植物園に行く前に深大寺の門前でバスを降り、蕎麦屋に入る。
深大寺には蕎麦屋が30軒近くあるという。1軒ずつ入っても1ヵ月かかる勘定だ。とりあえず山門前の蕎麦屋に入り、何はともあれ酒。妻も酒好きなので、当然のようにつきあってくれるのがうれしい。おいしそうな純米酒がメニューにあったので、お燗をしてもらったところ、これが極上の味。ああ、昼に蕎麦屋で飲む酒はどうしてこんなにうまいのか。調子にのって飲んでいると、植物園どころか、深大寺のお参りもできなくなりそうなので、2本で切り上げる。


深大寺山門前の梅。


神代植物公園の梅の品種は70種類ほどあり、早咲きのものは見ごろをむかえていた。
ウメ園全体としては5~6分咲きといったところだろうか。

ウメ園の隣にツバキ園があった。ツバキはtoshibonが一番好きな花である。神代のツバキ園には200品種以上のツバキが植えられているというが、大部分はまだ蕾のまま。その中で「侘助(ワビスケ)」という名のツバキの一種が咲いていた。花弁が全開せず半開きで恥ずかしげに咲く花姿は、なんとなく名に似つかわしく思える。この花の名から連想するのは、伊丹十三監督の「お葬式」という映画。山崎努が扮した主人公の名が侘助だった。


春の木と書く椿の学名はカメリア・ジャポニカ。漢字では別の種類の花木を指すのだが、日本では中国名とは違うツバキにあてたという。ある百科事典に椿は厚葉木、あるいは津葉木で、つまり葉に光沢のある木の意だと記されていた。私はツバキのあの厚ぼったい常緑の葉が好きだ。ツバキに特別な関心を抱いていた柳田国男は、「椿は春の木」というタイトルの話の中で次のように述べている。
「大雪の中の椿山、これが北日本の日本人の、独り鑑賞し得た風景の一つであります。雪が忽ち霽れて空が青くなりますと、此木の雪だけが滑って先ず落ちて、日がてらてらとその緑の葉を照します。それが南から来た移住民にとって、懐かしい嬉しい色であったことは想像が出来ます」


クリスマスローズ。植物園の一角に野草のように群生していた。花の少ない冬の時期、寒さに耐えうつむき加減に咲く可憐な花姿に接してみると、最近とても人気を集めている花だということが、納得できる。


toshibonの2番目に好きな花、フクジュソウ(福寿草)。


アセビ(馬酔木)。馬が食べると酒に酔ったようになるということから、名前が付いたらしい。私は花の名に全くうといので、この花も初めて名前と実物が一致した。


神代植物公園からバスで吉祥寺に出て、井の頭公園のそばにある焼鳥屋「いせや公園店」で一休み。なぜか酒がおいしくて、スイスイ入る。どうってことない安酒なのに、不思議。


このあと塒のある中央区勝どきまで帰る途中、酒のあまり強くない私としては珍しく、まだ飲み足りない気分なので飯田橋で降り、神楽坂の居酒屋「伊勢藤」にも寄ってしまった。

母のいない正月

ぼやぼやしているうちに2008年もはや2週間を過ぎてしまった。一昨年は豪雪、かと思えば昨年は雪が全く降らなかった。両極端な冬が続いたが、今冬は雪もそこそこ降り、気温も例年並みか低め。昨日は-3℃ の真冬日で、庭の椿の蕾も雪に耐えていた。
 
昨年の今ごろは母の介護に頭を悩ませていたのだが、その母も今年の冬はいない。13年前に父が他界してから、ずっと母と供に正月を過ごしてきたのだった。今、こうして母のいない新年を迎え、亡くなって8ヵ月以上経ってから、ようやく母の不在を実感している。私を生んでくれたことへの感謝の念、放蕩息子としての自責の念、仏壇の前で手を合わせるとそうした感情が日ごとに強くなっていくのを感じる。母はガチガチの職業婦人だったせいもあり、真面目で自己主張が強くあまり笑顔をみせない人だったが、思い浮かぶのは身体の自由がきかなくなってからではなく、笑った顔や元気なころの面影なのが不思議だ。

フォーレの「レクイエム」を聴く

アトリオン音楽ホールでフォーレの「レクイエム」を聴いた。アトリオン室内オーケストラの27回目の定期公演で、長谷川留美子(ソプラノ)藤野祐一(バリトン)という秋田にゆかりのある独唱者を迎え、合唱は地元秋田の女声合唱団コール・カペラ、秋田男声合唱団、秋田大学音楽科の学生という組み合わせ。アトリオン室内オーケストラは秋田県内の企業・団体・個人の支援によって支えられている小編成のオーケストラで、合唱もすべて秋田の方たち。いわば県民オーケストラ、市民合唱団による演奏会といっていい。それがこれまでアトリオン音楽ホールで聴いたコンサートの中でも一番と思えるほどの、素晴らしい演奏を聴かせてくれた。


このホールは残響の豊かさに特徴があり、それが時に過剰とも思えるほど響いて耳にさわることがあるが、その豊かさが今回はプラスに働いていたように思う。宝の持ち腐れかと思っていたパイプオルガンもうまくアンサンブルに溶け込んでいた。オーケストラ、合唱団の練習の成果が結実したのは言うまでもないことだが、フォーレのレクイエムという楽曲のよさに負うところが大きいとも感じた。これまで長い間レコード、CDで親しんできたこの曲を生で聴くのは初めてだったが、やっぱり掛け値なしの名曲だ。


この曲は初演当時、「死の恐ろしさが表現されていない」「異教徒的」などの批判があったらしい。これに対してフォーレは「私のレクイエムは……死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた解放感に他なりません」と手紙に書いているという。
奇しくも19日は私の母の月命日。この季節に聴くにはぴったりの音楽でもあったのだろう。秋田で生まれた合奏団、合唱団によるこうしたレベルの演奏が、こうした音楽ホールで聴けるなんて、秋田もまんざら捨てたもんじゃないのかも。

要介護5

 毎年、年度末は〆切が重なってアップアップになる。今年はそれに加えて母の介護が重なり、ちょっと精神的に追いつめられてしまった。それでも何とか切り抜け、確定申告も15日の締め切り日にギリギリセーフで提出し、やっと一息ついている。この1ヵ月で1年分の仕事を片付けたような感じ。それで、昨日は久しぶりに慰労もかねて映画館で映画を見た。「硫黄島からの手紙」。映画を見て恥ずかしいくらいにボロボロ泣いた。こんなに泣ける映画だとは思わなかった。それとも私の涙腺がおかしいのか。その涙のわけを解析して、映画備忘録として書き残さなければ。


先日、市の福祉事務所から母の要介護認定の結果の通知が来た。なんと最重度の要介護5。これまで要介護2だったから一気に3段階も介護度があがったことになる。でも、この要介護認定というのも、結構いい加減な気がする。要介護2の時は低すぎると思っていた。でも、5というのも高すぎるんじゃ? 客観的に見て4くらいではないだろうか。まあ、いずれにしても、この1年で母が急激に弱ってしまったのは事実。その分、私も現在の介護サービスの仕組みに少しは詳しくなった。国の福祉政策の現状にも無関心ではいられなくなった。


母は今のところ認知症の症状はないのだが、頭がはっきりしている(口が達者な)ぶん、扱いにとても苦労する。私の母はずっと職業婦人で通してきた人なので、よくいえば自立心旺盛、悪く言えばわがままで自己中心的。気が強く人のいうことを全くきかない。自分の意に沿わないとヒステリー発作を起こす。そんな個性的?な女性だ。身体は弱っても、気持ちはまだ自由に動けたころの感覚でいる。だから、これまで何度も転倒して体中傷だらけ。この2年間でで救急車に6回もお世話になっている。目を離すと(もう自力歩行ができないのに)いまだにベッドからひとりで移動しようとする。食事と排泄もあるので、そばを離れることができない。今はショートステイ(短期入所生活介護施設)とデイサービスなどを利用して何とかしのいでいるが、これもいつまで続けられることやら…。


私はあまり身内のことを(妻を除いて!)ブログには書かないようにしているのだが、今は母のことが頭から離れないので、ついこうして愚痴めいたことを書いてしまう。でも、自宅に要介護者がいる人ならこうした弱音をいいたくなる気持ち、きっとわかると思う。

ブログの墓場

今月のはじめに仕事で1週間の旅先から帰ってきたら、叔父が亡くなったとの知らせ。生まれて初めて弔辞を読んだその葬儀のあとの御斎で食したものが悪かったのか、猛烈な腹痛におそわれ嘔吐と下痢で体調を崩す。時を同じくして風邪をひき、咳がなかなか治まらない。夜眠れず、食事もできなくなり、とうとうダウン。近くの内科医院で点滴のお世話に…。というわけで、悲惨な11月でした。


去年の日記(メモ帳)を見たら、自宅からボヤを出してその後始末に追われていたのがちょうど今ごろで、不思議なことに去年とまったく同じ日に風邪をひき、同じような経過をたどって同じ病院で点滴を受けていた。これはどうしたことか。ついさっき、ネットで“天秤座生まれの運勢”を見たら、 「今、あなたの人生で何かが壊れようとしています」とあった。何かが壊れるって、アンタ…。11月はわたしにとって凶事の月なのかもしれない。そういえば11月は妻の誕生月だった…orz


体調不良に加えて、ボヤ騒ぎ以来急激に衰えが進み、今ではほとんど歩けない状態になった私の母の世話(介護)がすべてに優先する現況に、いっそどこかの温泉場へでも逃避したいなどというトンズラ願望が頭をもたげる。そんな心境は今にはじまったことではく、同じようなことを2年前にも書いていた↓。(まあ、仕事がはかどらず逃げ出したくなるのはいつものことではある)


そんなこんなでブログの更新をする気力も失せて、1ヵ月以上ほったらかしに。アクセス解析などめんどくさいことはしていないので、このブログにどんな人がどういう検索ワードで訪問してくるのかはわからない。アクセス数も1日せいぜい数人、多くて十数人だから、こんな弱小ブログをほったらかしにしたところで、どうということもないのではあるが‥‥。


ブログを始める人は今も増え続けているようだが、継続は結構骨がおれるので、ある日を境にプッツリと更新が途絶える人も多い。っているただ、突然、更新を停止するブログの中には、開設者が亡くなった場合もあるだろう。Hatena questionに「開設者が亡くなった後、生前の状態のまま現在まで残っているウェブサイトを教えてください」というのがあった。http://q.hatena.ne.jp/1160634972 


だいぶ以前、私が小津安二郎について書いたエントリーにトラックバックしてくれた人がいて、それがきっかけとなって映画評を精力的にアップしているその人のブログをよく訪問していたのだが、半年前に更新が停まってしまった。その人はガンで、ブログのタイトルは「マイ・ラスト・ソング」という暗示的なものだった。会ったこともない見ず知らずの人への親しみと悲しみの感情をネットで体感するということ。ネットでのコミュニケーションは、実体がなくはかないものだけど、もしかするといるかもしれない「マイ・ラスト・ソング」を聴いてくれる人のために、こうやってボソボソと(死ぬまで?)続けていくのもいいかな、と思ったりする。