Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

土砂にのまれた温泉宿

栗駒山麓の宮城県側はブナの原生林や湿原、そして栗駒五湯と呼ばれる温泉が点在し、自然環境に恵まれた東北屈指の温泉地帯となっている。14日朝におこった岩手・宮城内陸地震で土石流に見舞われ宿舎が倒壊、行方不明者7人(14日の時点)の捜索が続けられている駒の湯温泉は、その栗駒五湯のひとつで、栗駒山南西麓にある。秋田県側からは直通の車道がないため、なかなか行きにくいところなので、私が最後に訪れたのはもう10年以上も前になるだろうか。樹海の中、大自然の静寂につつまれた好ましい湯宿であった。


栗駒五湯は駒の湯のほか、花山三湯とも呼ばれる湯浜・湯ノ倉・温湯と、新湯(新湯ではなく岩手県側の須川高原温泉とする場合もある)をいう。いずれも人里離れた山中にある素朴ないで湯ばかりで、湯治場や山の湯を愛する温泉ファン、秘湯ファンに支持されてきた。それがこのようなことになろうとは…。栗駒山麓の温泉へは何度も足を運び、八幡平の温泉群とともに、私にとっての温泉の原点ともいえる場所であるだけに、とても人ごととは思えない。


岩手県側の「須川高原温泉」で温泉の送湯管などが破損しているとwebサイトの新聞記事にあったほかは、駒の湯以外の各温泉の様子は今のところニュースでまったく報じられていないが、かなりの被害が出ているのではないだろうか。各温泉の建物や設備だけでなく、温泉の湧出そのものにも影響・変化があると思われる。地震の影響で湯脈が切断され湧出が止まったり、別の場所に噴出したり、泉質が変わったりすることはよくあることだが、栗駒山麓の各温泉が大きな被害を被っていないことを祈るばかりである。


11年前の5月にも、秋田県八幡平の赤川温泉と澄川温泉が土石流に押し流され全壊した。私が贔屓にしていた貴重な湯治場だったので、本当に悲しく残念であった。ただ、赤川・澄川温泉の土砂災害は地震ではなく地滑りによるもので、宿の経営者が事前に異変を察知し、宿泊客を避難させていたため幸い死傷者は出なかった。今回の地震は突然のことで、避難の間もなかったろう。人知をこえた自然の底知れない力、脅威をあらためて思い知る。


※toshibon's essay 「土石流にのまれた湯治場」

まほろば唐松 薪能

昨夜、大仙市協和の「まほろば唐松(唐松城)能楽殿」で行われた薪能を観た。唐松城能楽殿は、平成2年(1990)に旧協和町が京都の西本願寺北能舞台にならって建設した秋田県内初の本格的な能舞台で、毎年2回、6月上旬に薪能、8月下旬に定期能の公演が行われている。  


もう15年も前になるだろうか、定期公演が始まったばかりのころ、ある女性に薪能のチケットがあるから一緒に行かないかと誘われたことがあった。そのころは能そのものにあまり興味がなかったうえ、彼女のスノッブな物腰に反感を覚えたので断ってしまった。能を観に行く女性をスノッブだと思うなんてまったく笑止、バカ丸出しだが、今思うと自分の無教養なところを知られるのがきっと恥ずかしかったのだろう。昔も今もまったく嫌(や)な奴ではある。


そんな私がここ数年、どういうわけか能に惹かれ、NHK教育TVで放送される能・狂言の番組をよく観るようになった。以前から小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明など巨匠たちの映画には、能が重要なモチーフとして登場するものが何本かあって、ずっと気になっていたのだが、一番のきっかけはTVでたまたま我が子を亡くした狂女物の代表的傑作『隅田川』を観て、その哀切さに心を揺さぶられたことによる。


「能の特徴は数多いが、中でも重要なのは“死者”が能の中心となっているという点である。八世観世銕之丞は能の大きな特徴として“死者の世界からものを見る”という根本的な構造を指摘している。すなわち、能においては多くの場合、亡霊や神仙、鬼といった超自然的な存在が主役(シテ)であり、常に生身の人間である脇役(ワキ)が彼らの話を聞き出すという構造を持っているのである」(「Wikipedia」より)
若いころと違って、肉親の死を経験し、自分自身も歳を取り、私もようやく能独自の美の世界(=死者の世界)が身近なものとして感じられるようになったということなのだろうか。


そんなわけで、今回が初めてのナマでの能楽鑑賞となった次第。秋田で本格的な能楽堂はここだけなので、年2回の公演はいつも盛況らしく、会場は満席の入り。演ずるのは観世流能楽師の中森貫太師一行で、演目は『籠太鼓』(能)、『魚説教』(狂言/大蔵流)、『鵜飼』(能)。正直言って私のような初心者は、あらかじめストーリーを把握し、台本を読んだうえで鑑賞しないと、内容がよく理解できないところがある。だが、能面・装束の美しさ、演者の動き、謡・笛・太鼓の響き、それらが一体となって視覚と聴覚を刺激するので、何を言っているのかわからなくても、舞台にぐーっと引き込まれていく。能楽堂は高台にあるので、舞台の右に緑の木々と空が広がっている。それが時間の推移とともに徐々に翳っていくのだが、その背景も含め能舞台を中心にして醸しだされる空間、場の雰囲気に酔った。開演が5時30分で、終わったのが8時過ぎ。あっという間の3時間だった。


途中でやむが、開演のころはあいにくの雨で、前列の観客は雨ガッパを着用。


能楽殿の背後に唐松神社の杜(もり)が広がる。時々、上演中の舞台から視線をはずして、雨を吸って鎮まる新緑の木々を眺めた。

エレクトロワールド

このところ、perfumeにすっかりハマっている。perfume(パフューム)とは、先月発売された2ndアルバム「GAME」のDVD付き限定版があっという間に売り切れ、通常盤も飛ぶように売れて、今、大ブレイク中の女性3人組のテクノポップユニット。運転しながら、散歩しながら、料理しながら、パソコンしながら…毎日聴いている。邦楽でこんなにヘビーローテーションで聴いている音楽は、80年代末~90年代初めにかけて夢中になった森高千里以来かな。


perfumeの最大の魅力は「ボーカルとサウンドの見事な融合」だと思う。もともと歌い上げ系というか、熱唱型はどうもニガ手で、日本のアイドル系の歌手では、荒井由実(アイドルか?)、原田知世、高岡早紀などといった一本調子なヘタウマ系の声質がずっと好みだった。perfumeの楽曲のオリジナリティーは、全曲作詞・作曲を手がける音楽プロデューサー中田ヤスタカの才能から生まれたものであるのはもちろんだが、3人の声質というか、透明感清涼感のある歌声とユニークなダンス(振り)に負うところも大きい。
テクノポップアイドルともいわれるが、そうしたジャンルに収まりきらない曲調のバリエーションがある。もろデジタルな音づくりでありながら、無機質な感じはしない。ほっとする暖かみさえ感じる。特筆すべきなのは、3人の日本語の言葉がサウンドに埋もれることなくはっきり聞こえてくるということ。注意して聴くと3人の声は微妙に違う(それを聞き分けるのが楽しみでもある)のだが、一体となった時に紛れもないperfumeの声(サウンド)になり、歌詞が耳にすんなり入ってくる。


「エレクトロワールド」は2006年の曲で「GAME」には収録されていない。テクノというより、力強いロック風味のエレクトリックポップミュージックといった感じで、ダンス(振り)もかっこよくて、聞き入って(見入って)しまう。perfumeの曲ではこれが1番好きかな。発売された2年前は、この曲もperfumeの存在もまったく知らなかった。



YouTubeでは、「エレクトロワールド」に限らずperfumeの曲に合わせて踊ったり、歌ったりするマニアックな人たちを海外からの投稿も含めて見ることができる。こうした兆候をみても、日本のアニメ文化との親和性やユニークなダンスの魅力、クールでキュートな歌声、楽曲自体のクオリティの高さなどから、perfumeは北米だけでなくヨーロッパでも受け入れられるのではないだろうか。海外進出したらこれまでの日本のどのミュージシャンよりも受けそうな気がする。

最近ショックだったこと

若いころから毛が細く、量も少なかった私の髪は、40代にはいるとますますその傾向が顕著になった。髪の薄さを気にする私を見かねてか、職業柄その方面に詳しい妻がフランス生まれのヘアエスティティックのブランド、ケラスターゼのシャンプーとスカルプトリートメント(育毛剤)を勧めてくれたのは40代後半のこと。ケラスターゼの製品は市販されておらず業務用でしか買えないため(今はネットの通販でも手に入るようになったが)、妻が私のためにと購入してくれたものをずっと愛用してきたのだが…。なんと、抜け毛防止・発毛促進を謳うスカルプトリートメントがなぜか製造中止となり、使用できなくなってしまった。正直なところ、どれほど効果があるのか定かではなかったのだが、まさに風前の灯火状態の私の毛髪を護る最後の砦のように思っていただけに、もう使えないのを知った時はかなりのショックであった。


と、ここまででこの話は終わりにしたいのだが、実は愛用の育毛剤の発売中止以上にショックを受けたことがあった。それは私の今後のヘアケア相談に応えて妻が言った次のようなことばである。
「ハゲたって見た目は変わらないって」「誰もハゲなんか見ていないから」「今度はリアップにしたら」
これらのことばの言外には、次のような意味が隠されているのであった。
「ハゲてもハゲていなくても、その歳になったら見た目はおんなじなの!」「ハゲていようがいまいが、結局はさえないオヤジにしか見えないんだから、別に気にすることはないわよ」
ああ、なんという薄情なセリフ。男にとって髪の毛がどんどん薄くなっていく恐怖、そして言いようのない寂寥感、その切実な思いがあなたには理解できないんでしょうか…(泣)

雨の仙台

今、仙台に来ている。第1回「菅江真澄の足跡・写真コンテスト」の入賞作品の巡回展を仙台で開催中なので、その会場係員として。
仙台に宿泊するのは3年ぶりだが、けっこうな都会だなあ、と思ってしまう。仙台市の人口は現在約103万人。人口30万人に届くか届かないかという東北の県庁所在地のほとんどが、市街地の空洞化がすすみ活力が失われつつある中で、仙台が一人勝ちといったところだろうか。街を歩いていると、やたらカフェが目につくのは、支店経済都市(サラリーマン・ウーマン)、学園都市(学生)としての性格からなのかな。


学生時代、ヒッチハイクで東京から青森県の下北半島に向かう途中、仙台の勾当台公園で野宿した時のこと。明け方、異様な吐息と身体が重いのとで目が覚めると、男の人が寝袋の上にのっかっていた。驚愕してあわてて払いのけたが、その人はスーツ姿でちゃんとネクタイをしめていた。出勤途中(?)だったのだろうか…。仙台に来るたび、あの時のことを思い出す。それと当時必ず立ち寄った駅前の「めしのはんだや」と。


東北電力ビル1階にあるグリーンプラザ・アクアホールで開催中の「菅江真澄の足跡・写真コンテスト」巡回展(13日まで)


今日は朝から一日中冷たい雨が降っていた。桜がちょうど満開だろうと予想して来てみたのだが、全体にまだ5分咲きといったところ。


宿泊ホテルの近くにある「榴ヶ岡(つつじがおか)公園」は枝垂桜の名所として有名だが、ようやく開いた花びらも、今朝は雨に打たれていた。