Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

ハッピーマンデーと小正月行事

1月15日といえば、成人の日である。いや、であった。平成10年秋に祝日法が改正され、成人の日は1月の第2月曜日に移った。土曜から月曜までの3連休をつくり、消費拡大による経済波及効果を図るためというのがその理由で、ほかに「海の日」「敬老の日」「体育の日」が月曜日に固定された。誰が名付けたかしらないが通称「ハッピーマンデー法」。


1月15日は小正月行事が行われてきた特別な日だ。
この日が成人の日になったのは次のような理由がある。
「旧暦においては、1月15日は望(もち)=満月の正月であり、この日に新しい年が来るといわれていました。昔は生まれた日ではなく、新しい年がくると一つ歳を取るといわれていましたので、新しい年に、成人になった人たちをお祝いするということで、1月15日が成人の日になりました」(『子どもに伝えたい年中行事・記念日』萌文書林)


同じことは10月10日だった「体育の日」にもいえる。あの日は東京オリンピックの開会式の日。晴れの日になる確立の高い気象の特異日だったから祝日にした経緯がある。
1月15日には、予祝行事の「雪中田植(庭田植)」や各地の来訪神行事などの民俗学的にも興味深い小正月行事が今も行われている。


数年前に『庄内の祭りと年中行事』(無明舎出版)という本の制作で取材した山形県の手向(とうげ)の「サイ(塞)の神祭り」も15日に行われる小正月行事だった。サイの神祭りは、子どもが中心になって 祭りの一切をとり仕切り、伝統の行事をやりとげる経験を通して地域共同体の自覚を高め、自治と協力を学び合う貴重な体験をする。いわば祭りが大人に至る通過儀礼的な意味合いを持っていて、こうした行事は古くから日本各地で行われてきた。しかし、休日でなくなったことから、各地で行事そのものが変容せざるを得ない状況になっている。


日本の季節感の中で培われてきた行事、しきたりや風習、それらを経済効果という名のもとで勝手に変更、変容させてよいものか。
そもそも「ハッピーマンデー法」が施行されて、本当に景気が活性化したのか。3連休が増えたからといって誰もが喜んでハッピーになっているとでもいうのか。


年ごとに変わる成人の日なんて、祝日の存在そのものが意味をなさないのだから、そこが同窓会や合コンと同じおちゃらけの場と化しても不思議ではない。形骸化した現在の成人の日に合わせて、中身が空っぽのお調子者のおバカたちが大挙出現するのも当然だ。
もう成人式なんかやめちまえばいいのだ。でなければ、各自治体ごとに「塞の神行事」のような成人の通過儀礼の日を設けてそれを成人の日にしてしまえばいい。

Tokyo Twilight

ちょうど1カ月ほど前、東京の新名所、六本木ヒルズへ行った。クリスマス前ということで、街は華やぎ、ものすごい人出。行ったころがちょうど夕暮時。まさに「Tokyo Twilight」。でも、ここで見られるのは小津映画の「東京暮色(Tokyo Twilight)」とは別の惑星の黄昏。高層ビルの灯り、自動車の光のライン、瞬くネオンの中で、この六本木ヒルズをはじめ汐留(シオサイト)、品川グランドコモンズなど、東京は再開発でいつの間にか超高層ビルの乱立する都市と化していた。ただ、黒々とした暗闇が広がる場所-皇居、新宿御苑、代々木公園、青山墓地などが思いの外多いことに救われた。そして小さくて可愛いライトアップされた東京タワー。東京に来るたびに東京タワーが好きになる。


W・ヴェンダースの小津安二郎へのオマージュ映画『東京画』(1985)には、東京タワーの展望室で同じドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォークと会話をする場面があった。ヘルツォークは言う。「地上に残っているイメージなんてほとんどない。ここ(東京タワー)から見渡しても視界は全部ふさがっている。この傷ついた風景の中からまだ何かを発見しなければならない。もうこの地上には昔のように映像に透明性を与えるものは見出しえない。かつて存在したものはもうない」
それに続けてヴェンダースは言う。「純粋な映像への希求はよくわかる。が、私のイメージはこの地上に、街の喧騒の中にある」


1980年代初めの東京タワーから眺めた東京の風景。たった20年前の風景がもうそこにはない。ヘルツォークとヴェンダースが再びこの森タワーから東京を眺め、会話をするとしたら、『東京画』と同じことを言うだろうか。


先月12日に行われてた小津映画の国際シンポジウム(「OZU2003」)で、ノエル・シムソロというフランスの評論家が、「東京では深作映画で見たやくざや溝口映画の芸者、小津映画のような家族を見られると期待してきたが、実際はメトロポリスとブレードランナーをごちゃ混ぜにしたような街だった。映画監督は本当の現実を撮りははしないことがよく分かった」と発言していた(12月21日付朝日新聞)。
 
日本人からみれば、40年前、50年前の映画を見て述べるセリフとはとても思えないが、めまぐるしく変貌する東京という都市は、西欧の知識人にとっては理解の範疇を越えているのかもしれない。

『恋恋風塵』の台湾

 昨夜のBSで侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『恋恋風塵』(1987)とアキ・カウリスマキの『カラマリ・ユニオン』(1985)が続けて放映された。小津安二郎映画特集に関連したラインアップなのだろう。2人とも自他ともに認める小津映画ファンだから。
『恋恋風塵』は日本に初めて紹介されたホウ・シャオシェンの映画だったと思う。公開は1989年で、この年は続けて公開された『童年往時』とともにキネマ旬報のベストテン入り、さらにこの後『悲情城市』がカンヌでグランプリをとり、ホウ・シャオシェンの名声が一気に高まった。
実際、このころの作品は固定カメラによる自然描写、人物造形がこれまで見たことのないような映画の時間と空間をフィルムに定着させていて、ほんとに素晴らしかった。ただ、近年の作品はほとんど見ていないのだが、あまり評判はよくないようだ。小津安二郎生誕100年を記念して日本で制作された『珈琲時光』も、あらすじを読むとなんだかあまり期待できないような…。
一昨年の無明舎出版の舎員旅行は台湾だった。私も旅行の一員に加えてもらえたので、これ幸いとばかり『恋恋風塵』と『悲情城市』のロケ地である九份(ジウフェン)を訪れた。九份の廃墟になった映画館には『恋恋風塵』の看板がまだかかっていて、そこで撮った記念写真↓は、私の大のお気に入りだ。

15年ぶりにTVで再見した『恋恋風塵』はやっぱりよかった。普通、何年もたって見直すと、忘れたり記憶違いしているシーンが必ずあり、印象も変化するものだが、初めてみた時とほとんど同じ質の感動を受けたことに驚いた。さらに、実際に映画の中の風景に身を置いてきたからだろうか、とても“懐かしい”映画となっていた。今は地下駅となった台北駅、台湾国鉄宣蘭線、何度も出てくる基隆山、九分の石段、常緑樹の濃い緑。押しつけがましさのない画面から立ちのぼる台湾の風景、亜熱帯の空気。映画を見て、また台湾に行きたくなってしまったなあ。


ネットで検索してみると、ホウ・シャオシェンの映画を見て台湾に行ったという人が結構いる。中にはロケ地を探して訪ね歩き、映画のカットと同じアングルの写真を撮っている人がいて、ここまでマニアックに徹するとホント、敬服するしかない。
http://www.gangm.net/taiwan/dustInTheWind/index.html

恋恋風塵 [DVD]
恋恋風塵 [DVD]
紀伊國屋書店
2007-01-27
DVD

『東京画』を見る

TVで『東京画』(1985)を見た。W・ヴェンダースが小津へのオマージュを捧げた作品なのだが、私はちっとも感心しなかった。
パチンコ屋、ゴルフの練習場、竹の子族、食品サンプル工場…ガイジン(欧米人)が奇妙に感じる日本。それらが全編にわたり冗漫に映し出される。あまりにステレオタイプ、あまりに底が浅く薄っぺらな感性にメゲた。音楽も前衛を気取っているのだろうが醜悪だ。


東京のホテルで、深夜TVがジョン・ウェインの映画のあとに日の丸、君が代を流すのを撮る。そこに何の意味があるんだ。TV(アメリカ文化)に毒されているとでも言いたいのか。『都会のアリス』(1974)でアメリカに幻滅し、ニューヨークのホテルでグジグジと独り言を言っていた主人公も同じだった。変わらないのも考えもの。


それに、初めと終わりに『東京物語』のファースト・シーンとラスト・シーンがそのままそっくり引用されるのだが、このシーンは東京じゃなくて尾道でしょう。ヴェンダースの見た1983年の東京と対比するのはおかしいのでは?


笠智衆と厚田雄春にインタビューするのだが、なんというか、愛が感じられないのだ。特に厚田雄春に向けるカメラの眼差しからは敬愛の念が感じられなかった。もしかすると撮影したカメラマンが、この2人に対しヴェンダースほど思い入れを持っていなかったのかもしれない(ヴェンダースも覗いたろうが)。


ヴェンダースは『夢の涯てまでも』(1991)で再び東京を撮ったが、そこでもパチンコ屋、カプセルホテルなど『東京画』と同じガイジンの見た奇妙な日本を恥ずかしげもなく使っていた。少しは成長してよ。笠智衆が出演するのだが、その登場場面は勘違い日本趣味丸出しで、この俳優に対する尊敬の念が感じられなかった。今は亡き淀川長治翁(媼)がこの映画を見て大憤慨していたことを覚えている。 


『東京画』で唯一興奮したのは、新宿ゴールデン街のバーで、フランス人の映画監督クリス・マルケルが顔の半分(片目)だけ登場するシーン。ヴェンダースはちょうど同じ時期に日本で撮った映画『サン・ソレイユ』を見て、「この数日後見た彼の映画『サン・ソレイユ』は同じ外国人でも私にはとても撮れない映像で、東京をとらえた傑作だった」と率直に述べている。
西欧人が同じ日本(東京)を撮ったモノローグ映画でも、『東京画』と『サン・ソレイユ』では、どうしてあんなに対象へのアプローチの仕方に差があるのだろう。


ヴェンダースはドイツ人らしくマジメすぎるのかもしれない。
せめてアキ・カウリスマキとはいわないまでも(昨夜TV放映された『小津と語る』に登場した映画監督の中では、やっぱりカウリスマキが一番よかった)、ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)ほどのユーモアが欲しい。『ストレンジャー~』では主人公が競馬新聞を見ながら、出走馬の名前をLate Spring(晩春)、Passing Fancy(出来ごころ)、Tokyo Story(東京物語)と読み上げるシーンがあった。小津監督へのオマージュとしてはこちらのほうがずっとカッコよくて洒落ている。


東京画 デジタルニューマスター版 [DVD]
東京画 デジタルニューマスター版 [DVD]
東北新社
2006-04-21
DVD

湯治場はドライヤー・ワールド?

先日、しばらく音信不通だったSさんという人の所在がわかり、『東北の湯治場湯めぐりの旅』の本を贈ったら、お礼としてカール・Th・ドライヤーのカタログが送られてきた。
今月から12月にかけて、有楽町朝日ホール(上映終了)、国立近代美術館フィルムセンター(10月28日から)、ユーロスペース(11月15日から)で全作品が一挙上映される映画祭が開催されているとのこと。


ゴダールの『男と女のいる舗道』でアンナ・カリーナがを見て涙を流すシーンがあった。その印象が強いせいか、ドライヤーの映画は何本か見ている気がしていたんだけど、カタログの上映リストを見ると知らない作品ばかり。実際は『奇跡』『裁かるるジャンヌ』しか見ていなかった…


Sさんは同封の手紙に「いつの間にかToshibonワールドに引き込まれ、“つげワールド”というより“ドライヤーワールド”のストイックな写真もすばらしかった」と、『東北の湯治場~』の感想を書いていた。ウーン、これは私にとっては最も嬉しいほめ言葉かも。


それにしても今年の秋の東京は、清水宏に小津にドライヤー。コアな映画ファンにはたまらないラインアップだなあ。

カール・Th・ドライヤー コレクション 奇跡 (御言葉) [DVD]
カール・Th・ドライヤー コレクション 奇跡 (御言葉) [DVD]
紀伊國屋書店
2010-05-29
DVD