Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

Tokyo Twilight

ちょうど1カ月ほど前、東京の新名所、六本木ヒルズへ行った。クリスマス前ということで、街は華やぎ、ものすごい人出。行ったころがちょうど夕暮時。まさに「Tokyo Twilight」。でも、ここで見られるのは小津映画の「東京暮色(Tokyo Twilight)」とは別の惑星の黄昏。高層ビルの灯り、自動車の光のライン、瞬くネオンの中で、この六本木ヒルズをはじめ汐留(シオサイト)、品川グランドコモンズなど、東京は再開発でいつの間にか超高層ビルの乱立する都市と化していた。ただ、黒々とした暗闇が広がる場所-皇居、新宿御苑、代々木公園、青山墓地などが思いの外多いことに救われた。そして小さくて可愛いライトアップされた東京タワー。東京に来るたびに東京タワーが好きになる。


W・ヴェンダースの小津安二郎へのオマージュ映画『東京画』(1985)には、東京タワーの展望室で同じドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォークと会話をする場面があった。ヘルツォークは言う。「地上に残っているイメージなんてほとんどない。ここ(東京タワー)から見渡しても視界は全部ふさがっている。この傷ついた風景の中からまだ何かを発見しなければならない。もうこの地上には昔のように映像に透明性を与えるものは見出しえない。かつて存在したものはもうない」
それに続けてヴェンダースは言う。「純粋な映像への希求はよくわかる。が、私のイメージはこの地上に、街の喧騒の中にある」


1980年代初めの東京タワーから眺めた東京の風景。たった20年前の風景がもうそこにはない。ヘルツォークとヴェンダースが再びこの森タワーから東京を眺め、会話をするとしたら、『東京画』と同じことを言うだろうか。


先月12日に行われてた小津映画の国際シンポジウム(「OZU2003」)で、ノエル・シムソロというフランスの評論家が、「東京では深作映画で見たやくざや溝口映画の芸者、小津映画のような家族を見られると期待してきたが、実際はメトロポリスとブレードランナーをごちゃ混ぜにしたような街だった。映画監督は本当の現実を撮りははしないことがよく分かった」と発言していた(12月21日付朝日新聞)。
 
日本人からみれば、40年前、50年前の映画を見て述べるセリフとはとても思えないが、めまぐるしく変貌する東京という都市は、西欧の知識人にとっては理解の範疇を越えているのかもしれない。