Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

湯治は東鳴子、川渡へ

湯治にいくなら東鳴子、川渡へ。特にまるみや旅館、高東旅館をおすすめします。ただし、同じ湯治宿でも、この二つは館内の造り、お湯の効能、ご主人の人柄(?)などのタイプが異なるので、ご主人と電話などで相談したほうがいいかもしれません。


「元湯自炊まるみや旅館」(東鳴子温泉)
http://www.naruko.eier.net/marumiya/
自炊専門の昔ながらの湯治宿。各室にキッチン・食器付き。食事は出前が自由にできるので困らない(半自炊もあり)。部屋にカギはかからない。風呂は別浴の自家源泉(含食塩・芒硝-食塩泉)と、混浴の赤湯共同源泉(重曹・食塩泉)。ご主人はとても気さくな方で、自身も年二回、家族で自炊湯治の湯めぐりをしているという大の湯治場好き。


「高東旅館」(川渡温泉)
http://www3.ocn.ne.jp/~takato/new_page_5.htm
数年前に建て替えたので全室南向きのきれいで清潔な建物。でも、湯治宿としてのココロは昔のまま。共同キッチン、健康娯楽室あり。お風呂(上の写真)は別浴の自家源泉(含重曹・芒硝-硫黄泉)。ご主人は「鳴子温泉療養部会」の会長で、とても気骨のある人。充実のHPに書いてある湯守日記はなかなか読ませます。

モロ・ノ・ブラジル

私が十数年前にやっていた飲み屋Mでは、ブラジル音楽をよくかけていた。お客さんに日系三世のNさんや、ブラジル音楽フリークの人がいて、テープやレコードをよく持ってきてくれたからだ。ただ、店をやめてからは、ほとんど聴かなくなっていた。ところが、3カ月前にフィンランド人の映画監督、ミカ・カウリスマキの「モロ・ノ・ブラジル」を見て以来、再びブラジル音楽が私のまわりで鳴りだした。


「モロ・ノ・ブラジル(MORO NO BRASIL)」とは、「私はブラジルに住んでいる」という意味で、ブラジル音楽のとりこになったミカ・カウリスマキが、文字通りブラジルに住んで(長期滞在して)撮りあげたドキュメンタリー映画。ブラジル北部ベルナブンコ州のインディオの音楽から始まって、黒人色の強いバイーア州のリズムを経て、リオデジャネイロのエスコーラ・ジ・サンバ、マンゲイラまで、いわばブラジル音楽の流れを辿るロード・ムーヴィーだ。


私が名前を知っているような有名ミュージシャンはほとんど出てこない(大好きな歌手カルトーラの未亡人、ドナ・ジッカがちらりと登場するのはうれしかったが)。知っている曲はクララ・ヌネスが歌っている名曲「ジュイーソ・フィナウ」のみ。ブラジリアン・ファンク、サンバ・ソウル、なんていうストリート・ミュージックをはじめ、多種多様で強烈な個性を持った無名ミュージシャンが次から次へと登場する。マニアック、というか、深くこい~~い。同じような音楽ドキュメント「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」と比べいまいち盛り上がらず、あまり話題にならなかったのは、きっとその濃さのせいだろう(歌手の人生を感傷的に取り上げることもないしね)。
私も見ている間は、ちょっとマニアックすぎるんじゃあ?と引きぎみだった。だが、見終わったあとになぜか無性にサンバが聴きたくなり、3カ月近く経った今、車の中で大音響で愛聴しているのはブラジル音楽ばかり。アイルランド音楽もいいが、ブラジル音楽もやっぱりすばらしい!


「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は確かによくできた映画だったが、そこで奏でられていたのは過去の音楽だった。だが、「モロ・ノ・ブラジル」は過去から現在に至る進行形の音楽を扱っている。貧困にあえぐストリートから発生する生身の音楽に焦点を当てている。そこが凄い。
ミカの弟のアキ・カウリスマキが小津安二郎に傾倒しているのはよく知られているけれど、なんでも70年代半ばのロンドンで、ミカ(兄)に連れられて「東京物語」を見に行ったのが、アキ(弟)と小津映画との初めての出会いだったとか。


この兄弟、同じ小津信奉者の白人でも、「ブエナ・ビスタ~」のW・ヴェンダースよりは、あざとさが感じられず、ずっと好感がもてる。(またヴェンダース批判をしてしまったようで…)

伊豆沼の渡り鳥

先日の東鳴子温泉ミニ湯治の帰途、伊豆沼に立ち寄ってみた。
伊豆沼、それに隣り合う内沼は、冬鳥の飛来地として国際的に重要であるため、北海道の釧路湿原に次いで日本で2番目にラムサール条約の登録湿地に指定されたところ。宮城県のみならず、国内のバード・ウォッチャーの聖域(サンクチュアリ)のような場所なので、前から一度行ってみたいと思っていた。


冬になると伊豆沼・内沼に飛来するのは、夏の繁殖地(シベリア・北極圏)と越冬地(伊豆沼・内沼)を往復しているハクチョウ、ガン、カモ類。それら渡り鳥のおびただしい数に圧倒された。同行した私の連れは鳥がニガ手なので車から降りなかったほど。


私がバード・ウォッチングに目覚めたのは高清水岡のふもとに住んでいた時だった。ようやく風の冷たさがやわらいだ春先の暖かい日、散歩コースだった高清水岡へ登る雑木林の中で、頭上を野鳥がさかんにさえずりながら飛び交うのを見ていたら、なぜか突然鳥の名前を知りたくなり、すぐに双眼鏡を買い求めた。以来、散歩に出かける時は必ず双眼鏡を携帯するようになった。


バード・ウォッチングのビギナーは誰でもそうだと思うのだが、そこが野鳥たちの棲息場所だと知った時から、全く気にもとめていなかった森や水辺が今までと違ったものに見えてきて、野鳥図鑑が手放せなくなる。


自宅からほど近い磯辺の浅瀬でじっと動かないアオサギをよく見かける。近くに彼らのコロニーがあるといわれているから、昔から普通に見られたはずなのだが、バード・ウォッチングに目覚める前はあまり目にした記憶がない。興味がないからそこに存在していても、視界にはいらなかったのだ。(まあ、野鳥にかぎらず、私たちが見ているもの、世界の成り立ちそのものが、個々人の主観的な思い込みが生みだした幻影にすぎないともいえる…)
地球上に人類が棲息していようがいまいが、バード・ウォッチャーなどいようがいまいが、アオサギは今日も鵜ノ崎の岩礁にひっそりたたずみ、渡り鳥たちは時を定め国境を越えて移動するのだから。


「ステイションからステイションへ(Station To Station)、コーストからコーストへ(Coast To Coast)記憶素子は伝達する。われわれはメディアそのものなのだ」(By Fuqusuke)
このことばは、われわれ人類よりも、鳥類にこそふさわしい文言ではないだろうか。
 
伊豆沼(宮城県栗原市・登米市)

東鳴子温泉でミニ湯治

20年くらい前、漠然と「物書き稼業」で暮らして行けたらいいな、などと思っていた。それがなんと、気が付いたら文章を書くことで飯を食べるようになって15年近く経ってしまった。願いが叶ったはずなのだが、この稼業、思っていたよりラクではなかった。なぜなら未だに文章を書くという行為に馴れない。いつまでたっても文章を書くために七転八倒しているのだ。まあ、簡単にいえば才能がない、ということに尽きるのだろうが…。


この世界で仕事をする上で避けて通れないものに、〆切というものがある。そのプレッシャーに耐えるだけの精神力と体力が近ごろとみに衰えてきたことも、私を憂鬱にさせる。〆切ギリギリで集中力を高めて2日くらい徹夜して何とか仕上げるなんてことはザラだったが、しかし、もう無理がきかない。それにそんないい加減な仕事ぶりはこの業界では通用しなくなっている。身体もあちこちガタがきている。前立腺肥大に胃腸病、最近は五十肩にもなった。


今さら貧乏から抜け出せるとは思わないが、せめてもう少しココロに余裕を持って楽に暮らせないものか。できることとできないこと。やるべきこととやらなくてもよいこと。残された時間がそんなにあるわけじゃないのだから。少しずつ生活を変えていかなければ。
…と、ついBlogにグチを書いてしまうほど、ここんところ仕事の〆切が重なって睡眠不足&不眠症になり、絶不調に陥ってしまった。それで、気分転換のため思い切って宮城県の東鳴子温泉に行ってきた。


泊まったのは「まるみや旅館」.ここは食事の提供はしておらず、自炊専門。日帰り入浴も受け付けていない。部外者が館内に入ることはないから部屋にカギはついておらず、どの部屋もドアを開けっ放しで、実にのんびりとした昔ながらの湯治宿。ご主人は東北の湯治場を紹介した拙著を読んで感激したと、うれしいことをおっしゃる。ご自身も湯治場が大好きで、年に2回は家族そろって各地の湯治場めぐりをしているということで、本に載せた宿はほとんど泊まっていた。


2日目にはそのご主人の取り計らいで、鳴子町観光協会で立ち上げた温泉療養部会に出席し、東鳴子、川渡、中山平など鳴子温泉郷の湯治宿における「温泉療養プラン」「現代湯治」の取り組みを聞くことができた。「まるみや旅館」はもちろん、東鳴子温泉の「勘七湯」、川渡温泉の「高東旅館」のご主人の湯治文化の再生にかける熱い想いに心を打たれた。鳴子温泉郷(特に東鳴子温泉)は今、日本の温泉地の中で一番湯治に力を入れ、各宿の経営者が頑張っている温泉場だ。


たった2泊3日のミニ湯治だったけど不思議と体調が戻り、眠れるようになった。

小津漬けの日々

年が明けてもお茶漬けならぬ小津漬けの日々(笑)。
何より初めて見た「浮草」の素晴らしさにまずびっくり。
小津の大映での唯一の作品ということで、厚田雄春ではなくて宮川一夫の撮影、主な出演者は小津組常連ではない大映の役者。それらのコラボレーションが(松竹の)小津調とは異なった雰囲気を発散して、フィルムが妙になまめかしく、いつもの小津映画にはない生きた人間の息づかいが感じられる。


冒頭の灯台と一升瓶(ビール瓶?)を並べるカットに度肝を抜かれ、滝のような雨にあっけにとられているうちに、物語はあっという間に終わりを迎える。黒沢清が言うように、「小津映画は速い」。


松竹のカラー作品より褪色が進んでいないせいか、暖色系の発色に特徴があるアグファカラーの色彩が、真夏の季節と京マチ子、若尾文子の肉感的な肌を美しく見せている。そのせいか小津世界の住人である杉村春子でさえ他の作品と比べるとずっと色っぽい。登場人物たちは真夏でも燗つけて酒を飲む。体感温度の高い映画だ。


それにしても若尾文子を足蹴にする中村雁次郎の暴力描写にはまいった。売り出し中の大映若手看板女優若尾文子を足で蹴るなんて!(原節子には絶対そんなことはできないはず)。この映画を見て原節子の出演する小津映画は、小津の真の欲望を上手に隠している「えふりこぎ」映画かもしれないと一瞬思った。


昨日見た「東京の合唱」もよかった。
岡田時彦演ずるサラリーマンの長女が可愛いな、と思って調べたら、高峰秀子だった。高峰秀子は小津映画ではこれと「宗方姉妹」の2本しか出ていない。「宗方姉妹」では、彼女の個性が小津の型にはまった演技指導からはみ出てしまい、それが小津映画の中では妙な居心地の悪さを生んでいたように思う。「東京の合唱」のほうが、ずっといい(子役の素の演技だから当然か)。


小津映画に出てくる兄弟は、男の子2人の兄、弟がほとんどで(「生まれてはみたけれど」「東京物語」「麦秋」「お早う」など)、この映画のように女の子が出てくるのは珍しいので、特別印象に残った。


小津映画にお決まりの汽車・電車(この映画では路面電車)もしっかり登場するのでうれしくなった。なぜかこの映画を見ていて、アキ・カウリスマキの「浮き雲」を思い出した。路面電車のシーン、失業しての職探しと夫婦の絆、最後に食堂でハッピーエンドを迎えるところなど、似ていないだろうか。

あの頃映画 松竹DVDコレクション 「東京の合唱/淑女と髯」
あの頃映画 松竹DVDコレクション 「東京の合唱/淑女と髯」
松竹
2013-07-06
DVD