Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

自分への敬意と身体

2無明舎出版のHPで舎長の安部甲さんが連載している「どすこいエアロビ&東京日記」の3月27日付けの記事「身体を丁寧に扱えない人に敬意は払われない」は、とても示唆に富む内容で、そこに書かれている言葉のひとつひとつが、今の私にグサリとくるものがあった。
以下引用する。
>「敬意」というのは他人から受け取る前に、まず自分から自分に贈るものであり、自分に敬意を払っていない人間は他人からも敬意を受け取ることは出来ない。


>自分に敬意を持つことの第一歩は自分の身体を丁寧に扱うこと。自分の身体から発信される微細な「身体信号」に敏感に反応すること。


>「悪い場所」に近づくと人間の身体はその場所が発する「瘴気」を感知する。そこに踏み込むと自分が汚れたり、損なわれたり、リスクが高いということが身体にはわかる。しかし、自分の身体に敬意を持たない人は身体がいくら危険信号を送っても、それを感知できない。


>自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることが出来ない。


ここ一週間ほど、場所、悪場所、身体、気、について考えていた。私が最近足を踏み入れたある場所。以来、まとわりついている瘴気。自己中心的臓器である脳に対し、身体は社会的な臓器であるという。今の私が抱える問題を解決する道筋は、自分自身の身体の中にあるのだろう。