Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

もと新聞ジャンキーのひとりごと⑴

実は私は数年前まで新聞さえあればどこでも時間がつぶせ、退屈しないという重症の新聞ジャンキーだった。高校は新聞部、大学はマスコミ関係の学部、某新聞社の就職試験を受けて落ちたという恥ずかしい過去も持っている。


喫茶店でアルバイトをしていた学生時代は、その日の不要になった新聞(店でとっていたスポーツ新聞など数紙)をすべて持ち帰り、アパートの一室で酒を飲みながら読むのが日課だったし、ある地方都市に住んでいた時は、仕事を終えてからの帰途、行きつけの飲み屋で新聞を読みながら酒を飲むのが何よりの楽しみだった。一時(いっとき)は、全国紙、地方紙、沖縄の琉球新報の三紙を同時に購読していたこともある(新聞がたまるだけなので、数か月でやめてしまったが)。


そんな私がある全国紙の偏向具合に愛想が尽きて購読をやめてから、以前ほど新聞を読まなくなった。ただ、仕事に有用な記事をチェックするため、地元紙(地方紙)だけは購読している。共同通信が配信している時事・国際関係のニュースと文化欄は、全国紙に比べて質・量が貧弱だが、新聞を読まなくなったといっても、すっかり時事・社会に関心がなくなったわけではないので、量的には調度よい。


で、長崎・佐世保の小6同級生殺害事件について少し。
いたましい事件だが、ことばの持つ暴力性を改めて思った。加害者の女の子のホームページには、クラスメートに対する過激な言葉が並んでいたという。下品な言葉を使うことが、さらに憎悪を増幅させ、ネット上で別人格を誕生させたのではないか。


インターネットでは、人と人とが接触する表の世界と違って自信過剰でサディスティックになる傾向があることは、心理学の面からも指摘されてきた。内(バーチャル)と外(リアル)のバランスをとるのは、実は大人でさえ難しい。
ちょっとした書き込みで激しい怒りを生じた人が荒らしに走り、その掲示板が閉鎖に追い込まれたりするなんて普通に起こっていることで、インターネットにハマった人は誰しも一度や二度経験があるのではないだろうか。そうした時に、アタマを冷やして自分の感情をうまく抑えるのは、大人でもけっこう高度な感情コントロール能力を要する。


私はメールを書く時、相手が気を悪くしないかととても気を遣ってしまう。それは面識のない人だけとは限らず、性格を知っている親しい間柄ならなおさらで、普段電話でならどうってことないやりとりでも、文字で伝えるとなるとその表現方法に気を遣う。それで時々、やりすぎと思えるほど丁寧になったり、まわりくどい表現、かえって慇懃無礼な文章になってしまうことがある。
インターネットでのメールは、感情をうまく相手に伝える(相手から受け取る)伝達手段としては向いていないのでは?と思う。それはコンピューターを使ったコミュニケーションにおける日本語という言語の特質、特異性とも関係しているのかもしれないが…。


この事件での被害者、加害者とも、文集の自己紹介で趣味がパソコンと書いている。小学生でパソコンなんかを趣味にしていちゃだめだ。もちろん、中学生、高校生も。パソコンが趣味だと言ってもいいのは、年寄りだけだ。
退職しての年金生活。他にこれといった趣味も持たず、妻に先立たれた独居老人。引きこもりの年寄りにこそふさわしい。これから誰もが避けて通れない長い長い老後は、パソコンがあるから退屈せずに済む。
私もきっとそんな老人のひとりになるだろう。