Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

庄内の鉱泉宿

庄内の鉱泉宿① 辰ヶ湯温泉
山形県庄内地方の代表的な温泉といえば、すぐに思い浮かべるのは、湯野浜、温海、湯田川といった古い歴史を持つ温泉町だろう。しかし、この三温泉以外は(いわゆる新興の「公共の温泉」は別にして)泉温の低い鉱泉を湧かした規模の小さい一軒宿が多く、県の内陸部と比べると温泉の質、量とも見劣りする。ただ、私は温泉に関しては偏屈なところがあるので、施設が豪華な「公共の温泉」よりも昔ながらの鉱泉宿の簡素さ、普通っぽさのほうに惹かれてしまう。


「辰ケ湯温泉」は松山町役場のある町の中心部から北に1・5キロほど、周囲を杉林に囲まれた山間の地に、ひっそりとたたずむ小さな鉱泉宿。木造二階建て、瓦屋根の宿は、明治41年に建てられたというだけあって、なかなかの風格と味わいがある。文化3年(1806)の開湯というから、歴史の古さでも他の有名温泉地にひけをとらない。 


 随分前のこと、玄関からよく磨きぬかれ黒光りする廊下を通り、風呂場の脱衣場に入ると、中から「最上川舟唄」が聴こえてきたことがあった。
ガラス戸をそっとあけてお風呂場に入ったら、湯舟の中で歌っていた中年の男の人はピタリと歌うのをやめてしまったので、「気にしないでどうぞ続けて歌ってください」と言うと、しばらくして次は「真室川音頭」を歌い始めた。よく伸びるいい声だ。小さな風呂場だからエコーがかかってなおさらよく響く。一緒に歌いたくなったが、そこはこらえてしばらく聞き惚れた。
  
 湯舟を満たす湯の色は乳白色で、硫黄の匂いがする。泉温が12度と低いので加熱しているが、塩分を含んでいるのでよく温まる。療養泉としてすぐれているので、かつては湯治客が多かった。現在も湯治料金を設定し、長期滞在者に便宜を図っている。


庄内の鉱泉宿② 松山温泉観音湯
「辰ケ湯」のある松山町には、もう一軒、私の好きな鉱泉の宿がある。町の最南部、最上川右岸の高台にある「松山温泉観音湯」だ。ここは昭和63年に開業した民間経営の新興温泉だが、これまで2度宿泊している私の経験から、好ましい温泉宿のひとつとして推奨できる。 


その理由としては-地元採用の従業員がきびきび働いていて気持ちがいいこと。館内がアットホームな雰囲気に包まれていること。見晴らしのいい高台に建っているので、お湯に入りながら蛇行する最上川に沿った庄内平野を一望できること(庄内でこんなに眺めのいい浴場も珍しい)。そして何よりも低料金であること…。 


「観音湯」は長期滞在者用の自炊設備などの機能は備えていないが、全体の雰囲気はのんびりゆったりの湯治場然としたもので(そのぶんローカル色が強いが)、内陸部の羽根沢温泉や赤倉温泉の湯治宿に似た雰囲気がある。きっと経営者が温泉好きで商売は二の次という大様な人物なのであろう。


泉温14度の硫黄分を含むアルカリ性泉を浴用加熱。足し水はしていない。源泉は約1キロ先の山中にある。 


庄内の鉱泉宿③ 筍沢温泉滋生館 
松山温泉「観音湯」から直線距離にして南へ約10キロ。羽黒山北側にある筍沢(たけのこざわ)温泉(藤島町)は打撲傷などの痛みに卓効のあることで全国的に名の知られた温泉だ。明治の初めに発見され、営業を始めたという「滋生館」が一軒、緑の木々に囲まれた山合いに建っている。


ここも泉温12度の自然湧出の冷鉱泉(単純硫化水素泉)だが、その効能はヘルニア、骨折、ムチウチ、打ち身、火傷、術後の回復など…。これらの病気やケガで悩む人が訪れ回復していったというので、別名「人助けの湯」「救いの湯」の名がある。 


年間を通じて湯治を目的とした客が途切れることがなく、一般の行楽客より療養の湯治客を優先している。私が日帰り入浴したのは、古い浴室を改築してタイル張りの新浴室に作り替えたばかりのころだった(平成5年)。湧出量に合わせて大きさを決めたというこぢんまりした浴室が、かえって湯治の宿としての確たる姿勢と自信があらわれているように思えた。


現在はお風呂のみの客は原則として受け付けておらず、宿泊も3泊以上という決まりなので、私が入浴したのはその時一度きりである。一緒に入浴していた人たちの話は、もっぱら自分のケガの回復具合についてだったと記憶している。


庄内の鉱泉宿④ 火打崎温泉松林館
最後に紹介する庄内の鉱泉宿は、鶴岡市の西方、大山・菱津にある火打崎(ひうちざき)温泉「松林館」。背後に日本海と隔てる丘陵が連なり、前面に庄内平野の田園が果てしなく広がるロケーションに、木造二階建ての簡素な宿が建っている。 


玄関に入って最初に目が合ったのは、ソファーに座ってクーッと一気に大ビンビールを飲んでいる風呂からあがったばかりのおじいさん。通された部屋は二階の大部屋。襖を閉めて八畳に区切る。うっかりするとここが温泉宿だと知らずに通り過ぎてしまいそうな地味な建物だが、内部は廊下、縁側と部屋が一体となった造りで、思いのほか広々としている。
温泉旅館に宿泊するというよりも、旅行の途中に田舎の親戚の家に立ち寄ったら、泊まっていけとすすめられて、2、3日やっかいになる-といった感じだろうか。


温泉の発見は明治20年という。開業当初から神経痛や皮膚病に効き目がある湯治旅館として近郷の人びとに利用されてきた。泉温16度で浴用加熱。案内書によっては泉質を緑ばん泉、鉄泉と書いてあるが、宿の温泉分析書には、Ph6・7の単純硫化水素泉と記してあった。


「辰ヶ湯旅館」、「観音湯」、「滋生館」、「松林館」。地味ながらも地元の人たちに支持されているこうした鉱泉宿が、庄内にはまだまだしぶとく生き残っているのは、うれしく心強い。