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髪結いの亭主 物書きの妻

東京日記 「紫陽花日記③」 iPadと新聞

宿の近くの晴海トリトンスクエアへ遅い朝食を食べに出かける。ここは3棟の高層オフィスビルを中核に、ショップ・レストランや住居を配した複合施設なのだが、周囲に「水のテラス」「緑のテラス」「花のテラス」がめぐらされていて、緑がとても豊か。


今の季節はガクアジサイがテラスの散歩道を彩る。いつ訪れても季節の花々が咲いていて心が和む、私のお気に入りの場所だ。


「水のテラス」のベンチでiPadを見ている若いビジネスマンがいた。実はiPadの実物を目にしたのは、これが初めて(笑)。この後、順天堂大学病院へ向かう地下鉄の中でも、向かいの席でiPadを持った人に遭遇。だが、東京に滞在していた1週間あまりの間、パブリックな場所でiPadを使っているのを見たのは、品薄状態が続いているせいなのか、この2回きりだった。
面白かったのは、その電車で向かいの席に座っていた6人のうち、iPad所持者以外は、全員が本を読んでいたこと。たぶん偶然だったのだろうが、これは不思議な光景だった。これをもって、紙の本の優位性を言うつもりはない。それよりも、あらためて日本人の読書好き=文字好きに思いが及んだ。現在、電車の乗客の行動形態で一番よく見られるのは、携帯電話でインターネットのサイトやメールを読んだり、打ったりしている人。日本では電車内で携帯電話での通話を制限されているせいもあるが(多くの国ではそうではない)、これも文字を読むこと、書くことが大好きな日本人だからこその光景ではないだろうか。


ただ、文字を読むという行為に関して、電車の乗客の行動形態を観察していて気づいたことがもうひとつある。それは新聞を読んでいる人がほとんどいないということ。私が東京で学生生活を送っていた1970年代と比べるまでもなく、10年前と比較してもその傾向は顕著だろう。今後、iPadのような情報端末がもし爆発的に普及しても、紙の本がすぐに淘汰されることはないだろうが、新聞はわからない。特に民主党の機関紙のような「G」やオヤジ臭さ丸出しの「F」などのタブロイド紙、そして内容が空疎なスポーツ紙。これらを今の10代、20代が中高年になった時、買って読むとはとても思えない。オピニオンリーダーとしての役割を終えた一般紙もしかり。駅の売店での新聞のスペースはこれからますます狭まっていくことだろう。
Newspaperのpaperとしての新聞の未来は暗い。かつてマスコミ志望だった「新聞編集(偏執?)少年」であり、大人になってからは重度の「新聞ジャンキー」だった私が言っているのだから、間違いない。(続く)


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