Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

東京日記 清州橋から新大橋へ

中央区日本橋のロイヤルパークホテルで開催された「全国食彩まるごと商談会」に、ある県のブースの担当として赴いた。ホテルは東京水天宮のすぐそばだったので、仕事が終わってから周辺を散策してみた。


水天宮は安産祈願、子授けの神様として信仰を集めている。この日も赤ちゃんを抱えた家族や子どもを連れた若い夫婦など、お宮参りをする人びとで賑わっていた。


境内の子宝犬。犬は多産でお産も軽いことから、この子宝犬の頭をなでると安産・育児がうまくいくといわれている。母と子犬のまわりを十二支が取り巻いていて、自分の干支を撫でると子授けや家内安全・厄除けなどのご利益があるともいう。

 
地下鉄半蔵門線「水天宮前駅」ができた時には、渋谷のハチ公が水天宮まで子宝犬に会いに来るという設定のポスターがつくられた。
たくさんの人に撫でられてテカテカに光った「辰」の干支(toshibonは辰年生まれ)を撫でてみる。母犬の背中には、水天宮の神紋である椿の花が。


水天宮から隅田川まで歩き、清洲橋を対岸に渡ろうとしたら、ちょうど橋の下を松本零士がデザインした水上バス「ヒミコ」がくぐっていった。


清洲橋を渡っていく途中、上流方向に「スカイツリー」がくっきりと姿を現した。隅田川にかかる橋上から望む「スカイツリー」は、今後、東京の新たな風景となるのだろう。


対岸は江東区清澄、常磐。こちら側から眺める清洲橋がもっとも美しいともいわれる。関東大震災の帝都復興事業として、ドイツのケルン市の吊り橋をモデルに造られたというこの橋は、下流の勝鬨橋、永代橋とともに国の重要文化財に指定されている。
どの橋が一番好きかと問われれば、3つの橋ともそれぞれ特徴があるので、難しい。


これは隅田川の支流小名木川に架かる「萬年橋」。葛飾北斎が「富嶽三十六景」で描いていることで有名。松尾芭蕉の「奥の細道」の出発地点でもあり、この橋の下から船で千住に向かったという。


萬年橋からほど近い路地の奥に、深川芭蕉庵の跡地「芭蕉稲荷」がひっそりとあった。


隅田川の左岸テラスをさらに上流に進むと…
ほどなくして新大橋が現れる。この橋を渡って、再び中央区へ。


中央区浜町側の橋のたもとに関東大震災の「避難記念」碑と「人助け橋のいわれ」碑があった。関東大震災の際に隅田川の橋で唯一被災せず、避難の道として多数の人命を救ったため、新大橋は「人助け橋」と呼ばれたのだという。水天宮の御神体もこの橋に運ばれ難を逃れたといわれている。


浜町公園を通って明治座の近くまで来て後ろを振り返ると、スカイツリーが冬枯れの木々の間にかすんで見えた。


人形町方向に歩いて行く途中で、蕎麦屋(浜町藪そば)を見つけた。
浜町といえば、確か日本画家の鏑木清方も一時住んでいたんでは。清方には清洲橋を描いた絵があったはず…。清方の代表作「築地明石町」のモデルといわれる女性が『銀の匙』の中勘助に求婚したというのは、本当なのだろうか。それにしても中勘助は喰えない奴だよな…。
そんな連想ゲームのようなとりとめがなくどうでもいいことに思いをめぐらしながら、午後の蕎麦屋でしばしボーッとする。