Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

会津再訪

先週から今週にかけて福島県の会津地方に行ってきた。メンバーは私のほかに無明舎出版のAさん、ライター仲間のFさん、S社の編集者Rさんの総勢4人。Aさん、Fさんが会員となっている「とうほく街道会議」が主催する旧街道のウォーキングに参加がてら、会津で一杯やるという硬軟まぜた小旅行だった。


「とうほく街道会議」とは、街道や宿場を町おこしに活用したり、街道歩きをしてかつての道沿いの様子を考えたりするグループが集まって結成したもので、Aさんはその幹事を務めている。奥会津の三島町から昭和村へ抜けるおよそ5キロの道のりを約3時間かけて歩いた。この山道はかつて銀山街道と呼ばれ、江戸時代には幕府の巡見使が通った道でもある。初夏を思わせる明るい日射しが影をつくる新緑のブナ林を抜けたところにある峠は、その名も「美女峠」という。


周囲を山に囲まれた盆地の城下町会津若松は、私が6年前に人生の節目となるある重大な決断をした場所で、そんなことからも個人的に思い入れが強く忘れ難い街だ。夜は6年ぶりに訪ねた「籠太」という思い出深い居酒屋で、会津の郷土料理と酒を堪能した(ただし、店自体はこの春に移転し、すぐそばで経営していた「ふくまん」を改装した新店舗で営業している)。
※会津居酒屋「籠太」HP


籠太のご主人はいかにも会津人といった質実さと簡単に妥協しない頑固さを持った人のように見受けられる。ただ、同じ頑固さでも津軽の〃じょっぱり〃、高知の〃いごっそう〃などのような理不尽?な我の強さ、押しの強さは感じられない。会津人の気質は、会津の三泣きといって、よそから来た人はまずとっつきにくさに泣く、次に人情のよさに泣く、最後に離れがたくて泣く、のだという。


街を歩いていて見かけたポスター。
「会津を訪れるひとは 日々の流儀に泣かされ…」
いかにも会津らしいと思いませんか。