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髪結いの亭主 物書きの妻

海の湯治場 金ヶ崎温泉

秋田県で古くから湯治場として賑わったところは、主に奥羽山脈の火山地帯にある山の温泉で、海岸地帯はきわめて数が少ない。だから、男鹿半島西海岸に湧く金ヶ崎温泉は貴重な存在だった。だったと過去形にしたのは、50年ほど前までは源泉のある海浜に露天の浴槽と宿舎が設けられ、湯治客が利用していたのだが、現在はそこから約2キロ離れた温泉宿泊施設に引き湯して、それを金ヶ崎温泉と呼んでいるからだ。


東北地方で波打ち際の温泉といえば、青森県の津軽西海岸の不老不死温泉が知られているが、金ヶ崎温泉はもっと原始的で野性味にあふれていた。それにこの温泉は人家から遠く離れた隔絶された場所にあり、断崖を下るか海上から行くしかないため、湯治客の多くは船でやってくることが多かったという。まさに海の秘湯だったのだ。


金ヶ崎温泉にあった宿舎は、北海道のニシン漁で財をなした近くの戸賀集落の網元が大正年間に建てたというもので、6畳ほどの部屋が4つある長屋風、老夫婦が管理人として住んでいた。管理人夫婦が引き払ったのは昭和25年(1950年)ころで、その後もしばらくは放置された宿舎を利用する湯治客がいたというが、嵐などで宿舎が痛み、湯船が崩れるなどして、次第に行く人もいなくなったという。


金ヶ崎温泉は現在も誰でも簡単に行けるところではない。県道脇から釣り人が設置したと思われるロープが下まで伸びているが、急斜面なので成人男性でも細心の注意が必要だ(お年寄りや子どもは無理)。断崖を下りて石がごろごろした浜を入江のほぼ中央まで行くと、波打ち際に四角い井戸のようなコンクリートの露天風呂跡がまだ残っていて、これは県道からも崖下に見ることができる。露天風呂跡ではお湯が今でも自然湧出していて、直径50センチほどの源泉池のようになっている。近くの男鹿温泉に似た黄土色の食塩泉だ。


今年の夏の終わりに久しぶりに行ってみたら、数日前の台風で源泉が砂で埋まっていたが、砂の中からぷくぷくと湯が湧き出ていた。驚いたのは、私のほかにもうひとりこの温泉を目当てにやって来た人がいて、聞けばかつてここで宿を経営していた人のいとこだという。その人は浴槽の砂を手で掘り出して即席の露天風呂を出現させたのだが、泉温が50度くらいあり、熱すぎて入れないので手ですくい浴びるだけで我慢した。


ここに夏の間だけでも利用できる浴舎と休憩施設があったらいい。そして、ちょっとお金がかかるかもしれないが、入江に桟橋を造って、西海岸を運行している島巡りの観光遊覧船が横付けできればどんなにいいことだろう。きっと究極の海の温泉として評判になり、温泉目当ての観光客が押し掛け、下降の一途をたどる男鹿観光の起爆剤になるのではないか…。潮騒を聞きながら、ぷくぷく湧き出る湯を見ていて、そんなことを考えた。


※昭和54年にこの金ヶ崎温泉を引湯して秋田県企業局が「桜島荘」を開業したが、昨年、民間に経営が引き継がれた。旧桜島荘(現「きららか」)に隣接した桜島野営場には無料の露天風呂があったが、現在は閉鎖されている。