2017年もあと数時間。どんな年だったのか、記憶の遠近がはっきりせず、忘れようにも思い出せない(バガボンのパパ風に)。 10月に70歳で〝不滅の男-エンケン〞遠藤賢司が亡くなったのを知って、本当に何十年かぶりに2ndアルバムの「満足できるかな」(1971)を通しで聞いた。当時もろに影響を受けてコー... 続きをみる
2017年12月のブログ記事
-
-
1970年代の中ごろ、神奈川県鎌倉市に1年ばかり住んだことがあった。あちらこちらの都市を転々と引っ越し歩く生活を続けていた私が、そこで熱中していたことはと言えば、鎌倉の銭湯を調べることだった。 市内にある5軒の銭湯の番台の高さ、座っている人物の特徴、脱衣カゴやロッカーの位置利用者の服装と晨物の種... 続きをみる
-
-
『ウンタマギルー』(1989)の高嶺剛監督に1度だけ会ったことがある。 1975年の夏だったろうか…。京都の百万遍交差点のそばに「彷徨館」という名の喫茶店があり、そこで私がつくった8mmフィルムの上映会を催したことがあった。上映までのいきさつについては、よく覚えていない。たぶん、「彷徨館」がインデ... 続きをみる
-
-
今さら、と思われるかもしれないが、吾妻ひでおの『失踪日記』は傑作だ。 内容は-①マンガが描けなくなって失踪してホームレス生活(1回目)→②連れ戻されるが再び失踪してホームレス生活(2回目)。2回目の失踪でガス配管工事関係の肉体労働に従事→③ガス配管工の仕事をやめて漫画家の生活に戻る(漫画家として... 続きをみる