Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

続・東京日記 夜の勝鬨橋⑵

築地の市場が豊洲へ移転した後も、営業を継続している場外市場は変わらず賑わっていて、銀座~晴海通りの歩道には一目で観光客とわかる外国人が列をなして歩いているのだが、夜に勝鬨橋を渡っていると、築地にやって来る外国人観光客とも違う様々な人種の人びととすれ違う頻度が以前より高くなったように感じる。大江戸線が開通して勝どき駅ができた23年前とは、「街」の風景が大きく様変わりしたが、「人」の風景も変わりつつあるようだ。


そんななか、変わらぬ姿を見せていると思っていた勝鬨橋も、ところどころに錆が目立ってきたのか、長寿命化を図るため腐食対策としての塗装工事が行われている。



修理中の橋から望む窮屈そうに佇む「哀愁の東京タワー」(by遠藤賢司)

下流の築地大橋(2018年架橋)を往く屋形船


私はまだ参加したことはないが、コロナ禍前に行われていた勝鬨橋の橋脚内見学ツアーも、今年になって再開したようだ。
https://loveretro.work/2023/02/kachidoki-bridge/


今夏は盆踊りも都内各所で開催されていて、その様子がyoutubeにアップされている。
築地本願寺の境内でこんなに盛大な盆踊りが行われていたなんて知らなかった!

4K【築地の盆踊り】築地本願寺納涼盆踊り大会 2023 東京 Japan

きまぐれに1曲⑳ 横須賀公園にて(1982)

今から44年前の1978年の夏、長崎のジャズ喫茶『K』の裏、薄暗い私の部屋にそのポスターを貼り、日がな―日眺めていた。それは電通の広告作文コンクール募集のポスターで、細長い日本列島を分割し再構成したほぼ円形の日本地図?がコラージュされていた。ある種の異様さを見る者に与えるこの地図は、また同時に新鮮なイメージを喚起させた。「古代緑地」そして「妣が国」は、きっとこのような形をした《島》に違いなかろうと―。



長崎棲みの3年後の1981年夏には沖縄~八重山の島々を旅した。その旅の経験も含めて、当時頭の中で膨らんでいた「旅と島、辺境と都市…」をテーマに『Far Eastern Lullaby(極東地方の子守歌)』というタイトルのカセットアルバム(私家版)をつくった。この「横須賀公園にて」はその中の収録曲。曲、演奏とも稚拙で、何より独りよがりの詞がいたたまれないが(ここで歌われる「横須賀の丘」とは此岸で「島」は彼岸の意を込めた?)今となってはその「痛さ」加減も懐かしい。



横須賀公園にて(1982)

きまぐれに1曲⑲ Evening Star (Fripp&Eno)

夏になると隠岐の島や五島列島の福江島、沖縄南西諸島の島々などに渡った、20代のころの船旅を思い出す。静かな凪の海面に反射する陽光のきらめきを透かして次第に姿をみせる島影。その時口をついてでたのは「島へ渡る時はただの旅人(Passenger)、島から帰る時はまれびと(Visitor)」というフレーズだった。そしてそのフレーズのリフレインとともに頭の中でずっと鳴り続けていたのはフリップ&イーノ(FRIPP & ENO)の「イブニング・スター EVENING STAR」(1975)であった。



Fripp & Eno ‎– Evening Star


「Evening Star」のジャケットに描かれた《島》は、まさに私の懐かしい故郷〈男鹿島〉そのもののように思えた。

男鹿島残照
https://www.youtube.com/watch?v=x0l70-0ApEk&t=1s

続・東京日記 トシボン改めトシドン!?

東京都中央区の日本橋高島屋S.C.本館4Fにある高島屋史料館TOKYOで開催されている「まれびとと祝祭―祈りの神秘、芸術の力―」(8月21日まで、月・火曜休館)を覗いてみた。


文芸評論家で多摩美術大教授の安藤礼二氏の監修で、写真家・石川直樹氏による日本各地の来訪神儀礼(フサマラー、ミルクマユンガナシパーントゥボゼ、トシドン、オニ、ケベス、アマメハギ、アマハゲ、ナマハゲ、ナゴメハギ、ミズカブリ、スネカ)の写真と祭祀の解説、岡本太郎の東北地方の民俗行事関連写真と作品、アイヌの衣服、1978年を最後に途絶えている沖縄久高島 の祭祀「イザイホー」の映像など、小さなスペースに脈路なく展示されている。

展覧会のチラシには、この展示の意義についてこう述べている。
「本展では、まれびとと祝祭を現在の視点からとらえ直してみたいと思います。古より人類は、幾度も疫病の脅威にさらされてきましたが、我々は祝祭(祭り)と、その時間的・空間的中心に現れるまれびと(来訪神)を信仰することにより、それらを乗り越える経験を重ねてきました。感染症パンデミックにより、不可避的に閉ざされた関係を強いられている現在だからこそ、改めてまれびとと祝祭に目を向け、これら根源に立ち返ることが、現状を打ち破るヒントになるのではないかと考えます」

「まれびと」の一形態であるとされている異形の神が訪れ来る僻村で生まれ、子どものころを過ごしたtoshibon。「まれびと」「来訪神」に関しては、屈折した思い入れと、ことばを超えた感情が呼び覚まされるので、ここで語られていることの意味とこの展覧会の意義が、いまひとつよく飲み込めない。

1978年を最後に途絶えている「イザイホー」の映像を見ながら、遥か40年前の1981年に久高島に渡り「ニライカナイ」を夢見た時のことや、久高島の御嶽に足を踏み入れ(るという禁忌破りを犯し)た岡本太郎の「何もないことの眩暈(めまい)」という沖縄の神信仰の本質を捉えたことばに思いをめぐらせていたら、鹿児島県甑島の「トシドン」の写真を見ていた妻が、私にそっと「トシボン」じゃなくて「トシドン」にしたら、と言う。
最近、妻の機嫌がいいのがうれしい。




見終えてから、高島屋のレストラン街でご飯にしようかと言ったら、「そんなところでは食べたくない、久しぶりに泥鰌でも食べない」と、彼女が提案する。例年より早く梅雨が明けたと思ったら、連日の猛暑。日ごとに気温が上がってバテ気味なので、いつもなら近くの「室町砂場」で一杯やりながらの蕎麦コースだが、こんな時はスタミナのつくものがいいと私も同意。珍しくふたりの食べたいものが一致した。

日本橋から都営地下鉄一本で行ける「駒形どぜう」へ。みなさん考えることは同じなのか、店の前には順番待ちの人たちが並んでいる。まあ、人気店だから仕方がない。20分ほど待ってありついた泥鰌鍋。ビールもいいけど、お燗したお酒と相性がよい。暑い時には熱い飲み物と食べ物。このところなぜか私にやさしい妻。「トシボン」から「トシドン」に変身しそうな勢いで、こんなに上機嫌で食べて飲んだのは、随分久しぶりのような気がするな。



気まぐれに1冊⑩ 『東京日記6 さよなら、ながいくん。』

―東京が雨なので「ながいくん」を連れて出かける。電車に乗り、用をたし、また電車に乗って家に帰ってきて、気がついてみると「ながいくん」の姿がない。しばらく茫然とし、それから「さよなら、ながいくん」とつぶやき、少し泣く―


これは川上弘美さんの『東京日記6 さよなら、ながいくん。』に載っていた「十一月某日 雨のち晴」の日の出来事。「ながいくん」って誰?と思われた方がいるかもしれないが、彼は人ではありません。傘です。


『東京日記6』によれば、川上さんが2泊3日の台湾旅行に赴く際、折り畳み傘ではなく透明な長い傘を一本持参したのだが、一度も使うことなく帰ってきたので、これからは海外短期滞在旅行にはこの傘をいつも持参しようと決意し、「ながいくん」名付けたのだという。ところが、「雨のち晴」の某日に都内をあちこち歩いているうち「ながいくん」をどこかに(多分電車の中に)忘れてきたらしい。それで「さよなら、ながいくん」となったのである。にしても、この「ながいくん」を本のタイトルにするなんて、そんなに愛着があったのかな?


海外旅行に長い透明傘を持っていくのも可笑しいが、その傘に名前を付けて失くしたら「少し泣く」のも(ほんとか?)可笑しい。『東京日記』はこの「6」が最新刊だが、もとの発表の場が「東京人」~「ウェブ平凡https://webheibon.jp/tokyonikkiの連載ということもあるのだろう、女性のエッセイストにありがちな「芸」を売るあざとさや押しつけがましさがないので、小説と違って『東京日記』に限っていえば、ことばが素直でスーッと読める。もう文壇の大御所なのだけど、未だに理系女子(と言ってももう64歳にもなるなんて!)と呼びたくなるようなたたずまいが感じられるのもtoshibon好みであります。
ということで、これで「気まぐれに一冊」読了、といきたいところだが、今回はここからが本題なので、少々おつきあいのほどを。


『さよなら、ながいくん』を手に取った時、toshibonはドキッとした。なぜなら、今回の『東京日記』のタイトルは、私の名字(姓)をひらがなにして「くん」付けし、それに「さよなら」していたから! (再婚しているかどうかは不明なので)まさか川上さんの恋人がtoshibonと同名で、その彼との別れ話を書いているのか? と思って読んでみたら恋人じゃなくて「傘」というオチだったけど…(笑)


川上さんは2001年に『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞を受賞した。授賞式が行われたのは皇居の真ん前にあるT會舘で、そこに私の妻の仕事場があり、なんと式当日に川上さんを担当したのだという。そのことを知ったのは授賞式が終わってからで、唐突に「川上弘美さんて知っている?」と訊くではないか。妻はブンガク方面にはとんと興味のない人なので、「背の高い人だった」という以外、特に印象はなかったみたいだけど、、、、ああ、あらかじめ知っていたなら妻に頼んで『センセイの鞄』にサインしてもらったのに!


それともうひとつ肝心なことなんだけど、妻は私のことを「ながいくん」と名字に「くん」付けで呼ぶ。友人たちにも使っている。結婚してからずっと変わらない。下の名前(First Name)で呼ばれたことがただの一度もない。これってどうなの? たまには名前を呼んでくれないかな(ちなみに私は妻のことを名前に「さん」付けで呼んでいる)、と思うのだが、いつ「さよなら、ながいくん」といわれるか、ほんとに日々ビクビクして過ごしているので、怖くて言えないのです。