Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

イチローの引退に思う

イチローが引退した。最後の出場試合、試合後の会見はTV中継され、翌日のニュースはイチロー引退の話題で占められた。そこでは誰もがイチローを称賛し、リスペクトの言葉を口にした。そこで思ったのは…
イチローってこれほどまでに愛されていたっけ?


野球人、著名人のなかに、そのプレースタイルや言動を快く思わない人が少なからず存在したし、特にネットでは「〇〇ロー」という蔑称で呼ばれていたりしていて、アンチが多いな、という印象があったからかもしれない。だから、一億総イチローファンみたいなマスコミの報道にちょっとした違和感があった。


イチローは野球に対する敬意と情熱は熱く激しいが、誰からでも愛されるわかりやすいキャラではない。基本的にエエカッコシイでガンコでヘンクツ、ちょっぴりナル(自己愛?)が入っていて、何よりプライドが人一倍高い。オタク的なところも多々ある。かなりヘンな奴なのである。


私はイチローファンである。日本からアメリカに渡ってからのマリナーズ時代は、毎日TVの野球中継を見るのが日課だった(当時のイチローの全打席を録画していたと伝え聞く大瀧詠一氏ほどではないが…)。
マリナーズでのイチロー排斥騒動には心を痛めた。不振をかこちヤンキースへ移籍。さらにニューヨークからフロリダへ。移籍後は出場機会も限られ、かつての輝きは次第に失せていった。そしてマーリンズから再びマリナーズへ。「イチロー不要論」のあるなか、年間の試合にはいっさい出場せず、「球団会長付特別補佐」として、チームに帯同するという「特別契約」で過ごした昨年のシーズン。ベンチで奇声をあげ、チームメートを(というより自分を?)鼓舞するその姿をTVで見たとき、ある種痛々しさを感じたのだが、これまで経験したことのない立場に耐えたイチローのモチベーションとは何だったのか。誰の目からも明らかな衰えを隠せなかったのに(自分でもそれは十分わかっていただろう)、現役になぜあれほどこだわったのだろうか。


日本での興行は「ビジネス」という要素が多分にあったとしても、ヒットを打ち続けてきた人間の花道を飾るためのこれ以上ない忖度(お膳立て)をメジャーリーグ(球団側)は用意した。しかし、日本での公式戦2試合でヒットを1本も打てなかった。どれも凡打なのも悲しかった。イチローのヒットを見るために球場に足を運んだであろうファンに応えることなく現役を去る。ある意味残酷なようだが、それも野球である。だが、イチローの栄光はそれで傷つくことはなく、ファンもイチローもその現実を拍手と笑顔で受け入れ、だからこそレジェンドとなった。イチローは(万人からではないにしても)ファンに(そして野球の神様に)確かに愛されていたのだ、と今は思う。