Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

東京日記 ミレイ展

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「英国ヴィクトリア朝絵画の巨匠〈ジョン・エヴァレット・ミレイ展〉」を観る。

ミレイといえばシェイクスピアの「ハムレット」の悲劇のヒロインを題材にした「オフィーリア」があまりに有名だ。私がこの展覧会に足を運んだのも、「オフィーリア」をこの目で観たい(確かめたい)がためである。
今から15年ほど前、NHK教育TVの「日曜美術館」で「オフィーリア」を特集したことがあって、その時の印象からミレイをずっと「ラファエル前派の画家」として捉えていた。だが、今回の展覧会を観ると、ラファエル前派として活動していたのは画家としてのキャリアの初めのころ、ほんの僅かな期間であったことが分かる。展覧会場の大半を占めているのは、「オフィーリア」が描かれたラファエル前派以降の歴史画、風俗画、肖像画、風景画など幅広いジャンルの作品で、ミレイの生涯にわたる画業の変遷を俯瞰し、その全容を紹介する本格的な回顧展となっている。会場をひとまわりして、ミレイ=「オフィーリア」のイメージ以外の多くの顔を持っていた大画家であったことを、おそまきながら知った次第。


「オフィーリア」は私が思っていたよりも、小さな作品だった。この絵のモデルのエリザベス・ヘレナ・シダルは、真冬に浴槽の中で長時間絵のようなポーズをとらされたため、風邪をひいたというエピソードが伝えられている。エリザベス・シダルはラファエル前派の画家たちのミューズ的な存在で、後にミレイの同胞でもあった画家ロセッティの妻となるのだが、最初の子どもを死産したあとに33歳の若さで夭折している。絵のテーマとあいまって、なんだか暗示的だ。
「オフィーリア」以外の作品では、ほぼ同じ時期に描かれた「マリアナ」に釘付けになった。どちらも、女性の官能性を象徴的に描いている。私はやっぱりこの2作品に代表されるラファエル前派時代の絵に心惹かれるものがあった。
 
※toshibon's essay「オフィーリアとシューマン」


追記
映画『めぐりあう時間たち』(原題:THE HOURS/監督:スティーヴン・ダルトリー)の冒頭、ニコール・キッドマン扮する作家のバージニア・ウルフが入水自殺するシーンを思い出した。あのシーンは「オフィーリア」と情景がとても似ていたので、絵(精神性)をモチーフにしているようにずっと感じていた。それで、ネットで検索してみたら、原作本(翻訳本)は「オフィーリア」の手の部分が装丁に使われていた。やっぱり、と納得。

東京日記 どじょう求めて

東京(首都圏)は9月になっても暑い日が続き、残暑がはんぱじゃない。そんななか、直射日光が降り注ぐ日中に横須賀や熱海など海沿いの街をふらふらしていたら、軽い熱中症にかかったのか、夜眠れなくて身体がだるい。それで、なにか栄養のあるものでも食べてスタミナをつけようと、妻を誘ってどじょう(泥鰌)を食べに行くことに。


店は浅草の合羽橋にある「飯田屋」に決め、いさんで店の前まで行ったら、なんと臨時休業の貼り紙が。がっくりきたが、頭の中がすっかり「どじょうモード」になっているので、他の食べ物屋に行く気がおこらない。そこで同じく浅草にあり、何度か行ったことのある有名店「駒形どぜう」へ向かう。が、どうせなら行ったことのないどじょう屋にしようと気が変わる。


神田の須田町界隈にどじょう屋があったような気が…。というわけで、急遽、地下鉄で神田まで。時々利用するお気に入りの蕎麦屋「神田まつや」の裏通り、「いせ源」、「ぼたん」、「竹むら」、「神田藪そば」など、いずれも食通には名の知られた老舗が並ぶ一角。そのうち、店の前に出ていた品書きに柳川なべがあった「いせ源」にはいる。店の正面入口に大きく「あんこう鍋」の看板が出ている。実はここはどじょう屋ではなく、あんこう鍋で有名な店だった。


結局、神田のこの界隈にはどじょう屋はなかったことが判明。あんこうの季節には少し早いせいか、まだあんこう鍋は提供しておらず、私たちは柳川なべと天麩羅を注文した。「飯田屋」でどじょうが丸ごとはいった鍋をぐつぐつ煮てフウフウいいながら…、のつもりだったので、柳川なべではなんとなく物足りないが、まあ、どじょうにありつけたのだから、よしとするか。


「いせ源」の柳川なべ。このあと小川町の居酒屋「みますや」にハシゴしたのだが、そこにも柳川なべのメニューがあり、値段は「いせ源」の半額だった…。

東京日記 観音崎の横須賀美術館

神奈川県横須賀市の横須賀美術館に行って来た。この美術館は横須賀市の市制100周年を記念し、昨年春に開館したばかり。観音崎公園内(観音崎灯台の西側)という鉄道の駅からかなり離れた辺鄙な場所にあり、JR横須賀駅からは湘南京急バスで30分くらいかかるので、立地条件はあまりよくない。
だが、この美術館ができたことを知った時、是非とも行ってみたいと私に思わせた1番の理由は、観音崎というそのロケーションにある。観音崎は東京湾の中でも水路が狭まった浦賀水道に面している。ここにねぐらをかまえ、日がな一日、岬をかすめるように航行するさまざま船を眺めて過ごせたらなぁ、、、、というのが、初めてここを訪れた20歳のころからの(叶わぬ)願望である。


ところで、横須賀美術館ではいま「ライオネル・ファイニンガー展―光の結晶―」という企画展が開催されている。実のところライオネル(リオネル)・ファイニンガー(1871~1956)は初めて聞く名前で、私は全く知らない画家だった。チラシには、ニューヨーク生まれのドイツ人で表現主義とキュビズムの影響を受けた画家とあったので、私のあまり好みじゃない抽象画だろう、なんて勝手に決めつけて、企画展自体にはあまり期待しないで出かけたのだが…、いやいや、予想に反してその絵は独自性のある素晴らしいものだった。


1930年前後に描かれた風景画、なかでもバルト海を題材にした絵がよかった(海の絵を海の傍にある美術館で見るのは、いいものだ)。キュビズム風風景画?といったらよいのだろうか。具象ではない、かといって抽象でもない。その中間の不思議な光の空間。日本で本格的に紹介されるのは今回が初めてらしいが、世界にはまだまだ(日本では)知られていないすぐれた画家がいるものだ。


「ライオネル・ファイニンガー展」



横須賀美術館。外観は塩害を防ぐためにガラスで覆われている部分が多い(設計者は山本理顕氏)。


レストランとテラス。眼前に芝生広場をはさんで東京湾が広がる。


館内の壁や天井には丸穴が開けられ、海からの自然光が入るようになっている。


屋上は東京湾をみはるかす海の展望台になっていて、ここから背後に広がる観音崎公園の樹林の中へも行くことができる。


観音崎の遊歩道を歩いていたら、岬の突端に釣り人がいた。あまりに風景にぴったり溶け込んでいたので、思わずパチリ。


美術館のすぐそばには東京湾が一望できる「観音崎京急ホテル」がある。館内のレストランでお茶を飲みながらしばし行き交う船を眺めていたら、「ソーダ水の中を貨物船が通る」(荒井由実『海を見ていた午後』)のフレーズが突然口をついて出た。こんなところで30年前の曲をくちずさんでいる自分に自分でビックリしたが、同時にこのころのユーミンって、やっぱり天才だったんだな、とも思った。

Love And Mercy

前のエントリーの続き。BS-hiで放映されたトリビュート・コンサートはNew York, Radio City で2001年に行われたものだが、その後もブライアンへの賛辞・賞賛は続いていて、'05年にもジェフ・ベックなどが参加した新旧のロック・ミュージシャンによる「トリビュート・トゥ・ブライアン・ウィルソン」と題したコンサートが行われている。極めつけは昨年12月に、第30回ケネディー・センター名誉賞(The 30th Kennedy Center Honors)を受賞したことだろう。ケネディー・センター名誉賞は、アメリカの芸術分野における多大な貢献が認められた人に贈られるもので、その授賞式後のショウの映像がyoutubeにあった。
https://www.youtube.com/watch?v=ZcqvknM6vFI


ステージでブライアンの「ラヴ・アンド・マーシー(Love And Mercy)」を歌うリベラ(Libera)は、イギリスのサウスロンドン出身のボーイ・ソプラノ・ユニット。ボーイ・ソプラノに目がない?toshibonではあるが、ヒーリング・ミュージック的な音づくりがあまり好きになれなかったので、リベラに関してはだいぶ前にパッフェルベルのカノンをアレンジした曲が入っているアルバムを聞いたきりだった。だが、「Love And Mercy」の祈りのような詞とリベラの無垢な歌声がブライアンのイノセントな魂と一体となったかのようなこの映像を見て、心がうち震えるような感動を覚えた。(で、これを見たあと「Love And Mercy」が収録されているニューアルバムを即買いしてしまった)


最初、この映像にダイアナ・ロスや映画監督のマーティン・スコセッシが出ているので、あれ?と思ったのだけど、2人ともブライアンと同時に受賞したことを知って納得。感極まったダイアナ・ロスが涙をふいているのを見ると、こちらまでホロリとしてしまう。ブライアンの表情は相変わらず硬くて、精神状態は決していいようには見えないけど、賛辞に応える姿を見ながらこれまでのブライアンの軌跡を思うと、本当に胸がいっぱいになってしまう。

旅に倦む日々

 6月の中ごろに温泉取材の旅に出て、気がつけば今日から7月。山形県の村山・置賜から福島県の会津をぐるりとまわり、栃木県の塩原・那須を経て再び福島県の浜通りに入り、北上して今、郡山にいる。そろそろ山の中の温泉も飽きてきたので、賑やかな街が恋しくなり郡山のビジネスホテルに投宿し、久しぶりにネットに繋いでいるところ。


携帯も圏外という山間の湯治宿ばかりに泊まっていると、新聞も読まず、TVもほとんど見ない。もちろんネットとは無縁。そんな日々が半月以上続くとさすがに世情に疎くなる。
でも、それが結構心地よかったりする。今回の旅はあまり先を急がず、流れるにまかせて動いている。そのためか、訪れた場所、泊まった宿、どこもハズレがない。特に宿は十数か所泊まったが、どこもハズレがない。これは珍しいこと。いつもは泊まって後悔、憤慨して後味の悪い思いをする宿に必ず遭遇するものなのだが。


それにしても福島は広い。今回は栃木県北部にも立ち寄ったので、なおさら県の(特に東西の)奥行きを感じる。はっきり予定をたてて行動していないので、自宅に帰るのはいつになるのか自分でもよくわからない。
2ヵ月ほど前、「旅に倦む」などと深刻ぶってこのブログに書いてしまったのが、今になっては恥ずかしい。考えてみれば、若いころと同じ感覚、感性で世界を捉えようと思っていることがそもそも間違いのもと、というか、傲慢なのであって、歳をとったら歳をとったなりの旅の仕方、作法があるはず。それを今ごろになって気づくなんて、何というぼんくらか。
今日からブログのタイトルを「としぼんくら ぶろぐToshibonkura Blog」に変えようか。