Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

考現学のキッチュな日々


1970年代の中ごろ、神奈川県鎌倉市に1年ばかり住んだことがあった。あちらこちらの都市を転々と引っ越し歩く生活を続けていた私が、そこで熱中していたことはと言えば、鎌倉の銭湯を調べることだった。


 市内にある5軒の銭湯の番台の高さ、座っている人物の特徴、脱衣カゴやロッカーの位置利用者の服装と晨物の種類、浴槽の形、蛇口の数とお湯の出具合、冷蔵庫の中にある清涼飲料水の銘柄‥‥等々。それらをノートに図解入りで書き留めていた。中でも浴場内の壁面に描かれているベンキ絵の絵柄は 特に力を注いだ研究対象であった。


こんなことをやりだしたきっかけは、民俗学に興味を持ち図書館通いを日課としていた私が、柳田国男や折口信夫の全集と並んで書架にあった今和次郎集に遭遇したことに始まる。


 大正から昭和初期にかけて考古学に対しての考現学(モデルノロジー)を提唱したこの人の仕事が、「もの好き」「デイレッタント」としての私の感覚にぴったり来るものがあった。例えば丸ビル界限にやつてくるモガたちを追跡し、克明に記録(採集)した「丸ビルモダンガール 散歩コース」の意味のない面白さにわけもなく感動したのだった。


そこで私も考現学採集のまねごとを銭湯において実践してみたというわけだ。さらにそのころ、故石子順造の評論集『キッチュの聖と俗』を愛読していたので、キッチェという言葉の響きが私の変質者的視線と呼応し合い、目玉を銭湯のぺンキ絵とむかわせていた。


ちょっと一般社会の規範からズレているもの、簡単にわりきったり意味付けできないもの、街を歩いていると出喰わす時代を感得させる様々な風俗、意匠。一瞬のまばたきの間に移り過ぎていく時間のきしみ、または停上した記憶が宇宙人の忘れ物のように痕跡となって残っているモノたち‥‥。


 考現学とキッチュのフィルターを通して世の中を覗き見ることが、今この時、極東の島国に生きていることを自覚させ、スピリッツが1969年で切れてしまった(イーグルス「ホテルカリフォルニア」)と歌われた70年代、黄昏の日々を退屈せずに過ごさせてくれたのだった。

キッチュの聖と俗―続・日本的庶民の美意識 (1974年)
キッチュの聖と俗―続・日本的庶民の美意識 (1974年)
太平出版社