Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

落ち葉のアルバム

ちょうど1か月前(ということは、昨年の話になるが)、群馬県に住んでいる友人を訪ねた。友人は私よりひとつ歳が下で、年齢より若く見える。だが、寄る年波には勝てないようで、目尻のシワが目に付くようになり、最近はオシッコの出が悪くなってきたとぼやく(私ほどではないが)。頭髪も薄くなってきたようだ(これも私ほどではないが)。
永遠の少年のような趣があった彼も、歳を取るんだな、と思うと、不思議に安心した心持ちになった。


群馬の友人は85歳になる御母堂と暮らしている。友人宅でその御母堂がつくった「落ち葉のアルバム」を見せてもらった。
近くの公園などを散歩した時に拾い集めた落ち葉をスクラップブックに貼ったもので、4冊あった。
落ち葉からその植物(木)を調べて名を記すというわけでもなく、ただランダムに(でもその並びは美しい)貼られた落ち葉たち。そのシンプルさが素敵だと思った。
友人の母に対しこんなことを言うのは失礼かもしれないが、この方は心のきれいな人、純粋な人だと思った。


今は誕生日ごとに歳をとる「満」で年齢を数えるのが一般的だが、私が子どものころは正月が来る(年が改まる)と歳を取る「数え年」もまだ普通に用いられていたように思う。
私は今年数えで58歳。若いころは60歳を超えた自分というものを全く想像できなかった。


でも、今は20年後の老年の自分をイメージすることができる(それまで生きていたらの話だが)。前立腺肥大で小便をちびらしながら、妻はどうしているだろうかと、想いをめぐらせつつ、ひとりで海辺の町(太平洋側の老人介護施設の可能性あり)で過去とともに暮らしている…という。友人の御母堂や一昨年に亡くなった私の母のような、大正生まれの女性の優しさ・強さ・潔さを持った老人とはほど遠い情けなさだが、実はこれは結構マジな私の願望なのである。


なんか、新年最初のブログでするような話ではありませんでしたね。



×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。