Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

もと新聞ジャンキーのひとりごと ⑵

田口ランディが自己の体験を語るエッセーは、自分の文章に酔ってしまうのか妄想・虚妄気味なところがあるので、あまり好きではない(&小説も)。でも、時々ハッとするようなことも書いていて、最近彼女のブログで読んだ「新聞販売店という仕事」には、共感するところがあった。


奈良市の女児誘拐殺害事件の容疑者が新聞販売店店員だったということに関連して、「18歳のころ、1年間新聞販売店で働いていたこと」があり、「新聞販売店というのがどういう職場かはよく知って」いるという彼女は、「これでまた、新聞販売店の人が肩身が狭くなるんだろうなあ」と、感じたという。そして続けてこう言う。
「新聞ってすごいメディアだと思う。だって、毎日、人間がだよ、それぞれの家に運んでるんだよ。こちらから買いに行くんじゃなくて、朝早いうちに家に届けられる。人の力で。そんなことできるんだから、新聞社ってのは本当に儲かってるんだなあって思う。だってすごい人件費だと思うよ。いま、日本で人件費ほど高いものはないんだから」
「新聞社の人はみなとても優秀で良い大学を出ていて、時として少し傲慢だった。まあ、インテリという人たちだ。べらべらよくしゃべって弁が立つ。正義感もある。販売店の人たちとは人種が違う感じ。そういう近代知識人たちがたくさん集って、取材費を使って、そして記事を書いてそれが印刷されて新聞になる。世の中を糾弾したり、悪いことをした人を批判したりする。それは新聞の役割なのだから、どんどんやってください……という感じなのだけれど、私のなかにはどうにも…なんだかなあ…という思いがある」
「私には新聞社はいいとこ取りしているとしか思えない。世の中が変わっているのに、新聞販売店は十年一日のごとく何も変わっていないように見える。もう少し、新聞社は自分達のメディアを支えている販売店のことを考えてあげるべきだし、もっと良い労働環境が作れるように援助し、協力し、指導してもいいんじゃないかと思うのだけれど、そういうことを考える気が全くないみたい。まるで販売店なんて全然関係ないって感じ。だから、いつか新聞は家に届かなくなるんじゃないか。このままだったら、朝、ご飯を食べながら新聞が読める時代は、もう終わるような気がする」


実は私も18歳のころ、東京郊外の西武池袋線沿線のある町で半年ちょっと新聞配達をしたことがある。読売新聞の販売店で、貧乏学生だったので朝食付きというのが魅力で始めたのだが、1カ月の給料がいくらだったのか今では思い出せない。おそらくたいした金額はもらっていなかったと思う。
「新聞代ってなぜかみんな支払う時に威張るんだよ。ほら、払ってやるぜ!みたいな感じかな。なぜかわからないけれどそうなんだ。あたりまえのように新聞が来ていて、毎日読んでいて、で、新聞代を払う時に急にもったいなくなるみたい。(新聞が届けられるのが)あたりまえすぎるからかもしれない」と田口ランディも書いているように、集金が大変だった。ヘタレな私はすぐに集金はやめて、配達だけにしてもらった。


前に書いたが、私は朝日新聞を20年以上途切れることなく購読していた。悪名高き新聞のセールスマン(拡張員)の勧誘で景品をもらったわけでも、無理矢理契約させられたわけでもなく、自分の意志でこの新聞がいいと思って毎日届けてもらっているのだから、販売店の人が集金に来るとゴネたりすることもなく、帰る時にはご苦労さんと声をかけた。それって、当然でしょう。
考えてみれば、宅配の新聞とスタンド売り(キオスク・コンビニなど)の新聞が同じ料金(場合によってはスタンド売りのほうが高い)であることがおかしい。日本の新聞が公称900万とも800万ともいわれる世界一の発行部数の読売新聞をはじめ、全国紙5紙のほかブロック紙を含む地方紙も大部数を維持しているのは、決して読者の支持を得ての結果ではない。世界でもまれな専売店による宅配制度の下で大半が売られているためで、まさに田口ランディが言うように「新聞社はいいとこどりしている」。
宅配制度が崩壊すれば、日本の新聞社のいくつかはきっと倒産する。新聞社が一番怖れているものは、国民に不信感が広がり購読をやめること、すなわち部数が減ることにほかならない。だから新聞社への抗議は、「明日から配達しないでください」とひとこと電話するだけでいいのだ。 


なぜこんなことを書いているのかといえば、今世間をにぎわしている朝日新聞とNHKの
『NHK番組改変問題』(朝日新聞側)もとい『朝日新聞虚偽報道問題』(NHK側)についてこのところ思いをめぐらしているから。
マスコミ人の中には、選民意識丸出しの人がいる。その意識が傲慢さを伴ってもっとも態度に現れるのが新聞では朝日、TV局ではNHKであるわけで、NHKだってそんなに偉そうに朝日を糾弾できるほどキレイな身体でもない。どちらも強大な権力を持つ巨大メディア同士、組織の闇の深さはどっこいどっこいだろう。でも、今回の問題における朝日の姑息さ、論点はぐらかしとすり替え、ゴーマンかましの自爆ぶりはひどい。現時点ではどう見てもNHKに分がある。


韓流ブームを煽り、民放のように視聴者に媚びる番組を作り、大リーグをニュース枠で大々的に取り上げる(私は大リーグファンだが、興味のない人もたくさんいるはず)最近のNHKの傾向は快く思っていない。また読売が朝日よりすぐれた新聞と思ったことはないし(昔から読売が嫌いなのはアンチ巨人であることも大きいが)、朝日嫌いが薦める産経の読者にもなりたいとは思わない。しかし、これら他のメディアと比べても、公平な報道という名の下に、ある思想に基づく印象操作や、事実を曲げて報道するやり方は、朝日新聞が突出しているように思う(社会に及ぼす影響力も他のメディアよりこれまでは大きかった)。


朝日新聞の権威主義的なところ、読者の声欄に代表される世論操作、日本の愛国心は否定するくせに高校野球で郷土愛を煽る二枚舌、虚偽の記事を書いても訂正・謝罪しようとないそうした報道姿勢にずっと嫌気は感じていたが、馴れとは不思議なものでそれがこの新聞社の新聞社たる所以かもなどと半ばあきれつつ付き合っていた。それに文化欄のクオリティの高さはさすがだったし、何よりも他紙に比べて活字(の組み)が読みやすく愛着があった。それがとうとう愛想をつかして購読をやめたのは、サッカーの2002年日韓共催ワールドカップの報道が契機だった。


大新聞社の社員の多くは日本の一般サラリーマンとは格が違う一流銀行、一流商社、上級国家公務員などと同じ人種、エリートである。貧乏物書きの私のような者には目ん玉が飛び出るくらいの高給取りである。そんな選民意識に記事一本で世の中を変えられるという思い上がりと紙一重の正義感・使命感か加わればどうなるか。その典型が1989年の落書き珊瑚の事件であった。珊瑚事件では事件が公になってから、1か月以上たって社長が辞任した。今回は法廷での持久戦に持ち込むつもりのようだ。勝算がなくても、ここまできたらもうあとには引けない。時間稼ぎ、問題の沈静化を目論んでいるとしたら、もうオワッている。


新聞を公正・中立な立場で客観的な報道をしているというイメージで捉えている人は今でも多いのだろうし、朝日新聞に書いてあることは正しいと信じて疑わない“信者”もまだまだいることだろう。だが、ネットの普及でメディア・リテラシーをきたえられた人々が増えていることは確かだ(特に若い世代)。以前のような世論誘導=オピニオン・リーダーとしての新聞の役割はどんどん小さくなっていくだろう。日本随一のクオリティ・ペーパーと呼ばれ、知識人が右も左もみんな目を通していた(らしい)、そういう幸福な時代があったといわれる日が、そう遠くないうちにこないとも限らない(もう来ている?)。


この新聞社はいったい日本という国をどうしたいのだろうか?




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