Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

東京暮色のころ

小津映画を集中的に見たのは、今から30年前の20歳前後のころだった。「晩春」「麦秋」「東京物語」「東京暮色」「早春」「彼岸花」「秋刀魚の味」…。この中でも一番衝撃を受けた「麦秋」については、別ブログに書いた。


小津映画についてこれまで幾百幾千のことが語られてきたので、私などの出る幕はないのだが、過剰なまでにヘンテコで細部に逸脱したところのあふれている映画なので、見終わったあとつい語りたくなってしまう。それが黒澤明の映画を見たあととの違いかな(あくまで私にとってだが)。


先日TVで「東京暮色」(1957)を30年ぶりに再見した。
「東京暮色」は小津作品の中では失敗作といわれている。確かに暗い話がジクジクと続く陰鬱さは、当時の小津映画の中にあっては違和感がある。でも、私はこの映画が好きだ。娘が死んだと告げられた母(山田五十鈴)が飲み屋のカウンターで手酌で飲むシーン、その母が東京を去って北海道へ旅立つ上野駅のシーン。あのわびしさ、哀切感は出色だと思う。モノクロの画調も深みがありすばらしい。


「東京暮色」を初めて見たのは昭和47、8年ころ。映画が製作されたのは昭和32年だから、まだ15年しか経っていない時だった。でも、当時20歳の私には随分大昔の映画のように思え、映画に描かれた風俗、言葉遣いとテンポを遠い時代の世界の話として見ていた。
今(平成15年・2003)から15年前といえば平成元年(1988)、ついこの間のような気がする。私が20歳の時の15年前と、現在の50歳の時の15年前。時代のスピード、映画の時間、実人生の時間、それらは決して均質ではないということなのだろう。昭和30年代の変化は、今から思えば凄まじいものではなかったろうか。


正面を向いたバストショットで(観客に向かって)きつい口調でセリフを喋るシーンの息苦しさ、激しさは「東京暮色」にも見られるが、「風の中の牝鶏」(1948)「宗方姉妹(きょうだい)」(1950)でも顕著で、この3本を見ると小津映画の暴力性に思い至る。
今回のTV特集で初めて見た「宗方姉妹」では、夫が妻を何度も平手打ちするシーンに驚愕した。「風の中の牝鶏」の例の階段落ちのシーンに匹敵する暴力描写ではないか。それも同じく典型的なDV(ドメスティック・バイオレンス)!


でも、私はこれら小津映画の中で失敗作、異色作、不人気作品といわれているものにも引きつけられる。少なくとも「東京暮色」以降、「彼岸花」から始まる形式美に彩られた一連のカラー作品より愛着がある。「東京暮色」が最後のモノクロであり、「東京」というタイトルのついた最後の作品であったことも忘れないでおきたい。

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