Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

「天国」の日々

およそ30年前、20代半ばに四国の高知市に1年あまり棲んだ。その時にとてもお世話になったOさんから「天国のおばちゃんに会った」と電話があった。そのことばだけ聞くと、亡くなった人に会ったと言っているみたいだが、そうではない。「天国」は高知の繁華街にあった酒場の名前で、その酒場のオーナーであったおばちゃんに会ったと言っているのだ。


普通、おばちゃんがやっている酒場といえば客層の年齢が高いのが普通だが、「天国」は20代の若い連中が多かった(私が初めて行ったころは、高知弁でいう「おんちゃん」がやってくる大衆酒場だったのだが、いつの間にか客層が変化した)。高知にいたころの私は今より酒が強く(おまけに人恋しさも強く)夜な夜な街に繰り出して、酒場を2~3軒ハシゴして帰るのが日課だった。行くところはだいたい決まっていたが、中でも一番よく通ったのが「天国」だった。行くと必ず会えたOさんのような(時々お酒を御馳走してくれる)同年代の仲間がいたし、何よりおばちゃんの人柄がよくてコの字型のカウンターに座ると心安らぐことができたから。『天国の日々(Days of Heaven)』(テレンス・マリック監督/1978)という名作映画があったけど、今思い返してみると、高知での日々を形容するのにこのタイトルがまさにぴったりだ。


「天国」のおばちゃんは、現在は東京の八王子市に住んでいて数年ぶりに高知を訪問したとのことで、Oさんも会うのが久しぶりだったようだ。91歳という高齢にもかかわらずお元気で、「天国」に集った若者たち(当時は)のこともよく覚えていて、Oさんもその記憶力に驚いたという。私のことが話にのぼった時、「Nさん(toshibon)がシャツを鋏で切って半袖にしていたのを見て、袖口を縫ってあげたのだけれど、もしかするとあれはファッションでわざとそうしていたのでは。そうだったら余計なことをしてしまった」と言ったという。ところが、私のほうはといえば、そんなことがあったけ?と、すっかり忘れているのだから、どっちが年を取っているのかわからない。


当時は旅の身空で赤貧状態だった。服を買うなら飲み代にあてがうというような生活(くらし)だったので、長袖を鋏で切って半袖に、長ズボンも同じように切って半ズボンにして、高知の暑い夏を乗り切ろうとしていた。それはファッションでもなんでもなく、単にお金がなかったからなのだ。本当に貧乏だったから…。「天国」のおばちゃんは、そんなみすばらしい格好をした私を見かねて、袖を縫ってくれたのだろう。そして、それが余計なことだったのでは、と今に至るまで気に懸けていたとは。うれしいことです。有難いことです。月並みな言い方だけど、「天国」のおばちゃん、どうかいつまでもお元気で、長生きしてください。


※toshibon'essay「高知と私」


上記のessayは、15年ほど前に高知市で自費出版を取り扱っている印刷会社の広報紙に書いたものだが、それには高知県庁前で撮った私の写真も掲載されていて、それをよく見ると、シャツの袖がギザギザになっている。鋏で袖を切ったシャツを着ていたことがこれでわかったのだが、気になって、高知で撮ったほかの写真を探してみると、同じ場所で同じ服を着て、同じようなポーズで撮った写真が出てきた。なんと、よく見ると袖がちゃんと縫われているではないか! これこそ「天国」のおばちゃんが縫ってくれた半袖シャツに違いない。1977年の夏のことであった。



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