Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

房総の旅⑵ 千倉~九十九里浜

勝浦から房総半島の南端をぐるっとまわって房州・館山へ。途中、千倉の海岸線の広い範囲にわたって、岸から沖へ屏風を立てたような岩の群がみられた。
地元では、屏風岩と呼んでいる奇岩で、およそ1000万年前、太平洋プレートの力で圧曲され海面上に姿を現した海底の地層が、長い年月のうちに波や風雨に削られて、凝灰岩の部分だけが残ったものという。


昨年から男鹿半島のジオパーク構想に関わりを持つようになったので、男鹿以外の地方を旅していると、それまで気にも留めなかったこうした地層・地質の景観に、他の何よりも興味を惹かれるようになった。高校時代は地学の授業なんてまったく身に入らなかったのに、変われば変わるもんである。


コチ(鯒)。私は食べたことがないが、白身で大変美味という。常に雄雌つがいで仲良く泳ぎ、片割れを釣り上げると追いかけるようにもう一匹が針にかかるという。真偽不明ながら、こうした話に、なぜか敏感に反応してしまうtoshibonである…。

サザエと一緒に「しったか」も売っていた。シッタカは太平洋側に生息しているバテイラの関東地方での呼び名。男鹿半島ではシタナミ(シタダミ)と呼ばれている小さな巻貝の一種、オオコシダカガンガラとそっくりだが、日本海側に生息しているオオコシダカガンガラはバテイラの亜種とされる。


南房総から銚子に戻る途中、再度九十九里浜に立ち寄った。九十九里浜といえばいわし漁ということで、今回の旅の目的であった魚醤文化の痕跡を探したが、ここでも空振りに終わった。だが、かつてこの浜にイワシが群来(くき)、網を揚げるフナガタ(漁夫)や「おっぺし(浜から揚繰船を押し出す女衆たち)」たちが培ったいわし文化ともいうべき歴史があったことを、数々の文献や地元の人の話から知ることができたのは、大きな収穫だった。
「黒潮文化」の北限に位置しているこの広大な砂浜に立つと、いつも見ている日本海の海原とはまた異なる自然への畏怖の感情が湧きあがってきて、しばらく打ち寄せる波をボーッと眺めていた。