Toshibon's Blog Returns

髪結いの亭主 物書きの妻

折口父子の墓碑と歌碑

クリント・イーストウッドが監督した「硫黄島からの手紙」(2006)を見た時、折口信夫の門弟で養子となった藤井春洋が硫黄島で戦死したことに思い至り、それが涙腺をゆるめるきっかけになったのか、映画の後半になってから、私は恥ずかしいほどにボロボロと涙を流してしまった。映画館であれほど泣いたのは、10代後半に見たピーター・フォンダの「さすらいのカウボーイ」(1971)https://www.youtube.com/watch?v=fmd-kZgDIPw以来だった。


「硫黄島からの手紙」を見た1年くらい後に金沢に旅をした時、同じ石川県の羽咋市にある折口父子の墓に詣でた。日本海に面した砂丘の上、小さな墓石が点在する寂しげな共同墓地のようなところに「折口博士父子の墓」の標柱が立っていた。まさに奥城(おくつき)処。全体に漂うアトモスフィアというか、場の霊気が、秋田市寺内にある菅江真澄の墓地と、とてもよく似ていた。


藤井春洋本人は養子縁組を知ることなく硫黄島へ出征したのだという。折口は自身の遺骨を羽咋にある春洋の生家藤井家の墓地と、大阪の折口家代々の墓に分けて埋葬するよう遺言に残した。


高さ1メートルに満たない四角い墓石に折口が書いた墓碑銘が刻まれている。

「もっとも苦しきたたかひに 最くるしみ死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋
 ならびにその 父 信夫の墓」


すぐ近くの気多神社境内にも折口父子の歌碑がある。
左が春洋、右が折口信夫(釈迢空)の碑。

「気多のむら若葉くろずむ時に来て 遠海原の音を聴きをり」 (迢空)